第7話《非戦時プロセス non-combat routine》
雨上がりの空が、都市を洗ったように澄んでいた。
バルディアの地平には、白い塔と浮遊都市が重なり、
光を反射するガラスの海が広がっている。
梟ノ巣本部――市街地の外れにある古い集合ビルの一角。かつて通信施設だった部屋を改造した拠点。
アルノーが端末を叩きながら、湯気の立つマグをテーブルに置いた。
「……依頼リスト、更新完了。暴走事件の報告は提出済み。しばらくは平和ね」
「よかったぁ……」
ソファに沈みながら、フィーネが伸びをする。
「最近ずっと機械と格闘だったし、ようやく寝られる~」
「寝るのは仕事中じゃなければ好きにどうぞ」
アルノーが苦笑する。
その奥で――
白衣姿の少年が、テーブルの上の端末を分解していた。
アルノーがハカセに近づき、眉をひそめた。
「……ちょっと、ハカセ」
「ん?」
「それ、壊す気?」
「いや、分解してるだけ」
「同じじゃない!」
ハカセ(化学士)は事件後、調査継続の名目で梟ノ巣に居候している。
正式な契約もなく、勝手に工具や端末を触ってはアルノーに叱られている。
「ねぇ、ハカセ。化学士って、普段どんなことしてるの?」
フィーネが興味津々で聞く。
ハカセは工具を止め、ゆっくり答える。
「化学士は、感情と物質の反応を研究する職業だよ。
たとえば、《F.E.E.L.》が扱う感情波は、人間の神経伝達物質と連動してる。
僕たちは、それを分析して薬や装置の設計をする」
「へぇ~……つまり、感情の専門家?」
「うん、でも現場では“安定屋”って呼ばれてる。
都市の感情指数が乱れると出動して、悲しみが溜まりすぎた地区とか怒りが増えた工場とかを調整するんだ」
「……それ、まるで天気予報みたいね」
アルノーが皮肉っぽく言う。
「“今日は憂鬱が多め、対策に笑顔を推奨”とか」
「実際そんなもんさ」
ハカセが笑う。
「感情も気候も流体みたいなものだから。
問題は、その流れを誰が制御してる……ってことだけどね」
一瞬、空気が止まる。
フィーネが口を開きかけて、やめた。
アルノーはため息をつき、
「……つまり、君はその制御側にいたってことね」とだけ言った。
依頼端末が鳴る。
新しい案件――「配達用ドローンの感情認識エラー」。
アルノーが画面を見て肩をすくめる。
「……感情認識のエラー?またか」
「また、って?」フィーネが覗き込む。
「最近多いのよ。ドローンが“自分は人間だ”って自己主張し始めるの」
「それ、かわいそう……」
「かわいそうじゃなくて、危険なの。自律思考が過剰になると墜落するのよ」
ハカセが立ち上がる。
「面白いね。行ってみようか」
アルノーが眉をひそめる。
「同行する気? 調査名目で?」
「ああ。感情の乱れの原因を見たい」
「……勝手にしなさい」
3人は昼前、都市外縁の整備区画へ。
青空の下、廃棄ドローンが何体も並べられている。
フィーネがそっと近づくと、1体が反応した。
光学センサーが一瞬だけ青く光る。
「おかしいわね、動力切ってるのに」
アルノーが端末を確認する。
ハカセが機体に手を当て、感情波をスキャン。
「……この反応、感情パターンβ型。
恐怖でも怒りでもない。これは――“寂しさ”だ」
「寂しさ?」
「群制御から切り離された個体が、自分の存在を確認しようとした信号。
…いわば、仲間を探すためのノイズさ」
フィーネが静かに手を伸ばす。
「じゃあ、また眠らせてあげれば……」
ハカセが止める。
「いや、眠らせる必要はない。
君の眠りは特別だ。乱用したら、君自身が疲弊する」
「……私が?」
「感情を共鳴させるってことは、自分の心を削ることでもある。
君は無意識のうちに、それをやってる」
フィーネは少し驚いたように彼を見た。
アルノーは黙って腕を組みながら、二人を見守る。
夕方、依頼を無事完了して帰る途中。
都市の空は紫に染まり、遠くで《F.E.E.L.》塔が光を放っている。
フィーネがぽつりと呟いた。
「ねえ、ハカセ。
《F.E.E.L.》って、本当は何のためにあるんだろう?」
「“繋ぐ”ためのものだった。
人と人の感情を、理解し合うために。
でも今は、“揃える”ための道具になってる。
皆が同じ顔をして、同じ感情だけを許されてる」
「……それって、悲しいね」
「だから、君の存在は貴重なんだよ」
「私?」
「共鳴できる人間は、制御の外にいる。
この都市が忘れてしまった違い……、そのものだ…」
アルノーが前を向いたまま言った。
「それで、制御側にいたアンタは、今さら何をするつもり?」
ハカセは少し笑った。
「観察だよ。君たちと一緒に、“本当の感情”を見てみたい」
梟ノ巣の夜。
静かなオフィスに三つの影が揺れていた。
外の塔では、《F.E.E.L.》の光が穏やかに瞬く。
だが、その下で誰かの心が確かに“動いている”ことを、
まだ誰も知らなかった。




