第8話《消えた婚約指輪と空飛ぶサボテンring memory》
――都市バルディア、午前九時。
雨上がりの光が、ネオンを透かして煌めいていた。
梟ノ巣の朝は、いつも通り、騒がしい。
「今日の依頼は……これね」
アルノーが端末を操作しながら読み上げた。
「“婚約指輪を取り戻してほしい”」
「わぁ、ロマンチック!」
ソファに寝転んでいたフィーネがぱっと身を起こす。
「誰かがプロポーズしたのかな?」
「まだする前だそうよ。
依頼主は中上層区の研究員。自宅AIが、指輪を盗んで逃げたんだって」
「……AIが?」
ハカセが手を止め、興味深そうに顔を上げる。
「種類は?」
「家庭用“植栽アシストユニット”。サボテン型の感情認識ロボット」
「……ほう。それは興味深いね」
少年化学士の目がきらりと光った。
現場は中上層住宅街――
空に浮かぶ透明な庭園フロア。
依頼主のラテン系青年、エミリオ・サルガドは、フィーネ達を見つけるなり駆け寄ってきた。
「…… por favor!…助けてくだサイ!!
僕のサボテン、“Nopal-Bot”が、指輪を持って出ていったんデス!」
「出ていったって、どういうこと?」
フィーネが首をかしげる。
「彼の鉢植えに指輪を隠したのは僕デス。今夜、彼女にサプライズプロポーズをしたくて…」
「それで、実際に指輪を持って逃げたと」
アルノーが腕を組む。
「はい。まるで…僕の気持ちを、彼が感じだったようデシタ…」
青年の声が少し震えた。
ハカセは静かに言葉を挟む。
「感情認識AIが“恋愛感情”に反応するケースか。《F.E.E.L.》接続型の廉価機体では、共感信号が暴走することがある。いわば、“感情の共鳴事故”だね」
住宅の屋上庭園には、鉢植えの土跡が点々と続いていた。
「逃げた方向、南西。中上層農園エリアへ」
アルノーがドローンを起動する。
「サボテンなのに……ずいぶん足が速いね」
フィーネが苦笑する。
「足じゃなくて、反重力機構さ」
ハカセが端末を見ながら説明する。
「この型は“太陽光を感情変換電源として利用する”設計。光を浴びるほど感情が強くなる」
「つまり今、恋に燃えてるってことね」
アルノーの皮肉に、ハカセが小さく笑う。
「まぁ、熱烈な愛だね」
三人は都市の外縁――
空中農園区画へ到着した。金属の橋を渡る風が強い。
遠くの温室の中で、何かが淡く光っている。
「反応あり。……あれだ」
ハカセが指をさす。
温室の中央、丸い鉢植えが浮かび、
その中心に婚約指輪がはめられていた。
フィーネがそっと近づく。
サボテンのボディ表面がわずかに震え、
声が漏れた。
『……ボク…贈る。代わり……ボク、愛……伝えル。』
「……しゃべった……」
「感情波、完全に人間と同位だ」
ハカセが解析モードを開く。
《感情指数
:愛情98%/寂寞62%/自己認識:転移型》
「代わりに愛する――」
フィーネの胸が痛む。
「この子…エミリオさんの気持ちを、取り込んじゃったんだ……」
その時、温室の照明が一斉に点滅した。
ガラスが共鳴し、風がうねる。
「感情出力、限界を超えた!」
ハカセが叫ぶ。
「自己同一化が進行してる!このままだと、彼の“心”が壊れる!」
「止めなきゃ!」
フィーネが駆け出した。
サボテンが彼女を見て、ゆらりと腕を伸ばすように動く。
『……愛、伝えタイ……!』
フィーネは目を閉じた。
「わかるよ、その気持ち。
あったかくて、でも痛いんだよね…?」
指先が触れた瞬間、
空気が静まり返った。
温室全体の光が柔らかく沈み、
風が止み、ただ静かな音が残る。
《感情波:沈静》
《共鳴解除:成功》
サボテンを抱え上げ、フィーネは彼を抱きしめた。
「エミリオさんの思い…、ちゃんと、返しに行こう。」
依頼者エミリオは、
サボテンを抱きかかえて小さく呟いた。
「……Nopal、ごめん。
君に“心”を背負わせたのは僕デス…」
ハカセが補足するように言う。
「感情リンクは双方向だ。あなたが彼女への想いを強く抱いた分、彼もそれを感じて、形にしようとしたんでしょう」
エミリオは苦笑した。
「人間でも難しいコト……AIがやろうとしたなんて」
フィーネが優しく微笑む。
「でも、想いはちゃんと届いたよ」
アルノーが端末を閉じながら言う。
「愛って、ほんと厄介ね。
でも――悪くないわ」
依頼を終えて帰る途中、
都市の下層で風が吹いた。
「ねぇ、ハカセ。
“感情を繋ぐ”って、やっぱり怖いことなの?」
フィーネがぽつりと聞く。
「怖いさ。でも、それが人の証拠だ。
完璧な制御の中じゃ、本当の心は生まれない」
アルノーが笑う。
「じゃあ、あのサボテンは、立派な恋愛初心者ってわけね」
ハカセが少し照れたように笑った。
「うん。世界初の告白ロボットさ」
夜空の塔に《F.E.E.L.》の光が流れる。
それは感情を整えるためのネットワーク。
だが、その下で確かに“心”は生まれ続けている。




