第十話 勘違い大馬鹿野郎
「!」
「うおっ」
焚火の精霊は、ぴょーんと宙に浮き、何かを一生懸命伝えるように、身振り手振りをする。
自分を指差し、次に綴を指差す。綴は何をして欲しいのか全く分からなかったが、時間が経つと、不思議と、その小さな体の込められた意思を理解した。
そして、「ああ」と声を漏らす。
「名前、か?」
「!!」
精霊は、ぴょんぴょんと喜びを全身で表現し、丸い手で頭上に大きな丸を作る。
「名前ねぇ……」
うーん、と、綴は腕を組み、焚火の精霊をじっと見つめる。
(苦手分野だな、こういうの)
綴は、どうにか思考を巡らせ、頭を捻るように考え始めた。
(スキル『焚火』から生まれた、『焚火』の……分身、みたいなものか?
だとしたら、やはり火にまつわる名前がいいだろう。精霊の頭で燃える炎は、夜の闇を照らす道しるべ……さながら、『篝火』、か……)
うーんと、綴はまたしても頭を悩ませる。
どうやら、『篝火』という名は、精霊の愛らしい姿には仰々しく、しっくりこないようだった。
もっと、まるでゲームのキャラクターのような、愛らしくて呼びやすい名前がいい。
綴はそう考えた。
(篝火……かがりび……かがり……)
バッと、綴の顔が閃きを宿したように上がる。
「……よし、決めた。お前の名前は、今日から【カガリ】だ」
割と安直ではあったが。
「!!」
どうやら、焚火の精霊【カガリ】は、その名が気に入ったようだ。
綴が名前を告げると、カガリは一瞬動きを止め、全身の炎を、これまでで一番大きく、そして美しく輝かせた。チリン、チリン、と。彼女から発せられる音は、もうただの木の爆ぜる音ではない。祝福を告げる、清らかな鈴の音にも聞こえる。
(……かわいい)
カガリは心地よさそうにパチパチと音を鳴らし続ける。
(……やばいな、こいつ。めちゃくちゃかわいい)
焚火の近くで、精霊が踊り、三十路の男がそれを見て、自然と口元を緩めていた。
絵面的には、なんとも言い難い光景ではあるが、綴の傷ついた心は、だいぶ癒されているようだった。
ひとしきり、カガリの舞を楽しんだ後、綴はそう言えばと、何かを思い出したかのように呟く。
「なあ、今まで『使って』とか、昨日の夜、俺を助けてくれたのは、もしかして……」
「!!」
「私だよ」と、伝えるかのように、カガリは得意げにドヤァのポーズを決める。
(もしかして……カガリがいれば!)
綴の瞳が、希望に満ちた光を宿した。昨夜の絶体絶命の危機を救ってくれたのは、間違いなくこの精霊の力だ。つまり、この『焚火』は、カガリという精霊を使役するためのスキル。
そう考えた瞬間、彼の胸に確かな手応えが生まれた。
「お前がいれば、この俺でも、ソロで探索者として生きられそうだ」
「??」
カガリがいることで、独り言ではなく、まるで会話を楽しむかのように、綴は言葉を紡ぐ。
綴が会社を辞める直前、裏切りにも近い上司と周囲の人間たちの行いが、彼の心に深い傷を残していた。
そのため、パーティーを組むことをどうにも躊躇する。
訓練生時代にも、何度か声をかけられたことはあったが、彼は決まって丁寧に断り続けてきた。
『三十路のおっさんとパーティーなんか、組まないほうがいいぞ』
それは、彼が自分自身に言い聞かせる、断りの決まり文句だった。
そうして、綴はソロの道を選んだのだ。
それでも、やはり心のどこかで、誰かと共に探索をしたかったのだろう。
カガリという存在は、綴の傷ついた心を癒し、まるで最強の相棒を得たかのように、彼の口元に柔らかい笑みを広げる。
「さて、そろそろ行こうか、カガリ」
「!!」
綴の肩にちょこんと乗り、カガリはぴょんぴょんと跳ねる。
パチパチと耳元に聞こえてくる『焚火』の温かい音を感じながら、綴は帰り道を探して歩き出した。
・・・・・・・・・・
道中、魔物と遭遇しても、もはや昨日のような恐怖を感じさせる動きはない。
「はあ!」
「シャア!!」
綴は的確に、大毒蛇を葬っていく。
一度の死を乗り越えたことで、綴の動きは明確に洗練されていた。
かつてあった堅い緊張もなく、自分の体を自由自在に操り、敵の攻撃を予測し回避し、止めを刺す。
「らあ!」
「しゃあぁ……」
大毒蛇は倒れ、その体が黒い粒子となって地面に還っていく。
「!!」
戦闘が終わるや否や、カガリが祝福の白い炎の姿に変化し、綴の肩からふわりと降り立つ。そして、落ちたばかりの魔石の近くで、ぴょんぴょんと小躍りを見せる。
「はは、ありがとうな、カガリ」
「!!」
カガリは声にはならない独特な音を奏でる。それは、まるで喜びを歌っているかのようだ。
意外と感情豊かな精霊だなと、綴はカガリを見て、親戚の子供をあやすように優しく微笑む。
「にしても、これで五体目か」
一人ではあれほど慎重だった綴だが、今では大胆かつ迅速にダンジョンを移動し、出会う魔物を狩り続けた。カガリは近くにいる魔物を感知できるらしく、不意打ちを喰らわなくなったことも、大きい。
攻撃の予測もなんとなくできるのか、互いの心を通して、危険そうな立ち位置を教えてくれる。
「カガリがいると、今まで踏み込めなかったところまで、踏み込めるようになるな」
「お前さんは本当に凄いよ。昨晩の死闘といい、サポートが徹底してるなんて、まるでチートだろ」
「??」
カガリは綴の言うことが理解できていないのか、首を傾げ、綴をじっと見つめる。
しかし、当の綴本人は、カガリの立ち振る舞いをあまり気にしていないようで、丁寧に魔石を拾い上げた。
「とにかくすごいって意味だ、カガリ」
「!!」
誉められて、さらに喜びの舞を見せるカガリを、綴は思わず笑って見つめる。
「まあ、でも、それくらいのハンデはほしいよな。
ソロの三十路なんだから、これくらいのヨイショはしてもらわないと」
「???」
喜びの舞を止めたカガリは、またしても木の実で模した瞳で、綴をじっと凝視する。
コロコロと表情が変化するカガリに対しても、綴は気にせず掌を差し出すと、カガリはご機嫌に掌の上に乗り、そのまま綴の肩へと移動した。
「さて、次行くか」
「!!」
綴とカガリはご機嫌な様子で、ダンジョン内を探索していく。
出口を求めて数十分。ようやく目的の場所……出口へと続く道の分岐点にたどり着いた綴は、周囲を警戒する。
その時、肩に乗っていたカガリが、突然、綴の髪を強く引っ張った。
「どうした、カガリ?」
「!!」
カガリの全身の炎は、真っ青に変色し、カガリの小さな体は恐怖と焦りで震えている。その様子に、綴は思わず周囲を見渡した。
(なんだ……何が、起きてるんだ……?)
綴の目に見える範囲には、だだっ広い草原と、不自然なほど大きな岩が一つ、ただ静かに佇んでいるだけだった。
そこで綴は、ようやく違和感の正体に気付く。最初に木漏れ日エリアに入った時、あんなにも巨大な岩があっただろうか、と。
「もしかして……」
「グウウ……」
耳を澄ませば聞こえてくる、低く、重い唸り声。
まるで何かが深く眠っているかのような、大地を揺るがす響きだった。
綴は咄嗟に近くの木の幹の裏に身を隠し、心臓が破裂しそうなほどバクバクと音を立てるのを、必死に抑え込んだ。
(なんで、まだいるんだよ!!)
そこにいたのは、紛れもない土岩熊。
昨夜、冒険者を貪り食っていた、あの光景が鮮烈に脳裏にフラッシュバックする。
青ざめ、恐怖で硬直する綴の肩で、カガリは一生懸命、その小さな体で彼の頬を擦り、励まし続ける。その温かい励ましに、綴は徐々に落ち着きを取り戻していく。
(そうだ……自分はもう一人じゃない。
自分にはカガリがいるじゃないか。何をそんなに怯える必要がある?)
綴は乱れた呼吸を整えるように、何度も深く息を吸い込む。
平静を取り戻した綴の目には、怯えは消え失せ、代わってカガリへの強い期待の光が宿る。
「もしもの時は、頼むぞ、カガリ」
「!?」
カガリは綴の言葉に、酷く焦燥した感情を露わにする。
頭の炎は小さく縮んだり、大きく膨れ上がったり、その色がコロコロと変わったりと、とにかく騒がしかった。
どう見ても焦っているカガリ。だが、綴はそんなことにはお構いなしに、一歩、また一歩と前に出る。
(大丈夫、夜のあの化け物を倒したのは、カガリの力だ。
自分なんかが手も足も出ないような相手を倒してくれたんだ。
きっと、今度もなんとかしてくれるはずだ)
その小さな精霊に、全面的に縋りながら、綴はゆっくりと土岩熊へと近づいていく。
肩に乗るカガリは、土岩熊に近づくにつれて、頭の火がみるみる小さくなっていた。
肩の上でカガリが小刻みに震えている。…怖がっているのか? まさか。あれほどの力を持つこいつが? きっと武者震いに違いない。綴は自らに都合よく言い聞かせ、歩みを進めた。
(大丈夫……起こさないように進むだけだ)
戦いを仕掛けないだけ、まだマシな判断だろう。
しかし、ここはダンジョン。綴の都合のいいように物事が進むわけではない。
バレないように大きく距離を取り、出口の方に向かおうとした、その時だった。
土岩熊の様子を横目で確認した、その瞬間。綴の動きが、ぴたりと止まった。
「……」
「……」
互いの視線が、闇の中で、確かに交差した。
(寝てたんじゃ……なかったのか……!)
数秒間の硬直の後、巨体がゆっくりと、しかし確実に動き出す。
全長4m。大地そのものが蠢くかのように巨体が起き上がると、岩と岩がぶつかり合う鈍い音がダンジョンに重く響き渡った。
一歩進むたびに崩れ落ちる土砂。
――土岩熊。
その名を付けた最初の探索者の気持ちが、今なら痛いほど分かる。あれは、ただの魔物ではない。
人の心に絶望を刻み込むために現れた、天災そのものだ。
「グアアアアアアアアアアア!!!」
「まっ、ずっっ!!」
綴の鼓膜を抉るような、土を巻き上げた凄まじい咆哮が、ダンジョンに木霊した。
昨晩の出来事により、恐怖で身体が金縛りになることは、もはやない。
だが、太古から刻まれた生物としての根源的な恐怖が、彼の脊髄を直接叩き、全力で「逃げろ」と叫ぶ。
綴は一直線に背を向け、がむしゃらに駆け出した。彼が逃げ込んだのは、人の気配が少ない木漏れ日エリアだ。
(いくらなんでも、トレインはまずい!! 絶対に、他の誰かを巻き込むわけにはいかない……!)
背後から迫る破壊音に、全身の毛が逆立つ。だが、人のいる方向へは絶対に逃げられなかった。
魔物を引き連れて他者を巻き込むトレイン行為。
その結末が、探索者としての、そして社会人としての死を意味することを、綴は知っていたからだ。
誰かの命を、自分のせいで終わらせてしまう。その一点だけは、絶対に避けたかった。
思考よりも早く、体は人の気配がない木漏れ日エリアの奥へと向かっていた。
「か、カガリ!
昨日みたいにどうにかできるか!?」
「グアアアアアア!!」
土岩熊から飛んでくる土と岩の混じった流れ弾を、必死に避ける。
その間も、綴は必死にカガリを頼っていた。この絶体絶命の状況にもかかわらず、カガリがいるという事実が、綴の心にどこか根拠のない落ち着きを与えていたのだ。
しかし、その淡い期待は、一瞬にして、無残に砕け落ちる。
『む、むりーーー!!』
「……!」
それは、子供のような、悲痛な叫びだった。
綴は、必死に髪を掴むカガリを乱暴に掴むと、まるで隠すように胸ポケットへねじ込んだ。
その時。
『それ、綴が望んだことと違う』
カガリの悲痛な声が、脳髄に直接突き刺さる。
――望んだことと、違う?
土と岩の塊を必死に避けながら、綴の脳裏を、これまでの出来事が稲妻のように駆け巡った。
自身の願いは――『自分の力で、ダンジョンに少しでも長く』
夜のあの時、死の淵で確かに叫んだではないか。『まだ、受け入れたくない』と、己の意志で運命に抗おうとした。だから、カガリは応えてくれたのだ。
だが、今はどうだ?
ただカガリの力に依存し、全てを丸投げしようとしている、この様は。
(ああ、そうか……)
自分の力で戦うことを、心のどこかで放棄していた。
「俺は……なんて、勘違い大馬鹿野郎なんだあああああああ!!!」
パリン、と。心の中で、慢心という名の最後の支柱が砕け散る音がした。希望だと思っていた光は、ただの蜃気楼。 その事実を悟った瞬間、足元が崩れて、底なしの沼に沈んでいくような感覚に襲われた。
(クソ……本当に自分が忌々しい……!)
勘違いだった。
自身の願いを忘れ、他者の力に依存した時点で、あの輝きは偽りの希望と成り果てていたのだ。
道を違えた代償は、あまりにも大きい。
彼が立っていたのはスタートラインではなく、崖っぷちだった。
最後は一気に駆け抜けます!!




