第十一の手記
堕ちるところまでとことん堕ち続けた公介は、取り返しのつかないことをしてしまう。
自分は大都市の闇に姿をくらませました。
友達も、恋人も、仕事も金も、もう自分には何も残っていなかったのです。
信じれるものも、愛も、何も欲しくありませんでした。
大都会の真ん中に身を潜める者ほど、孤独なものはありません。
自分の選んだ道は、辛くて険しいものでした。
ひたすら孤独へと邁進するのみの、寒々と、荒涼とした、虚無へと通じる道でした。
弱々しく痩せ細った虚弱な肉体、艶を失った髪、そして何より底なしの貧乏ぶりを心より恥じ、外に出る事はおろか、見知らぬ人とすれ違う事すら怖くなり、とても日の当たる場所へ出れる状態ではなかったのです。
顔つきは、自分でも自覚できるほど、日に日に変貌していきました。
天真爛漫で、誰に対しても分け隔てなく優しい人が珍しく怒りを露わにし、不意に笑顔が消えた時の、あのゾクっと背筋が凍る様な顔を、常時保っている様な、そんな顔をしていました。
家賃も滞納し、年老いた大家から再三に渡り催促されては、居住権の主張と支離滅裂な暴論を繰り返し、ひどく困らせてしまいました。
唯一の居場所が無くなる恐怖心から、ついに自分は両親に金を無心するべく立ち上がり、実に5年ぶりに故郷の土を踏んだのです。
きっと、怒鳴られて門前払いを喰らうに違いない。
自分は、女を死なせて逮捕されたあの時、勘当されたのですから。
それでも自分は背に腹はかえられず、ビクビクしながらも、最後の勇気を振り絞り、恥も外聞もかなぐり捨てて、故郷の土に足を踏み入れたのでした。
思えば、この土地で過ごしていた頃の自分は、常時何かに怯えながら、いつもビクビクしていました。
辛気臭さに磨きがかかり、更に過疎化した故郷を見てショックを受けた自分は、まるで10代の頃にタイムスリップでもしたかのような、胸糞悪くなる心境に駆られました。
そんな自分を、両親はいたく嬉しそうにはしゃぎながら、暖かく迎え入れてくれたのです。
どんなに出来損ないの愚息でも、親というものは、数年ぶりに会った我が子に対して嬉しさが込み上げ、優しい気持ちになれるものなのでしょうか、子供のいない自分には分かりません。
みずぽらしい姿の自分を見ても、両親は小馬鹿にせず、何も言わずに受け入れてくれました。
温かいご飯を腹一杯食べさせてくれて、熱いお風呂に浸かり、暖かい布団の中で深夜、自分は涙が溢れて止まりませんでした。
なぜ、自分の様なダメな息子に、ここまで優しくしてくれるのか。
なぜ、そんな慈愛に満ちた優しい笑顔を向けてくれるのか。
自分がこの町にいた頃は、そんな顔を見せた事も、こんなに優しい言葉をかけてくれた事も、唯の一度たりとも無かったではないか。
なぜ今更、何故。何故。何故?
貴方たちは、一体いつから、そんな神の様になったのですか?
何故もっと早く、自分に対してそう接してくれなかったのですか?
自分が子供の頃から、今と同様、貴方たちが自分にそう接してくれていれば、自分はこんなに苦しむことはありませんでした。
もっと普通の子供の様に育ち、普通の生き方を出来たのに…否、記憶というのは、悪い出来事こそ色濃く脳裏に焼きつき、いつまでも残存しているものであるため、覚えていないだけで、自分は両親から愛されていたのかもしれません。
愛されていた?自分が?そんな筈はない…もう今頃優しくしたって遅いんだよ、何もかも、もう手遅れなんだよ。
自分は壊れました。
夜中に発狂し、部屋に駆けつけてきた父親を、女の様な細腕で殴って突き飛ばし、馬乗りになって頬に平手打ちをしたのです。
「俺がガキの頃、あんた散々こうして俺を殴ったよな!親は子供を殴っていいけど、子は親を殴っちゃいけないなんて理屈は通らないぞ!」
そして、泣き叫ぶ母親に両腕を押さえつけられ、自分はあっさりと制圧されました。
自分は何度も床に頭突きして死のうと試みましたが、今度は父に制圧されました。
自分は顔を上げる事ができず、嗚咽しながら床を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚し、父からの「ごめんな」という憔悴した声での謝罪を聞いて、ようやく顔を上げました。
少し冷静になって両親をまじまじと見ると、二人とも白髪と小皺が増え、しばらく見ないうちに随分と老けていました。
特に父に至っては、かつての威厳と圧倒的な威圧感は失われ、筋力も衰えており、首も腕も細くなり、明らかに体は弱体化していました。
そんな人に、自分は暴力を振るってしまったのです。
子供の頃、一度でいいから父を力一杯殴り、ボコボコにしてやりたいと思っていました。
完膚なきまでの復讐はさぞ気分爽快で、自分の破壊された自尊心を満たしてくれるものだろうと思っていましたが、よもやそれがこんなにも虚しく、生涯かけても拭いきれぬ罪悪感と後悔につながるものだとは、思いもしませんでした。
感情に任せて選択した物事は、全て後悔につながると、分かっていてもやめることは出来ませんでした。
結局自分は、両親から受けた悪い記憶ばかりを根に持っては誇張し、事実を捻じ曲げて逆恨みしていただけなのです。
よくよく幼少期を思い返してみると、暖かいご飯、優しい笑顔、背中を押してくれた言葉…全部全部、忘れていませんでした。思い出そうとしていなかっただけなのです。本当に取り返しのつかない外道で邪悪な悪行を働いてしまいました。
両親は説明してくれました。
自分は赤子の頃から癇癪が酷く、夜驚症のような症状が見られ、また、それらは物心がついても治らなかったと。
自分の癇癪は神出鬼没で、いつ、どのタイミングで、何が原因で発症するものなのか、皆目見当が付かなかったと言います。
しかし、頬をパチンと叩くと、正気に戻った狼男の如く、あっさり治ったと、あの時はああするより他に手段が無かったと、話してくれました。
幼少期に虐待を受けていたと自己憐憫に陥っていた自分は、それが大いなる誤解、否、錯覚だったのだと初めて知りました。
悪いのは、全て自分だったのです。
もう生きていけません。
人生など、たったの一度では、とてもじゃないが攻略不可能なものだと知りました。
もし輪廻転生というものがあるのならば、あと3回、人生をやり直したいと切に願います。
まず、一回目のやり直しでは、自分の想像しうる普通の尺度に、限りなく近い普通の人生を送りたいです。
普通の子と同じく、普通のことが普通に出来て、可もなく不可もない学生生活を過ごし、一般企業で黙々と働いて、適齢期に普通の人と結婚して子育てして、普通に満足して楽しめる人生を送る。
二回目は、芸能、スポーツ、芸術…どれでもいいから、どれか一つの業界に於いて、類稀なる才能を遺憾なく発揮し、大衆からの羨望の眼差しを一身に受け、太く短く生きる。
三回目では、気が遠くなるほど勉強して、偉くなって権力を手にし、政治団体を立ち上げて政権を奪取し、邪智暴虐の独裁者になり、自分をコケにする連中を徹底的に虐げて目に物を見せてやる。
そんな妄想をする日々を送る自分は、祖父母の暮らす古びた家の二階に住み始めました。
年老いて腰の曲がった祖父母に階段を上る力がない為、自分はかろうじて、誰にも干渉されず生きる事が出来ています。
自分は今とても幸福です。
心も感情も完全に息絶えた自分は、後は肉体を終わらせるだけになったからです。
飯を食べず、口に入れるものといえば、一日数回、水道水を少量飲むだけで、基本的にはスマホを弄りながら寝そべっているだけの生活で、徐々に肉体は自壊していくという、緩やかな自殺を試みているのです。
自分がこれまで傷つけてきた全ての人を同じ部屋に集め、無惨に朽ちていく自分の姿を、ぜひお見せしたいです。
悪臭を放つ汚い体と、酷い口臭を放つ口の匂いを、悪しき者に嗅がせてやりたいです。
そんな生活を続けているため、ミイラの様に痩せこけ、歯はボロボロになり、遂に自分は、介護をしてもらえなければ生きていけなくなったのです。
近々自分は、強制的に病院に連れて行かれ、おそらく入院生活を余儀なくされる事になるそうです。一般病棟なのか、精神病棟なのかは、定かではありません。
自分は、男にしては、それなりに美意識の高い類の人間でしたが、ここまで醜くなった自分をすんなり受け入れることが出来、自らの容姿に無頓着になったのです。
須く不細工な我らモンゴロイドが、美醜の観点で優劣を競うなど滑稽極まりないと、最早開き直っていました。
そんな死んだ様な日々を送る中でも、ごく偶に、堤下とエミリと東京で過ごした、人生最良の日々を思い出しています。
自分のこれまでの人生が最悪すぎて、ただ美化しているだけかもしれませんが、それでも、あの思い出だけが、せめてもの慰めなのです。
過去の幸福が、二度と戻らないと知る事ほど恐ろしく、悲しいことはありません。
自分はもう直ぐ三十歳になりますが、無駄に長く生きた結果、この程度の下等生物にしかなれなかった事を心より恥じ、情けなく思っている所存であります。
これ以上に晒す生き恥を、自分はもう持ち合わせておりません。
頼むから、一刻も早く終わらせてください。
手記はこれにてお終い。
最期まで救いのない男でした。