第4話《遮断領域isolated zone》
ノイズが消えた。
病院の空間から、音という音がすべて消えた。
外の世界が存在しないような静寂。
その中で、ただ三人の呼吸だけがあった。
「……これが《遮断》?」
フィーネの声は、自分の鼓動よりも小さく響いた。
少年がうなずく。
「都市中枢の感情制御ネットとこの施設を繋ぐ全信号を切った。…今だけ、誰にも見られずに話せる」
アルノーが腕を組む。
「感情制御を切るなんて、正気じゃないわ。この都市じゃ、それだけで重罪よ」
「だから、今だけだ」
少年は目を伏せた。
「……けど、君たちのやってることも似たようなものだろう?梟ノ巣の便利屋さん」
「……ずいぶん詳しいのね」
アルノーの声が低くなる。
「情報を漁るのは、化学士の仕事の範囲外じゃない?」
「観察と分析。どんな反応を示すか、知りたいだけだ」
彼は端末のモニターに小さな波形を映す。
青い線が、心拍のように脈打っている。
「この波は、さっき暴走した装置の感情パターン。
恐怖と喪失の化学式が重なっていた。
感情は単なる電気信号じゃない。
思考と生体反応の組成式――つまり、“化学”なんだよ」
やがて警告音が戻り、照明が明滅を始める。
遮断の三十秒が終わる。
「再起動だ。もうすぐ《F.E.E.L.》が戻る。
ここから先は、何も聞かれてはいけない」
「誰に?」
フィーネが問うが、少年は答えなかった。
光が戻り、病院の電力が再稼働する。
騒音が一気に流れ込み、現実が戻ってくる。
「……説明してもらえる?」
アルノーが言う。
「アナタ、本当に何者?」
少年はポケットから黒い腕章を取り出した。
青いホログラムの紋章が輝く。
《CHEMICALIST-調査局所属:フリー契約》
《立入権限・Bランク認可》
「上級化学士。調査任務で来た。
ここ数日の異常値を報告したが、上層は動かなかった。……だから、自分で来たんだ」
「フリー契約……?」
アルノーの眉が動く。
「化学士は企業や政府の指示で動くはず。
勝手に現場を嗅ぎ回る奴なんて、聞いたことがない。」
「正式許可は取ってる」
少年は穏やかに笑った。
「ただ、許可の出所は……君たちが気に入らないところだろうね」
アルノーが息を吐く。
「やっぱり、怪しいわね」
フィーネが二人の間に入った。
「でも、助けてくれたのは確かだよ。
あの機械……私、怖かったけど、あの人がいなかったら止められなかった」
「……あの人?」
アルノーが皮肉っぽく言う。
「名前も名乗らない相手を信じるの?」
フィーネは少しだけ考えて、
「じゃあ、呼び方をつけよう」と笑った。
「“ハカセ”でいい?なんか、何でも知ってる人って感じするし…」
少年は驚いたように目を見開いたあと、小さく笑った。
「好きに呼んで」
アルノーは肩をすくめた。
「まったく、フィーネ。そうやってまた変なの拾って……」
病院の廊下に、外の光が差し込む。
冷たい光が、三人の影を長く伸ばした。




