エピローグ 探索者の生活
――それから、数年後。
かつて彼が一人で暮らした、殺風景な探索者寮の部屋は、もうない。
今は、仲間と共に暮らす、日当たりの良い、少しだけ広いリビング。そこが、彼の新しい「家」だった。
「ぬ……今のはおかしい」
ソファは、すっかり蒼葉の指定席だ。
彼女は今日も今日とて、最新型の携帯ゲーム機に没頭している。
「おかしいね~!」
その周りを、数年前より少しだけ炎の輪郭がはっきりしたカガリが、楽しそうに飛び回っていた。
(ゲームハマりすぎだろ)
綴は、そんな二人を横目に見ながら、タブレット端末で探索者向けの掲示板を眺めていた。
「……ん?」
そこには、昔と変わらず「外れスキル持ちが引退した」というスレッドが、心無い言葉と共に流れていく。
「……なぁ、蒼葉」
「んー?」
「なんで協会は、スキルの本当のことを教えないんだ?」
その問いに、蒼葉はゲーム画面から目を離さずに、気だるげに答える。
「……昔は、教えてたらしい。でも、結果は同じだった」
「……同じ?」
「そう。……本人がどれだけ自分のスキルを信じようとしても、周りが『外れ』だと笑う。その視線に耐えきれず、ほとんどの人間は、結局心を折られて辞めていった。……善意で教えた真実が、逆に彼らを長く苦しめるだけだったんだ」
蒼葉は、ふぅ、と息を吐く。
「だから、協会はもう、言わない。『言っても意味がない』から」
彼女は、ゲーム画面からちらりと綴に視線を移した。
「……つづるは、抗ったから、今がある」
「そうだな」
綴は、静かにそう肯定した。その隣で、蒼葉も「うん」と満足げに頷く。
「つづる、偉い!」
カガリからの素直な賞賛に、綴は「はは、ありがとうな」と、ようやく照れ臭そうに笑った。
彼は、その温かい肯定を胸に、静かに掲示板のウィンドウを閉じた。
そして、代わりにフォトギャラリーを開く。
画面をタップすると、一枚の写真が表示された。
――協会から貸与された自律撮影ドローンが撮った、先日の休日のワンシーンだ。
写真の中央には、夕月の娘が、カガリをちょこんと肩に乗せ、隣に座る綴の冒険譚に瞳を輝かせている。その小さな手は、彼の服の裾をぎゅっと握っていた。
そんな娘に懐かれて、綴は嬉しそうに、それでいて少し困ったように苦笑している。
テーブルの向かいでは、蒼葉が山盛りの食事に夢中でカメラに全く気づいておらず、その全てを、穏やかな目の男――夕月の夫が、微笑ましげに見守っている。
そして、そんな夫の横顔を、夕月自身が、この世で最も優しい顔で、見つめていた。
「……いい写真だな」
綴がぽつりと呟くと、ソファの蒼葉が、ゲーム画面からちらりと視線を上げた。
「……冴宮夕月の旦那。今も最前線で活躍してる、本物のトップランカー」
「ああ。俺なんかとは比べ物にならない」
綴は、写真の中の、自分よりも年上であろう男の顔を見つめた。
(……ダンジョンでは、年齢なんて関係ない。ただ、強いか、弱いか。それだけだ)
その穏やかな声は、数年前の、地獄を乗り越えたばかりの男のものとは思えないほど、晴れやかだった。
彼は、その写真を夕月に送信すると、立ち上がった。
「蒼葉、カガリ。行くぞ」
・・・・・・・・・・
三人が、奈落門の前に立っている。
始まりの日に見た、不気味な地獄の顎。
だが、今の綴の目には、それは仲間と共に挑むべき、「冒険の入り口」に見えていた。
「新しいダンジョン……。ふふ、夜の景色が楽しみだな」
蒼葉が、心底楽しそうに呟く。
「まずは昼の探索からだ。無理はしない」
綴が釘を刺すように言うと、蒼葉は少しだけ口を尖らせた。
「分かってる。……で? 今回も二泊三日?」
「ああ、そのつもりだ」
「たのしみー!」
肩の上で、カガリが嬉しそうに跳ねる。その様子に、蒼葉も口角を上げた。
「じゃ、夜は任せたよ、リーダー」
「つづる、リーダー!」
「だから、そのリーダーってのはやめろ!」
二人のからかうような声に、綴のツッコミが響く。
彼は、マイペースな二人の仲間に挟まれ、苦笑しながらも、前を向く。
彼の新しい人生の旅路は、まだ、始まったばかりだった。
『外れスキルなんて……』 完
『外れスキルなんて……』を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
この物語が、今、何かと戦っているあなたの、
小さな「いのちの灯火」となれたなら、それ以上の喜びはありません。
それでは、改めて。
本当に、ありがとうございました。
また、どこかの物語でお会いしましょう。




