あとがき
松田公介の幼馴染である語り手の人物が、あの男と偶然地元で鉢合わせた。
或る年の春、世間が大型連休にはしゃいでいた頃、私の実家には親戚連中がひしめき合っていた。
私はどうにも昔から、あの親戚連中が一堂に会した時の独特の雰囲気が苦手で、何の恩義も感じていない爺婆から近況を根掘り葉掘り詮索されるのが鬱陶しくて耐えきれず、気分転換も兼ねて、夕暮れ時に近所を散歩していた。
すると怪しげな男が、彼の実家付近をウロウロとしているのが目に留まった。
派手な身なりの男だった。こんな田舎であんな派手な格好をした男は、まずお目にかかれない。もし時刻が真昼だったならば、悪目立ちしすぎて、近隣住民に不穏な緊張感が走ることだろう。
そういえば、数年前の成人式で見た彼は、人が変わった様に派手な格好をしていたなと、ふと思い出し、なんだ、あの男は松田公介か、彼が自身の実家の周辺を徘徊していても、何もおかしな話ではないと妙に納得した私は、ろくに確認もせず、その不審な男に「おい公介!」と声をかけたが、何と人違いだったのだ。
私としたことが、なんたる失態。
私はその男に平身低頭謝罪をしたが、男は見た目によらず、とても寛大な対応をしてくれた。
「あんた、もしかして公介の知り合い?」
そう私に尋ねた男は、名を堤下秋人といった。
そして堤下氏は、自らを松田公介の大学時代の友人だと呼称した。
なんと堤下氏は、音信不通となった彼の行く末を案じ、いつか聞いた彼の生い立ちの話をもとに、彼の実家を自力で特定し、アポ無しで訪ねてみたというのだ。
しかし彼の両親からは、遠路遥々きてもって申し訳ないが、息子は今とても人と会える状態ではないと告げられ、接見を丁重に断られたと語った。
かくいう堤下氏は、最近父親が亡くなり、元々一人っ子で早くに母親を亡くしていたため、父親の遺産と、保有していた不動産と証券を全て相続し、悠々自適な不労所得生活を送っていると言う。
なるほど、私と歳が変わらぬくせにそんな羽振りの良さそうな風体をしているのはそういう訳かと、合点がいった。
私と堤下氏は意気投合することはなかったかが、共通の話題に若干話が弾んだことで、二人で飲みにいく流れとなり、私は堤下氏を、地元の場末の酒場へと案内した。
初対面の男と、出会って二十分も経たぬうちに、2人で飲みに行く。実に奇妙な体験だった。
堤下氏は端正な顔立ちで、所謂、成金の様なタイプかと思ったが、意外と嫌味がなく、親しみやすい性格だった。
しかし、この男と彼が友達だったとは、私には俄かに信じられなかった。
性格も、何から何まで明らかにミスマッチで、二人が仲良くしている姿など、とても想像がつかなかったのだ。
私は、堤下氏から、大学時代の彼の話を聞いて驚愕した。私が知っている松田公介とは、乖離が余りにも大きすぎたからだ。
まあ、彼が大学でそれなりにうまくやっていけたのも堤下氏の恩恵があってこそで、また、女遊びにありつけたのも、堤下氏におこぼれをもらっていたからだろう。
彼が堤下氏の影に隠れ、おんぶに抱っこだったのは、容易に想像できた。
初めて彼を見た時の事を、堤下氏は決して戻れぬ昔を懐かしむかの様に、こう語った。
「第一印象は、なんか影のあるやつだなーって。俺さ、本来は暗い奴って好かないから相手にしないんだよね。でも、あいつは何か違ったんだ。人間に心を開かない野良猫でも拾っちまった気分になってさ、放っとけなかったんだよね。でもさ、急に音信不通になることねえよな。ほら、あいつって危なっかしい所あるじゃん?全く、こっちがどんだけ心配したと思ってんだよ」
こんな優しい人の想いを踏み躙るとは、全く、彼はどこまで不義理で薄情なんだと、私は憤りすら覚えた。
次に堤下氏は、しきりに彼の幼少期について、私に尋ねてきた。
私は幼稚園の頃まで記憶を遡り、小学校、中学校、高校時代まで辿り、思い出しうる限りの記憶を捻出し、堤下氏に話した。
堤下氏は時折頷きながら、静かに私の話を聞いていたが、次第に笑みが溢れていき、最後の方になると両手を叩いて、涙を流しながら大笑いをしていた。
「元気かどうかは分からないけど、とりあえず生きててくれて本当に良かった。自殺でもしちまってたらどうしようって、実はあいつの実家向かってる時怖かったんだ。結局会えなかったけどさ、あいつがまだ生きてるって知れたから、今日の所はそれで良しとする」
「いやいや堤下さん、あんな奴、いっそ死んでしまった方が本人も幸せってもんじゃないですかね?」
「あんた幼馴染のくせに何も分かってないね。あいつはさ、人一倍繊細なんだよ。ただ人付き合いが絶望的に下手くそなだけで、本当は優しい奴さ。俺、あんなに人間臭い奴、他に知らないもん」
私と堤下氏では、彼に対する印象がまるで違った。
私は彼の悪い部分だけを、堤下氏は彼の良い部分だけを語った。
言い換えれば、私は彼の悪い部分しか知らず、堤下氏は彼の良い部分しか知らないのだ。
「いつかまた会いたいな」
堤下氏は、どこか寂しげな表情でそう呟いた。
彼のエゴで、前触れなく関係を断ち切られ、連絡先もブロックされ、電話も着信拒否にされ…堤下氏は、なぜそんな奴を大事に思っているのか、私には理解の外だった。
「今まで何の手がかりも無かったが、実家を知れたのはでかい収穫だ。よし!家に帰ったらあいつ宛に、返事の要らない手紙でも書こう!」
「あの、堤下さん、どうしてあんな奴のためにそこまでするんですか?」
堤下氏は、一点の濁りもない綺麗な瞳で、こう答えた。
「決まってるじゃん。あいつは俺の大事な友達だからね。たとえあいつが俺のこと嫌ってても、それだけはあの頃から、これからもずっと変わらないよ」
もしもまた会えたのなら、あの時と変わらない二人のままでいられるのでしょうか。