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パラノイズ〜人生の選択〜  作者: ムーンキャット


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第31話 二度目の契約

二度目の契約の日

綾華は、何度も手を握っては離した。

 翔の手だった。

 温かい。

 ちゃんと、生きている人の手だ。

 それが、怖かった。

「……私、何もできないんだね」

 ぽつりと落ちた言葉は、独り言に近かった。

 翔は何も言わない。ただ、黙って聞いている。

 代わってやれない。

 奪ってやることもできない。

 選ぶことすら、許されない。

 ――それが、分かってしまった。

「嗅覚の時もさ……」

 綾華は、視線を落としたまま続けた。

「私、軽く考えてた。

 “なくなっても生きていける”って」

 翔の指が、わずかに動く。

「でも……触覚は違うよね」

 言ってから、綾華は息を詰めた。

 言葉にしてしまったことを、後悔した。

「手を握るのも」

「抱きしめるのも」

「寒いとか、痛いとか……」

 一つ一つ挙げるたび、胸が締め付けられる。

「それ、全部……

 私が翔を“ここにいる”って確認する方法なのに」

 顔を上げると、翔は少し困ったように笑った。

「大げさだよ」

 その笑顔が、綾華には一番つらかった。

「大げさじゃない!」

 思わず声が荒れる。

「だって……

 それ失ったら、翔は私を二度と感じてくれないんだよ?」

 答えは、返せない…

 その代わり――

 部屋の空気が、わずかに歪んだ。

 聞き慣れた、あの感覚。

 電子音ともノイズとも違う、耳の奥を撫でるような違和感。

『――決断の時間だ』

 綾華は、反射的に翔の腕を掴んだ。

「やめて……!」

 声が震える。

 祈りに近い。

『触覚を差し出せば、時間は延びる』

『それでもなお、完全ではないがな』

 綾華は、首を横に振り続ける。

「お願い……翔……」

 翔は、綾華の手を見た。

 掴まれている腕。

 震える指。

 その“感触”を、確かめるように。

「……分かってる」

 静かな声だった。

 それが、

 決意の声だと理解してしまった瞬間、

 綾華の喉が、音を立てて詰まった。

 ――間に合わない。

 そう思った時。

『選べ』

 その一言が、空間に落ちる。

 翔の視線が、ゆっくりと綾華から離れ――

 自分の両手に向けられた。

 ここで、綾華は何もできない。

 ただ、見ていることしかできない。

 それが、この世界のルールだった。

翔は、ゆっくりと息を吐いた。

 それだけで、胸の奥が軋む。

「……条件は?」

 声は、思ったよりも落ち着いていた。

『触覚を差し出せ』

『その代わり、時間を与える』

「どれくらいだ」

『三年だ』

 短い。

 嗅覚を失って得た時間と、同じ長さ。

 翔は一瞬だけ、目を閉じた。

 そして、綾華の方を見る。

 何か言おうとして、

 でも言葉にならず、

 唇が震えただけで終わる。

「……やめて……」

 綾華の声は、かすれていた。

 泣いてはいない。

 ただ、必死に堪えている。

「お願い……奪わないで……」

 翔は、そっと彼女の手を取った。

 温かい。

 柔らかい。

 確かに、そこにある。

「ごめん」

 それだけ言って、翔は装置に手を伸ばした。

 次の瞬間、

 世界が“裏返る”感覚がした。

 音が消えたわけじゃない。

 視界が歪んだわけでもない。

 ただ――

 体の境界が、消えた。

 床に立っているのに、足裏がない。

 空気に触れているはずなのに、何も感じない。

「……?」

 翔は、自分の手を見た。

 指を握る。

 開く。

 動いている。

 確かに動いている。

 なのに。

「……触ってる、よな……?」

 自分の腕を、強く掴む。

 力を込める。

 ――何もない。

 痛みも、圧も、温度も。

 まるで、映像の中の体を操作しているみたいだった。

「……あ……」

 声が、喉から零れ落ちた。

 綾華が、翔の腕にしがみつく。

「翔くん!

 ねえ、私……分かる?

 触ってるの、分かる?」

 分からない。

 目では見える。

 でも、“ここに触れられている”という実感が、存在しない。

 翔は、震える唇で答えた。

「……ごめん」

 その一言で、綾華の顔が歪んだ。

『契約は成立した』

 宇宙人の声が、淡々と告げる。

『次の選択まで、一週間だ』

『逃げることはできない』

 ノイズが、ゆっくりと引いていく。

 残されたのは――

 触れられても、触れ返せない世界。

 翔は、動かない自分の手を見つめながら、思った。

 まだ、生きている。

 でも、

 確実に、生きる実感が削られている。

 それが、契約の代償だった。


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