《氷上(うすごおり)のワルツ》
忙しい……。誰か助けて死にそうだー……。
解っていた。そう、私はとうに理解していたはずだった。
家柄という呪いは、一生抜け出せるものでない事を。
しかし、神の悪戯かはたまた気まぐれか。私のその諦観は、あっさり覆されたのだ。
「おはようございます、朝ですよ」
――叶える事の出来なかった普通の生活。
「ええ、おはよう」
本心はどうか解らない。だが、少なくともこの家族は私の事をひとまずは受け入れてくれた。
それは仮初かも知れないが、私は手に入れたのだ。あれだけ憧れていた普通の生活を。
「もう朝ご飯は出来てますよ、兄さ……姉さん」
「分かった、すぐに行くわ」
――だが、私の気持ちは少しも満たされていなかった。
それもそうだ。私は奪ったのだ。一つの幸せの形として完成されていた、この『家族』というパズルから欠けてはならない一つのピースを。
そしてそこには私という歪な、決して嵌まる事はない、嵌まるような事はあってはならないピースが無理矢理埋め込まれた。
そして今このパズルの枠は、無理に押し入った私(歪んだピース)によって軋み、悲鳴を上げている。
――私は、いつ割れるとも知れない薄氷の上を歩いているのだ。
居間に辿り着いた私を迎えたのは、妹だけだった。
とは言っても、それは私を避けているからではなく、ただ単に共働きなだけだ。
そして今は夏休み、学生にとっての長い休日だ。勿論この身体も学校に通う身、必然、起きるのは遅くなる。
要するに既に昼前の時間な為、両親は仕事に行っている。
「いただきます」
二人で食べ始める朝食。それはぎこちないものだった。
話題を探す為か、妹さんが電源を入れたテレビでは、ニュース番組をやっていた。
「そ、そういえば、最近このニュースばかりやってますね」
無理矢理に作った笑顔を張り付けて、妹さんはこちらに話題を振ってきた。
「……ごめんなさい、全く知らないわ」
元の持ち主、西園寺圭の記憶にも全くない。恐らく彼は、ニュース等は全く見ない性だったのだろう。
「あ! そうですよね……えーっと実は」
何でもどこぞのかなり巨大な宗教団体の教祖サマが、世界は終わると騒いでいるらしい。
「ふぅん、貴方はこれについてどう思っているの?」
私がそう言うと、妹さんは顎に手を当てながら質問に答えた。
「……そう、ですね。正直、凄く馬鹿らしいとは思うんですが、最近そんな馬鹿らしい事が起こったばかりなので有り得るかも、って思っちゃいます」
……本人にはその積もりはないのだとは思うけど、これはかなりキツい。
黙り込んで俯いた私を見てか、妹さんは私に慌ててこう言った。
「別に当てつけではないですよ! ただ普通にそう思っただけで……」
本当にそうなのだろう。この娘はしっかりしているようで、どこか抜けている所も有るし。
「でも、何を根拠にこんな大層な予言を言い出したのかしらね?」
「それはですね、今の地球の異常気象を見てだと思います」
『狼の冬』。それが訪れているのだと予言者は言うらしい。
――曰く、夏は訪れず、極寒の冬が続き、生き物は須らく死に絶える。
事実今地球では、一年を通して冬で有り続けているのだ。科学的見地では満足な説明も出来ないらしく、人々の不安はますます増大している。
更には生き物もその数多くが種を閉ざし、作物も育たなくなり、世界は恐慌状態に陥っている。
正直なところ、世界が終わる終わらないに関わらず非常に危ない状態だろう。
「……まあそんな事は関係なく、必ず貴方のお兄さんの魂をこの身体に戻すわ、私もこのままではいたたまれないもの」
「……はい、お願いします」
妹さんのその消え入るかのような声に、私はますます決意を固める。まずは私の魂をここに収めた神様と話をしなければ。
神様……。私の頭は気が付けば、あの時の質問に対する妹さんの答えを思い返していた――。
「……そうですね。私は信じていない、いや、信じたくないんです」
妹さんが苦しげに言った言葉は予想が出来ていた。だがしかし、この胸をえぐるかのような痛みに耐えられるのかと言われればそうではない。
「正直、今にもその白い髪を外して冗談だって笑ってくれるんじゃないかと、まだ期待しちゃってます」
……ごめんね妹さん。これはかつらではない本物なの。貴方の知っている『兄さん』は恐らく、私の身体にいるはずだから。
「でも、気付いちゃったんです。兄さ……いいえ、貴方は兄さんとは違うって事を」
「……兄さんはですね、人の瞳を見ながら話をする時はいつも、無意識のうちに手を前に出して組むんです」
妹さんはそう言って自身の胸の前まで両手を持って行き、指同士を絡ませて儚げに笑った。
「――本当は、実は兄さんなんだって神様にでもお願いしちゃいたいです。だけど貴方が言うには、その神様自身が私の近くから兄さんを遠ざけた。……兄さん(たよれるひと)と神様
という支えを失った私は、どうすれば良いのですか!?」
……言葉が出なかった。私はこの少女に掛けるべき言葉が全く思い浮かばなかった。いや、言葉を掛ける権利がないと理解したからか。
「ごめんなさい、しばらく一人にしてください」
虚ろな目をしながらそう言って自分の部屋に戻って行く妹さんを、誰が止める事が出来ようか。
――だが次に顔を見せた時には何か折り目がついたのか、「えっと、これから貴方の事は姉さんと呼びます。……ね、姉さん」などと宣言した。
そう言った妹さんからは、あの時顔を覗かせていた今にも自殺をしてしまうような、全てに絶望いるかのようなあの雰囲気はなりを潜めていた。
誤字脱字誤用等ありましたら、容赦なく指摘お願いします。
……本当に容赦なくされたら、私の硝子で出来たハートは砕けるかもしれませんが。