表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/15

第十二話 生への渇望

第十二話 生への渇望


「立てる?」

「……ああ、なんとか」


 声に促され、綴は軋む体に鞭打って立ち上がる。短剣を構え直し、横目で助け主の姿を盗み見た。

 

 身長は170cm後半の綴より頭一つ低い。

だが、その華奢な体躯から放たれる存在感は、目の前の巨獣にも劣らないほどだった。


 綴は思考を目の前の敵に戻す。巨岩を放った反動か、土岩熊(テラブルベア)は肩で息をしながら、こちらをただ睨みつけている。

 好機か? 一瞬、踏み込もうとして、綴は寸前で思いとどまる。


 違う。自分一人では火力不足だ。そして何より――今はもう、一人ではない。


「時間稼いで」


 気だるげな声が、作戦を告げる。


「……ああ」


 綴もまた、短く応じた。

 その言葉を合図にしたかのように、土岩熊(テラブルベア)の敵意が完全に二人へと向く。獣が攻撃態勢に入るのと同時に、綴もまた前に出た。


 これまでは延命のための回避(ダンス)だった。


 だが、今は違う。

 

 背後にいる彼女が力を溜めるための時間を稼ぐ。

そのためには、ただ避けるのではなく、攻めて敵の意識をこちらに釘付けにする。


――本物の盾役(タンク)の仕事だ。


 ゲームで、配信で、嫌というほど見てきた動き。


 綴は恐怖をねじ伏せ、獣の懐へと飛び込んだ。

 

 狙うは、分厚い岩の鎧が途切れた、剥き出しの脇腹。


「シッ!」


 短剣が浅く、しかし確かに肉を切り裂く。


(そうだ、こっちを見ろ!)


 痛みからか、獣の血走った目が、初めて背後の女から完全に外れ、眼前の綴だけを捉えた。


 獣の大振りな爪撃を紙一重で潜り、脇腹に再び一閃。すぐに後方へ跳び、距離を取る。この、あまりにも無謀な攻防の繰り返し。


『ぼん!』


 腕を走る痺れをカガリが即座に癒す。倒れないどころか、的確に傷を増やし続ける目の前の小虫に、土岩熊(テラブルベア)の怒りがついに沸点を超えた。


「避けて」


 有無を言わさぬ、静かな命令だった。

その声に従い、考えるより先に体が動く。横っ飛びに地面を転がった瞬間――


 ゴウッ、と鼓膜を突き破るような轟音が響き渡る。巨大な槍が横を通り過ぎるだけで、凄まじい風圧と絶対零度の冷気が彼を襲った。


「うげっ!?」


 もはや受け身も取れず地面に叩きつけられ、今度こそ意識が飛びかける。


 霞む視界の先で、土岩熊は悲鳴を上げる暇さえなかっただろう。

氷槍は、分厚い岩の鎧を紙のように貫き、その巨体を背後の岩壁に縫い付ける。バキバキと全身が凍結していく音が響き、次の瞬間、獣は光の粒子となって霧散した。


 あれほど戦場を支配していた巨獣が消え、絶対的な静寂が訪れる。


『おわったー……』


 胸ポケットから聞こえる、疲れ切った相棒の声。


 それが、張り詰めていた綴の意識の糸を、ぷつりと断ち切った。視界が暗転し、彼の体はゆっくりと横に傾いていく。


 彼の意識が途切れる、まさにその寸前。


「……つかれた」


 凛とした響きはそのままに、しかし芯の抜けたような声が聞こえた。見れば、先ほどの圧倒的な存在感はどこへやら、女は白木の杖に全体重を預けてふらりとよろめき、やがて糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。


「だ、大丈夫か!?」


 綴は地面に倒れ込みたい体を無理矢理引きずり、彼女の元へ駆け寄った。


「……ん。……ちょっと、魔力切れ」


 女は目を閉じたまま、か細い声で呟く。


「……あったかいの、だせる?」

「へ? あったかいの……?」


 要求の意味は掴めない。だが、今の自分が出せる「あったかいもの」と言えば……。

綴は、半ば自棄になりながら、個有(イデア)を発動した。地面から『焚火』がパチパチと音を立てて現れる。


 その暖かな光と音に、女の険が取れ、ふにゃりと表情が緩んだ。


「んん……いやされる……」


 命の恩人。規格外の魔天(マギル)の使い手。

その張本人が、今、目の前で焚火にあたってとろけている。

 

 あまりの光景に、綴は自身の疲労も忘れ、ただ呆然とするしかなかった。


「……ちょっと、休憩」

「はぁ!?」


 ダンジョンのど真ん中で!? 綴は声にならない叫びを上げるが、女は気にも留めない。


「……だいじょぶ」


 まるで彼の心を見透かしたかのように、女は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


 それが、彼女が言い残した最後の言葉だった。

すー、すー、と穏やかな寝息が聞こえ始める。


 規格外の力を持つ恩人。それなのに、ダンジョンのど真ん中で無防備に寝息を立てる女。

 

 綴は、疲労困憊の頭を抱え、静かに呻いた。


「……どうしろっていうんだよ」


 答えなど、あるはずもない。

綴は、元凶である二人へと、半ば呆れた視線を向ける。


 一人は規格外の力を持つくせに無防備に寝息を立て、もう一人(?)は胸ポケットの中で、同じように『すー、すー』と安らかに眠っている。


 そのあまりにも呑気(のんき)な光景と、パチパチと響く焚火の音を聞いているうちに、張り詰めていた緊張が馬鹿らしくなってくる。

 

 綴の瞼もまた、そこにあるのが当然だと言わんばかりに、ゆっくりと落ちてきた。


「いや……でも、さすがにここで寝るわけには……」


 そう頭では分かっているのに、三徹明けのように、脳からの指令を体が拒絶していた。

 

 綴は、ついに抗うのをやめ、地面に大の字に倒れ込んだ。


 見上げた空は、燃えるようなオレンジ色に染まり、まもなく夜が来ることを告げている。


 脳裏に、昨夜のあの影が過る。背筋が凍りつきそうになるが、パチパチと穏やかに響く焚火の音と、隣から聞こえる二つの寝息が、その恐怖を優しく溶かしていくようだった。


(不思議なほど、穏やかな気持ちだ……)


 その穏やかさが、逆に今日一日の失敗を鮮明に思い出させた。


(訓練所で一回、昨日の夜に一回……そして、今日で三回目か)


 死にかけた回数を指折り数え、綴は自嘲する。

自分の力ではないものに期待し、また死にかける。


 本当に、進歩がない。


 『()()()()()()』か、それとも『()()()()()()()()』か。


(どっちにしろ、次はない、か……)


 こんな状況でことわざを並べている自分の呑気さに、悲しみを通り越して、乾いた笑いが込み上げてきた。


「はは……ああ、本当に、反省しないな、俺」


 自嘲の言葉とは裏腹に、心は不思議なほど穏やかだった。自分は生きている。


 こうして、燃えるような夕空を見上げている。


(もう、ただ空を見上げて絶望するのはごめんだ。でも、この空を綺麗だと感じられる心まで、失くすのは嫌だ)


 その時、心の底から、本当の願いが浮かび上がってきた。


(……そうか。俺は……)


 頬を撫でる夜風が、心地いい。岩壁に叩きつけられた背中はまだ痛む。

だが、その痛みこそが、自分が今、ここに生きているという何よりの証拠だった。


「……やっぱ、死にたく、ねぇな」

 

 ぽつりと、本音がこぼれた。もっと生きたい。もっと、この景色を、この世界を、見ていたい。

 

 その純粋な渇望が、綴の口元に、二年ぶりとなるかもしれない、心からの笑顔を浮かばせた。


 そんな感傷に浸っていると、隣から聞こえてくる寝息が、やけに耳についた。


「すー……」「『ぴー……』」


(……こいつら、本当に寝てるのか?)


 ツッコミを入れる気力も、もはや残ってはいなかった。瞼が落ちる。


(ああ……風が、涼しい……)


 それが、綴の最後の思考だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ