第六の手記
大人になった堤下秋人と、いつまでも成長しない松田公介。
親友を失い、心にぽっかり穴が空いた公介は、怪しげな団体に傾倒しそうになる。
倦んでいました。
堤下と距離を置いてからは、大学にもほとんど行かず、家に引き篭り、俗に言うセルフネグレクトのような形で、自堕落な日々を送っていました。
大学3年の終盤、たまたま近所のスーパーで見かけた堤下は、最早自分の知る堤下ではなくなっていました。
かつての面影は何処へやら、髪を黒く染め、短髪にして前髪をかきあげ、地味なリクルートスーツを着た、普通の男へと成り下がっていたのです。
あれほどまでに、雇われの人間を下級国民呼ばわりしていたあの堤下が、就職活動などという茶番に真面目に取り組み、なんでも宅建を取るべく猛勉強に励んでいるとか…自ら進んで、社会の犬に成り下がると言うのか!自分は心底、堤下を見損ないました。
「就職するの?本気か?」
自分は蔑視の目を向けましたが、堤下はものともせず、真っ直ぐな目をしていました。
まるで別人になった彼は言いました、「社会に出ることは怖いことじゃない」と。
現実から目を背け、いつか必ず大物になると吠えては、見果てぬ夢を見ていた1人の男が、目の前の現実を直視し、未来に向かって真っ向から立ち向かう。そんな彼の姿は、当時の自分にはあまりにも眩しく映りったと同時に、落胆もしました。
人は変われる、心持ち一つで、いくらでも。
それは美しく、素晴らしいことです。
しかし、夢を諦め、野心を捨て、初心を忘れ、かつて蔑んでいた社会の歯車たる会社員などに、自ら率先して迎合しようとする行為は、堕落とは言えないでしょうか。
もうすぐ大学4年になるというのに、学業にも専念せず怠けてばかりで、就職活動の準備を何一つしていない自分…堤下と出会った当初から何も成長せず、時が止まったままの自分…否、自分は断じて、堕落などしていません、
自分を受け容れようとせず、常識人の仮面を被った大勢の下らない人間と同化し、自分を爪弾きにした社会という名の怪物に、心を押し殺してまで迎合しようとする行為は、悪です。
やはり、堤下を見限った自分の判断は正しかったです。
彼と過ごした時間はしばしの愉悦を与えてくれましたが、もう2度と交わることはないと直感し、そして、その直感は見事に当たりました。
彼とはそれっきり、永劫の別れとなったのです。
彼と交わしたSNSの記録は全て削除し、また、彼の連絡先をブロックし、自分は、大学に行くのをやめ、酒浸りの毎日を送るようになりました。
彼に別れを告げなかったのは、もう彼とは住む世界が異なった悲しさからなのか、はたまた、唯一の友に対して嫉妬や憎悪、疎外感を感じたくなかったからなのか、自分は今でも分かりません。
しかし、堤下といい、過去に遊んできた女も然り、あれだけ密な時間を共に過ごしていたというのに、たかだかSNSのブロックボタン一つで終わってしまう程度の関係だったなんて、諸行無常…滑稽な話です。
虚しい。寂しい。自分の心は空虚そのものでした。
自分は夜な夜な、散歩ばかりしていました。
外を歩かなければ、気が狂いそうになってしまう。でも人には会いたくないから、人気のない静寂な夜に、目的もなくひたすら歩いていました。
入水自殺は苦しそうで嫌だな、飛び降りも怖いし…死ぬならやはり、首吊り一択だな、なんてことを考えながら多摩川沿いを歩きながら、対岸の武蔵小杉の高層ビル群の夜景をぼんやりと眺めていると、怪しい二人組の男女に声をかけられたのです。
夜の夕闇では隠しきれないほど肌が汚い中年のおじさんと、木嶋佳苗似のおばさんでした。
こんな夜更けに、それもこんな辺鄙な場所で、流離の無表情に声をかける狂人など、存在するわけがありません。
この時点で大体察しはついておりましたが、やはり、カルト宗教の勧誘でした。
街中等で宗教の勧誘を受け易い人間の特徴として挙げられ例で最も多いのが、暗い表情で1人行動をしている者だと、聞いた事があります。
まさしく、自分そのものではないかと、全く笑えもしない展開だというのに、思わずニヤけてしまいました。
自分は徹底した無神論者で、神や仏どころか、偽りだらけのこの世界で信じられる事など、強いて言えば、自分が欠陥人間であるという厳然たる事実のみで、カルト宗教に入信する気など、さらさらありませんでした。
しかし、心身共に限界だった自分は、文字通り藁にもすがるような思いで、もしも、僅かでも救いがあるのならば、入信せずとも、せめて話だけでも聞いてみようと、後日、団体の施設に行く事にしました。
興味本位とも言えるし、怖いもの見たさとも言えますが、まあ、どうせその内死ぬつもりだし、人生最後の社会勉強だと思って、顔くらい出してみようと思ったのです。
救いがあるのならば儲けもので、予想通りくだらないものだったならば、嗚呼、最期に良き社会勉強ができたなと、余韻に浸りながら自殺すれば良いと、安直に考えていました。
翌日の真昼に、世田谷区と大田区の狭間にある、教団の施設を訪れました(高級住宅街として名を馳せる自由が丘と田園調布の豪邸は、盲信者共のルサンチマンを爆発させていました)。
自分はまず、個室に連れて行かれ、怪文書を朗読させられた後、次は宇宙の始まり、地球の誕生、世界の成り立ちを題材にした粗末なビデオを見せられ、そのあまりの退屈さに、居眠りをしてしまったため、のちに感想を求められた際、しどろもどろとしてしまいました。
講堂では、地味な男と幸の薄い女が数人、読経している姿を見学し、胡散臭いエセ牧師の説法(質の悪い大学で、哲学の講義を受けている気分でした)を、涙を流しながら、ありがたそうに聞いている人々を見て、嘲笑していました。
自分は、他者を嘲笑するときにのみ、心から笑える卑しい人間なのです。
そんな自分が、こんな下らない連中との触れ合いがきっかけで、自分の心の中に、思いがけない正義感が眠っていた事に気付かされたのです。
盲信者の中には、子持ちの主婦が少なくなく、中には、幼い子供を施設に連れてきているものもいて、自分は、なんと不憫な子供なのだろうと、親を選べぬ子の運命に同情しました。
入信する気も無いのに施設を出入りする自分を煙たがる者(売れないホストに寄せたかのような風貌の自分でしたが、年増の女盲信者からはそこそこ人気だったため、それに嫉妬したであろう男の盲信者共からは特に嫌われており、怨念のこもった眼光で度々睨まれていました)がちょくちょく見受けられましたが、自分はそんな者共の神経を逆撫でするかの如く、意味もなく施設内を彷徨いていたのです。
ふと、座禅だか瞑想をするために用意された部屋を、誰か面白いやついないかなあ、などと考えながら覗いてみると、髪がフケまみれで、見かけるたびに同じ服を着ている小汚い少年が俯いたまま椅子に座っており、その少年の前に、ニヤけ顔の眼鏡猿のような男が立っていて、眼鏡猿は徐に、少年の顔を舐め回し始めたのです(舐め回すように見ていたのではなく、本当に舐めまわしていたのです。まるでソフトクリームでも貪るかのように)。
自分は震撼し、息を殺してその場を後にし、とりあえず一息ついて落ち着こうと、外に出てタバコを吸いました。
一体今のはなんだったのだろうか。見間違いでしょうか。眩暈がしました。
なぜ自分はその場から逃げるように立ち去ったのだろう…なぜ、あの眼鏡猿の悪事を皆に暴こうとしなかったのか、自分は少年一人も救えない、こんなにも情けない無力な男なのだと思い知らされ、希死念慮が更に加速しました。
昨日今日見知ったばかりの他人、それも、あんな小汚い小僧のために、なぜ自分が怒りを覚えなければならないのでしょうか。
これは、人間として当然の感情なのでしょうか。
他人の痛みにまるで無関心な自分は、この胸が締め付けられる様な謎の感覚に、ひどく困惑しました。
動じる必要はない、あの小僧は、そういう不幸な星のもとに生まれてきたに過ぎないのだから、その不運な宿命を、甘んじて受け入れるべきだ。
自分が子供の頃、あんな不憫な目に遭わなくて良かったと安堵するべきだ。
自分には関係のないこと…自分が心を痛める必要などない…あの小僧を救いたいなど、神のようなことを口走る資格など、自分は持ち合わせていない。
そう自らに言い聞かせ、蓋をする事にしました。
その後、自分は、教団の施設にて、炊事の当番を命じられ、初めての雑務でシチューを作り、配膳をする際、眼鏡猿のシチューに、少量のうがい薬を混入させました。
相も変わらずのニヤケ顔で上品にシチューを啜る眼鏡猿を見て、自分は優越感に浸っていましたが、食事終了後に、奴が思わぬことを口走り、自分は身の毛もよだつ恐怖体験をしました。
「松田さんがいつも暗い顔をしているのは、皆んなが普段、彼に優しくしていないからです」
そう言い終えた眼鏡猿は、その場に居合わせた30人弱の盲信者全名に、自分に対して「ありがとう」と言いなさいと命じたのでした。
彼奴等は命令通り、一人一人、順番に、悪魔が憑依した様な笑顔(土台、それは笑顔ではなく、のっぺらぼうが顔の筋肉に無理やり力を入れ、強制的に顔を皺くちゃにしたような、猿も顔負けするような代物でした)で、自分の目を見て「ありがとう」と言ってきたのです。
まるで、悪い夢でも見ているような、これが本当に現実なのかと疑うほどの恐怖でしたが、それよりも、眼鏡猿に、自分の悪辣を見破られた事による恐怖心のほうが、遥か上の段にいました。
まずもって、ありがとう、という言葉の使い方そのものが、根本的に間違っていました。
本来は他者に感謝の意を述べる際に使用されるべき言葉ですが、この時連中が自分に浴びせてきたものは、呪詛以外のなにものでもなかったのです。
後日、自分は何をとち狂ったのか、再び教団の施設に足を踏み入れたのです。
このまま尻尾を巻いて逃げ出す行為は、奴等如きに敗北した事を意味し、癪に障ったため、今度こそ、どんな手を使ってでも奴らに一泡吹かせてやろうと意気込んでいましたが、自分は完膚なきまで打ちのめされ、降伏の白旗をあげるのでした。
その日、炊事の雑務から外された自分は、また以前の様に、意味もなくフラフラと施設内を徘徊していましたが、お昼ご飯の時間になると名前を呼ばれ、ああ、自分の分もちゃんと用意してくれたのかと感心しました。
その日の昼飯のメインディッシュはハンバーグでした。
自分は子供の頃から、食事の際は、まずはメインディッシュを一口食べる癖があったため、まずはハンバーグを一口、何の疑いもなく口に運んだのですが、なんとそれは、ハンバーグなどと呼ばれる代物とは大きくかけ離れた、塩の塊でした。
自分は唖然とし、吐き気を催しました。
しょっぱいなんてもんじゃない。
そんなものを咀嚼してしまい、かと言って皆の手前吐き出す訳にもいかず、気合と意地で無理やり飲み込んでやりましたが、これが悪手で、体調不良になりました。
この具合悪さは恐怖によるものだったのか、はたまた、塩分の過剰摂取によるものなのか、否、おそらく、その両方が原因でしょう。
「松田さん、どうかされましたか?」
「今日は食欲が無いのですか?」
「とても美味しいですよ。ほら、遠慮せずに、食べなさいよ」
この盲信者共め、白々と…絶対に許すまじ!
自分は眼鏡猿を睨みつけ、宣戦布告の狼煙をあげようとしたその時でした。
自分と目が合うと、眼鏡猿のニヤケ顔は豹変し、芯からイカれた様な狂気じみた目つきで、口角を下げ、塩の塊を自分の眼前に差し出して「早く食えよ、クズ」(誰に対しても腰が低くて敬語を使い、丁寧な言葉遣いを心掛けていた眼鏡猿の聖者擬態が、完全に崩れた瞬間でした。否、自分に恐怖を与えるため、敢えて崩したのかもしれません)と、どすの利いた低い声で言ったのです。
参りました。自分は降伏の白旗を掲げ、教団から逃げ仰せましたが、その折に、ちゃっかり女を一人捕まえたのです。
3つほど年上だったか、マイという名のその女もまた、自分同様に、入信する意思が無いくせに、時折施設を訪れていた、どうしようもない女でした。
マイは神奈川の実家から家出し、男の家を転々としては、風俗店には属さずに身体を売る、フリーランスの売春婦でした。
よく寝て、よく喋る女で、この寄生虫の次なる寄生先は、勿論、自分の住むアパートでした。
女と喋る時間は苦痛です。つまらない話を延々と聞かされる身にもなってほしいです。
2人で飯を食べに行くなど、拷問以外の何ものでもありません。
この女も、今まで遊んできた女同様、退屈でつまらない女でしたが、脛に傷のあるもの同士惹かれ合い、互いの心の闇や、気苦労を分かりあうのに、時間はかかりませんでした。
マイの父親は人一倍正義感の強い、愛国心ある警察官だったらしいのですが、上官の犯した失態の濡れ衣を着せられ、それを苦に自殺したと聞きました。
マイは亡き父を語る際は、口々に、パパはこの国が大好きだったと言っていましたが、マイ自身は、この国を好きだとは一言も言いませんでした。
自分は直感しました、ああ、この女は、父を死に追いやったこの国を、社会を激しく憎悪していると、そして、自分たちは境遇は違えど、似て非なる者同士なのだと。
自分達は出会って10日も経たないうちに同棲し、その二週間後に、正式に付き合う事になりました。
齢21にして、生まれて初めて出来た彼女が売女とは、つくづく自分を情けなく感じずにはいられませんでした。
売女であるマイを内心見下しながらの、奇妙な同棲生活が始まった。