雪の花 中編
翌日の朝。
ダリルとエリーは、さっそくリアに案内されてゼルダの元へ向かった。ゼルダは、リア達の宿屋からそう遠くないリアの実家に住んでいた。
「君はいつも感情に走り、冷静さを欠くようだね」
リアの馬車に揺られながら、ダリルは言った。
「軽はずみなことを言い皆に期待させて、魔法が効かない場合はどうするつもりだい?」
「そんなこと……やってみなきゃ分からないわ」
エリーは、だいぶ使い慣れてきた魔法の杖を手に握る。
「なんとかなるっていうのか?」
ダリルは小さく笑う。
「そうよ」
エリーはダリルから視線を外す。エリー自身確信はもてなかったが、偶然立ち寄った村の人々の問題を放っておくことは出来なかった。ゼルダの意識が戻らず、雪の花が咲かなかったとしても、やれるだけのことはしたかった。
「ま、僕も出来るだけ協力はしよう。この村で雪の花が咲き美しい雪景色を見てみたいからね」
エリーはダリルに心を読まれないよう心を空白にしていたが、エリーの気持ちがダリルには分かるようだ。エリーは少し安心した。
真っ白いふわふわのベッドの中で、ゼルダはスヤスヤと安らかに眠っていた。白髪の長い髪。深く皺の刻まれた顔。痩せた体。意識がないと言っても、頬にはほんのりと赤みがさし、穏やかな気持ちの良さそうな寝顔だった。
エリーはそっと掛け布団をめくって、ゼルダの体に両手をかざしてみた。弱いが確かな生命の温もりを両手に感じる。
「やはり、病気ではないようだな」
エリーの様子を見て、ダリルは呟いた。
「どうにか意識を取り戻すことは出来ないかしら?ゼルダさんの意識が戻れば、雪の花の肥料の作り方を聞けるわ」
「聞き出して、君が肥料を作ろうというのかい?」
「ええ。私、薬草の煎じ薬を作るのには自信があるわ」
「煎じ薬と『雪の花』の肥料とは、別物だと思うがね。それに、君の煎じ薬が名薬かどうか」
「ダリル、手を貸して。2人で魔法をかければ効き目があがると思うわ」
エリーはダリルの言葉をさえぎり、治癒の魔法をかけ始める。
「君の肥料で雪の花を枯らしてしまわないよう気をつけなくてはいけないよ」
ダリルはフッと笑うと、魔法の言葉を唱えゼルダに手をかざした。
ゼルダの家を出た後、ダリルとエリーは箒に乗り、雪の花が咲くというなだらかな丘まで飛んできた。治癒の魔法をかけたゼルダは、前より元気そうな顔つきになってきたが、意識はまだ戻っていない。時間が経てば目覚めるかもしれないし、目覚めないかもしれない。ダリルとエリーにもその結果は分からなかった。
丘の上一面に小さな花が植えられていた。だが、どの花も白く堅いつぼみのままで、花は一輪も咲いていない。丘は薄い緑色一色だ。
「ここの花が全て咲くと、丘は真っ白になる。遠くから見ると、まるで雪が積もったようになるんだよ」
丘の上空で箒を止め、ダリルが言った。エリーも遅れてその横に止まる。
「雪の花を見たことがあるの?」
「ああ、昔一度見たことがある」
「雪の花が咲いた後雪が積もったら、花は雪で埋もれてしまうんじゃない?」
「それが、不思議なことに雪の花が咲く丘には雪は積もらないんだ。この不思議な花には体温があるらしくて、降り積もる雪を溶かすらしいよ」
「そうなの?それじゃ、冬の間ずっと花を見られるのね」
「ああ、雪の花は春が訪れるまで咲き続ける……」
ダリルはそう言うと高度を上げ、魔法の杖を取りだして呪文を唱え始めた。
「花に魔法をかけるの?」
エリーは上空のダリルを見上げる。魔法で『雪の花』を咲かせることが出来るならいいのにと、エリーは思う。エリーはまだ花を咲かせる魔法など知らなかった。ダリルが丘に向かって杖を振りかざすと、さわさわっと丘に一陣の風が吹いた。
「あっ、花が揺れてる」
エリーの下で、雪の花達が堅く閉じたつぼみを揺らし始めた。ゆっくりとつぼみの頭を持ち上げ、花を開こうとする。少しずつ花びらが開き、白い花が現れた。しかし、それは一瞬のことで、完全に開ききる前にどの花もまた、花びらを閉じてしまった。
「……やはりダメか」
フーッと白い息を吐き、ダリルはエリーの元まで降りてきた。
「雪の花には魔法が効かないようだ」
「そうみたいね。やっぱり、ゼルダさんに肥料作りを教えてもらうしかないわ。宿に戻りましょ、長くいると凍えそうになるわ」
エリーは身震いする。雪の花の丘は、一段と気温が低く凍り付きそうなほどの寒さだった。
「雪の花の咲く丘には、古くから伝説があるんだよ」
ダリルはゆっくりと箒を進めながら言った。
「満開になった雪の花の丘に男女2人で降り立つと、その2人は永遠に愛し合い固く結ばれるらしい」
「え?」
横に並んで飛んでいたエリーは、ダリルの方に顔を向ける。ダリルはフフッと笑うと、軽くウィンクした。
「さあ、早く帰って温かいミルクを飲まないと、体が固まってしまう」
ダリルは箒のスピードを上げる。
「あ、待って」
エリーはもう一度雪の花の丘に目を向けた。ダリルの言った「雪の花伝説」のことも気になったが、今は雪の花を咲かせることが大切だ。この丘の花が満開になり雪のように白くなることをエリーは願った。
翌朝。
ベッドの中でグッスリと眠っていたエリーは、部屋のドアを激しく叩く音で目を覚ました。まだ日は昇ったばかり、寝ぼけ眼をこすりながらエリーはゆっくりと体を起こす。
「誰?」
ぼんやりとした頭で、ドアの向こうの気配を感じ取る。ひどく慌てている様子だが、喜びに満ちた感情が伝わってくる。
「エリーさん!リアです!」
ドンドンと戸が叩かれる。
「ゼルダおばあさんが目覚めました!」
その声にエリーの眠気は一気に吹き飛び、ベッドから飛び降りた。
エリーとダリルがゼルダの家に行った時、ゼルダはベッドに身を起こしていた。白髪の長い髪を束ね、とろりとした眠そうな目をしてエリー達を見つめた。
「誰じゃね。あんたらは?」
低いがしっかりとした声でゼルダは言った。
「ゼルダさん、初めまして。私達は旅の途中の者です。私はエリー、こちらはダリルです」
エリーが言うと、ゼルダは面倒くさそうに2人に目を向けた。
「あぁ、眠い…… せっかく気持ち良く眠っていたのに、起こさないでおくれ」
ゼルダは大きく欠伸をすると、重い瞼を閉じてウトウトし始める。
「ゼルダおばあさん、まだ眠るのは早いですよ。もう少し起きていませんか?」
ダリルはゼルダの側に寄り、その手を握った。ゼルダは眠い目を開けると、ダリルを見上げる。
「私はばあさんじゃないよ……まだまだ若いんだからね」
「これは失礼。あなたは美しいレディでしたね」
ダリルが微笑んで丁寧にお辞儀をすると、ゼルダは口元を弛めた。
「お前はいい男じゃ。私にはちょっと若すぎるようじゃけど」
ダリルがゼルダの手を握りながら魔法をかけたお陰で、ゼルダの頭はようやくしっかりとしてきたようだ。
「ゼルダさん、教えてもらいたいことがあるんです」
エリー は一歩前に出て、ゼルダに微笑みかける。
「なんじゃね?」
「『雪の花』の肥料の作り方を教えて下さい」
「雪の花?……」
ゼルダは少し考え、ぼんやりと窓の外に目を向ける。
「今年はまだ雪が降っていないのかい?もう冬だというのに」
「今年はゼルダさんが作った肥料を与えていないから、『雪の花』は咲いてないそうです。どうか、肥料の作り方を私に教えて下さい。このままでは『雪の花』は咲かないまま枯れてしまいます」
ゼルダはハッとしてエリーを見つめる。
「それは大変だよ……雪の花が枯れるとこの村に雪が降らなくなってしまう。雪の恵みがなけりゃ、豊かな春は迎えられない。すぐに肥料を作らなけりゃ」
ゼルダはベッドから降りようとするが、体は思うように動かなかった。
「アイタタタ……どうしたんじゃ、体中が痛くてしょうがない」
体の痛みにゼルダは顔を歪める。
「肥料作りはエリーとリアに任せると良いですよ。あなたはゆっくりとベットでくつろいで、肥料の作り方を教えて下さい」
ダリルはゼルダの体をそっとさする。柔らかな温もりがゼルダを包み込み、痛みは徐々にひいていく。
「リアとあんな小娘に『雪の花』の肥料が作れるかねぇ?」
ゼルダはダリルを見つめて言う。
「美しく賢明なあなたの手助けさえあれば、彼女達にもきっと出来ますよ」
ダリルはゼルダのシワシワの手を取ると、そっとキスした。
「……お前がそう言うなら、教えてやろうかねぇ」
気分の良くなったゼルダは、目を輝かせながら笑った。
(少しやりすぎじゃないの?)
エリーはダリルの心に話かける。
(君はゼルダに焼きもちを焼いているのかい?)
ダリルはエリーを見つめてフッと笑う。
(そうじゃないけど)
エリーは、優しくゼルダを抱きしめるダリルを見てため息をつく。だが、ゼルダの了解を得ることが出来て、ホッと安心した。