第18話 幸せ過ぎる世界……
リビングのテーブルいっぱいに、アルバムが広げられていた。
「ほら、これ覚えてる?」
綾華が指差した一枚の写真。
そこには、見覚えのない――けれど確かに“自分”の笑顔が写っていた。
桜並木の下。
肩を寄せ合い、少し照れたように笑う二人。
「……これ、俺?」
思わず聞くと、綾華は呆れたように笑う。
「当たり前でしょ。プロポーズの次の日だよ」
ページをめくる。
旅行先の写真。
原稿に追われて床に倒れている自分。
締切明けに二人でコンビニアイスを食べている夜。
どの写真にも、
“事故の後の空白”など、どこにも存在しなかった。
(……生きてきたんだ)
自分の知らない時間を。
自分の知らない努力を。
「翔、これも」
綾華が差し出した次のアルバムには、
デビュー作から現在までの単行本が並んで写っていた。
「サイン会の時の写真ね」
「……サイン会?」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
(俺が……?)
その後、翔は書斎へ向かった。
本棚から、一冊の漫画を抜き取る。
自分の名前が、はっきりと表紙に印刷されている。
「……読むか」
ページをめくる。
背景描写。
コマ割り。
感情の間。
(……これ、好きだ)
自分で描いたはずの漫画なのに、
純粋に「面白い」と思ってしまった。
「うわ……なにこれ……」
思わず声が漏れる。
「俺、こんなの描けてたのかよ……!」
ページをめくる手が止まらない。
「ちょ、ちょっと待って、ここ……!」
「いや、このシーンずるいだろ!」
「泣かせに来てるじゃん!」
一人で、幸せな悲鳴を上げる。
胸の奥が、熱くなる。
(夢、叶ってる)
しかも中途半端じゃない。
ちゃんと、誰かに届いている。
(……俺、ちゃんと生きてる)
それから、穏やかな日々が続いた。
朝、綾華と並んで歩く道。
原稿を描き、評価され、感謝される日常。
何もかもが、満たされていた。
――あまりにも。
その日の夜。
翔は、原稿の修正を終え、立ち上がった。
「……ん?」
喉に、違和感。
軽く咳き込んだ、その瞬間。
「……っ」
口元を押さえた手に、
赤いものが付いた。
「……は?」
一瞬、理解できなかった。
床に、ぽたり、と落ちる。
赤。
はっきりとした――血。
「……なん、だよ……」
胸の奥が、ひどく嫌な音を立てた。
幸せ過ぎる世界の中で、
たった一つだけ。
確実に、何かが壊れ始めていた




