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パラノイズ〜人生の選択〜  作者: ムーンキャット


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第33話 置き去りにした温度

その夜、翔は眠れなかった。


触覚を失った体は、痛みも寒さも訴えてこない。 それなのに、胸の奥だけが重く、息をするたびに軋んだ。


――このまま、ここにいたら。


綾華の泣き顔が、何度も脳裏をよぎる。 自分のせいで、彼女の世界まで削れていく未来が、はっきりと見えてしまった。


翔は、机に向かった。 紙とペンを前にして、しばらく動けずにいたが、やがて短く息を吐き、書き始める。


「ごめん」


それだけで、喉が詰まった。


「君を守りたい。なのに、俺は君の前で失ってばかりだ」 「だから、少しだけ時間をくれ」 「これは逃げじゃない。そう思わせてくれ」


言い訳にも、別れにもなりきらない言葉。 それでも、今の翔にはこれが精一杯だった。


紙を畳み、テーブルの上に置く。


振り返らなかった。 振り返ったら、行けなくなる気がしたからだ。


――向かった先は、海だった。


北海道の海岸線。 観光地でもなく、地図にも大きくは載らない、小さな岬。


かつて翔が、ここで綾華にプロポーズした場所だ。


夕焼けに染まる海を前に、何度も言葉を飲み込み、 震える声で「結婚してほしい」と伝えた。


あの時、彼女は泣いて笑って、 強く抱きしめてくれた。

書き換えられた記憶の中にはっきり残っている。


――その“強さ”を、今の翔はもう感じられない。


岬の先に立ち、翔は海を見つめた。 波が岩に当たって砕ける様子は見える。 風で髪が揺れているのも分かる。


それでも、 そこにあるはずの冷たさも、湿り気も、何一つ届かない。


「……ここに来たかったんだ」


誰にともなく呟く。


失う前の自分が、 いちばん幸せだった自分が、 まだ残っている気がして。


だが、残っていたのは記憶だけだった。


翔は、その場に腰を下ろした。 触れられない地面に、ただ座っているという“理解”だけを頼りに。


(……綾華)


きっと、気づくだろう。 置き手紙を見て、探しに来るかもしれない。


それでも――


ここでなら、 彼女の前から消えても、 思い出だけは壊さずに済む気がした。


翔は、ゆっくりと目を閉じた。


その時だった。


遠くで、聞き慣れた声が、風に混じった。


「……やっぱり、ここだと思った」


翔の背中が、わずかに強張る。


聞こえてしまった。


一番、来てほしくなかった声を。


――綾華が、そこに立っていた。


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