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一番近くにいるキミは  作者: 陽ノ下 咲


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第四話 ベランダ越しの会話

主な登場人物紹介


田中(たなか)彩乃あやの

二十四歳。主人公。庶務部。優しくてお人好し。過去のトラウマから恋愛には奥手。


鈴木(すずき)颯太(そうた)

二十四歳。彩乃の同期で営業部所属。仕事の出来るイケメン。彩乃の隣の部屋に住んでいる。彼女の浮気が原因で別れているところを彩乃に目撃される。


佐藤(さとう)優真(ゆうま)

二十四歳。綾乃の高校からの親友。なんでも話せて、頼りにしている存在。穏やかで誰に対しても優しい。職場は別。


山本(やまもと)莉子りこ

二十ニ歳。彩乃の後輩。庶務部。小柄で美人。


 私は今、職場の庶務部のフロアで、後輩の山本さんの仕事を手伝いながらパソコンを操作している。


 時間はすでに八時を過ぎ、フロアにはキーボードの音だけが淡々と響いている。

 山本さんが今にも泣きそうな面持ちで画面を見つめていて、私は思わず声をかけた。



「山本さん、大丈夫ですよ。この調子でいけば、すぐ終わりますから」



 すると彼女の表情が少し和らいだ。



「……田中さん、本当にありがとうございます」

「いいえ。一人で抱え込む方が良くないから。……ほら、あと少し、がんばりましょっ」



 私はそう言って、自分のキーボードに指を置いた。



 ことのきっかけは、午後三時を回って少しした頃。


 山本さんが明日までの期限で頼まれていたデータ入力を、後回しにしてしまっている事に気がついて、声をかけた。



「あの、山本さん。この資料のデータ入力の期限、確か明日までじゃなかったですか?」



 途端に山本さんの顔が青くなった。

 今から頑張ったって、どう考えても一人で今日中に終わらせられる分量じゃないことは明白で。


 ちらりと彼女の方を見ると、背中が小さく丸まっていて、今にも泣き出しそうな雰囲気だった。



「……山本さん」



 声をかけると、彼女はびくっと肩を震わせて、こちらを振り返る。



「大丈夫……?」

「はい……大丈夫、です……。たぶん……」



 大丈夫じゃない時の返事だと思い、私は彼女の机に近づいた。



「これ、量がちょっと多すぎますよね?……よかったら、手伝いますよ」



 その瞬間。



「え……っ」



 山本さんの目が、みるみるうちに潤んでいく。



「い、いいんですか……?田中さん……!」

「もちろんです。この量は、さすがに一人じゃ大変ですよ。明日までっていうのも、ちょっと今からだと無茶だと思うし」

「わーん、田中さん、ほんとに女神……!ありがとうございます〜っ……!」



 泣きそうな声で頭を下げられて、私は慌てて手を振った。



「いえいえ。一緒に頑張りましょう」



 それからは、ほとんど会話もせず、ひたすら入力作業に集中した。

 単純作業だけれど、量が多い。

 肩も目も、じわじわと疲れてくる。


 気づけば、フロアに残っているのは、私と山本さんだけになっていた。


 もう一度時計を見ると、もう夜の九時を回っている。



「終わりました……!」



 最後のデータを保存した瞬間、山本さんがぱっと顔を上げた。



「田中さん、本当にありがとうございました!」

「いえいえ。お疲れさまでした」



 心からの笑顔でそう言うと、山本さんは何度も頭を下げてくる。最終チェックをして、私もようやくパソコンの電源を落とした。


 荷物をまとめて一緒にフロアを出て、エントランスで別れる。


「山本さん、疲れてると思うし、気をつけて帰ってくださいね」

「はい!田中さんも!」


 その瞬間、肩にどっと疲れが来た。今日も、つい頑張りすぎてしまったかもしれない。


 でも、山本さんのほっとした笑顔を思い出すと、不思議と心は軽かった。



ーーー


 家に着いて、まずお風呂を沸かした。

 多少遅くなったとしても、湯船には浸かりたい。


 社会人一年目の最初の頃は、時間が惜しくてシャワーだけで済ませていた。

 それを優真くんに話したら「絶対、湯船に浸かった方がいいよ」と勧められて、「良かったら使ってみて」と、おすすめの入浴剤までプレゼントしてくれた。

 それ以来お湯を張るようになって、今ではもう、湯船なしでは無理な身体になってしまった。


 お風呂を沸かしている間に、パパッと作れるご飯を作って食べた。

 さっと洗い物を済ませていると、お湯が沸いて、お風呂に入った。

 湯気の中で、今日一日の疲れが少しずつ溶けていく。


 冷蔵庫から缶のお酒を一本取り出して、ベランダに出た。

 夜風が、火照った頬に心地いい。



「……はぁ……」



 柵にもたれながら一口飲んだ、その時だった。



「今日、遅かったですね」



 隣のベランダから聞こえた声に、心臓が跳ねた。



「あ……」



 ベランダから顔出して隣を見ると、同じ様に顔を出した鈴木さんが見えて。

 部屋着のラフな格好で、手には同じようにお酒を持っていた。



「こんばんは」



 少し驚きつつも、私は答えた。



「こんばんは……。あの、今日はちょっと仕事が立て込んでしまって。でも、何とか終わらせることが出来てよかったです」

「そうだったんですか。お疲れさまでした」



 そう言って、鈴木さんはふっと柔らかく笑った。



「……田中さんの作る書類って、いつもすごく丁寧で読みやすくて。すごいなって思ってるんですよね」

「え……」



 思いがけない言葉に、胸がきゅっと鳴った。



「ほ、ほんとですか?」

「うん。本当に。俺だけじゃなくて、リスペクトしてる人、他にも結構いると思いますよ」

「……あはは」



 照れ隠しみたいに笑いながら、缶を握る指に、無意識に力が入る。


 そんなふうに言われたのは、初めてだった。


 仕事をちゃんとしているのは当たり前。

 誰かに評価されるなんて、正直、あまり期待していなかったから。



「だったら……嬉しいな」



 少しだけ、間が空いて。

 


「……無理、しすぎないでくださいね」



 鈴木さんが、とても優しい声でそう言った。その言葉に、ドキッと心臓が跳ねた。



「え?」



 私は、思わず聞き返してしまった。



「……田中さん、優しいから。ついいろいろと引き受けちゃうでしょ」



 どうして分かるんだろう。

 そう思った瞬間、胸の奥が、じんわりと温かくなる。



「……気をつけます」



 小さくそう返すと、鈴木さんが安心したように笑った。

 夜風が、二人の間を静かに通り抜ける。


 ただそれだけなのに。


 純粋に嬉しいという気持ちだけじゃなく、

 なぜだか、胸の奥がきゅんと、うずいた。



 えっ……、何?この感情。



 缶を傾けながら、私はそっと、視線を夜空に逃がした。


 この小さなときめきを、まだ、自分の中にしまっておくために。




本作を見つけてくださり、お読みいただき、ありがとうございました!


本作は毎週水曜と土曜日に一話ずつ投稿していきます。

次の投稿は、1月17日(土)7:00です。


引き続き、面白いと思って頂ける作品を作れる様、頑張って執筆していきますので、どうぞ応援のほどよろしくお願いいたします。



陽ノ下 咲


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