第17話 改変後の世界
世界が、壊れた。
視界いっぱいに広がるのは、
白と黒が無秩序に暴れ回るテレビの砂嵐。
音はない。
だが、耳の奥がキーンと鳴り、
脳を直接かき回されているような感覚だけがある。
「……っ」
翔は立っているのか、倒れているのかも分からなかった。
上下も左右もなく、ただノイズだけが存在する空間。
(戻……れ……)
そう思った瞬間、
砂嵐が一気に引いていく。
――まるで、霧が晴れるように。
「……?」
翔は、ゆっくりと目を開けた。
知らない天井だった。
白くて、少し高い。
天井の隅には、洒落た間接照明。
(……どこだ、ここ)
身体を起こすと、
柔らかい感触が背中に伝わる。
ベッド。
しかも、明らかに安物じゃない。
「……は?」
部屋を見回す。
壁には本棚。
そこには、見覚えのない単行本がずらりと並んでいた。
自分の名前が、背表紙に書いてある。
「……渋谷 翔……?」
意味が分からない。
心臓が、どくんと強く脈打つ。
その時――
「あなたー?」
不意に、ドアの向こうから声がした。
柔らかくて、懐かしくて。
一瞬で胸の奥を掴まれる声。
(……まさか)
ドアが開く。
そこに立っていたのは――
如月綾華だった。
長い髪。
穏やかな笑顔。
翔が、ずっと心の奥にしまい込んできた、あの人。
「……綾……華?」
声が、震えた。
彼女は不思議そうに首を傾げてから、くすっと笑う。
「どうしたの? まだ寝ぼけてるの?」
そして、当たり前のように言った。
「朝ごはん、もうすぐできるよ」
翔の思考が、完全に止まった。
(……朝ごはん?)
(……俺に?)
(……“あなた”って……)
視線を落とすと、
左手の薬指に、指輪があった。
彼女の左手にも、同じもの。
「…………」
次の瞬間。
「え、ちょ、ちょっと!?」
翔は勢いよくベッドから飛び起き、
部屋中を見渡した。
二人分の服。
二人分の歯ブラシ。
壁には、二人で写った写真。
(……結婚、してる……?)
「俺……結婚してる!?」
叫ぶ翔に、綾華は苦笑いを浮かべる。
「今さら何言ってるの。変なの」
だが翔は、それどころじゃなかった。
胸の奥から、
抑えきれない感情が一気に溢れ出す。
笑いが、込み上げる。
「は……はは……」
そして――
「やった……!」
思わず、両手を突き上げた。
「やったぁぁぁ!!」
「ちょ、ちょっと翔!?」
はしゃぐ翔を見て、綾華は完全に呆れている。
だが翔は止まらない。
(生きてる……)
(あの事故は、起きなかった)
(綾華は……ここにいる)
さらに、視線が本棚に戻る。
自分の名前が並ぶ漫画。
(……これ、全部)
「俺……漫画家なの?」
綾華は、少し誇らしげに微笑んだ。
「そうよ。今さら?」
その瞬間。
胸が、いっぱいになった。
(絵を……仕事にできた)
(夢、叶ってるじゃん……)
翔は、思わず綾華を抱きしめた。
「ちょっ……朝から何!?」
「ごめん……でも……」
声が、震える。
「……幸せすぎて」
改変後の世界は、
あまりにも、理想的だった。
守りたかった命は守られ、
愛した人は隣にいて、
好きだった絵で、生きている。
翔は知らない。
この幸せが、
どれほど危うい均衡の上に成り立っているのかを。
そして――
この世界が、彼に支払わせようとしている代償を。




