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解体心書  作者: 夢氷 城
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第十の手記

夢に挑戦するもすぐに挫折。

綺麗な人間になりたい。

友を愛し、家族を慈しむ、純白な心が欲しい。

しかし、それは叶わぬ夢でした。そもそも、夢というものは、叶わないから夢なのだと、至極当たり前のことに、気付こうとすらしていなかったのです。


カラスは白鳥にはなれず、汚水が真水に戻れないのと同じで、一度汚れてしまった心は、2度と純粋さを取り戻せないのです。


自分の心は、もう取り返しのつかない程に汚れてしまいました。


たくさんの人を傷つけ、他人の優しさを踏み躙り、挙句、人一人死に追いやってしまった事を、心より恥じています。


自分にとって、死にたいという感情は、願望ではなく、思想に等しかったです。


誰でもいいから、何も言わず、何も聞かず、そっと抱きしめて欲しい。

自分以外の誰かに愛される何者かになりたい。

自分を、この地獄から救ってほしい。

烏滸がましい事は重々承知ですが、自分はこの後に及んで、蔑み嘲笑していた他人に、救いを求め始めていたのです。


そして、自分の心には、些少の希望が残っていました。


今は辛くとも、いつかは誰かに認められ、愛され、幸せになれるかもしれない。

生きていれば、あの時死なずに生きていて良かったと思える日が、やってくるかもしれない。


そして、今の自分には何が残っているのか、模索し、葛藤しました。


貯金が尽きかけ、月三万程度の家賃すら滞納している自分にできる事…。


熟考の末に辿り着いた答えが、ずっと心に蓋をしたまま、誰にも打ち明けた事のない、作家になりたいという身の程知らずな夢だったのです。



自分は、物語を空想することが好きでした。


物心ついた頃より孤独で、その時分から身につき、二十歳を過ぎても尚続けていた唯一の趣味であり、一人遊びでもある空想。

これこそが、自分の人生を好転させる、最期に残されたの手段であり、遺された生き方だったのです。


これしかない。


自分はスマホ一台で人生を反転させるべく、幼い時分より頭の中で続けていた物語を、ゆっくり、ゆっくりと文字へと変えていきました。


慌てる事はない。この壮大な物語が世に出れば、すぐに億の金が手に入る。

自分は間違いなく天才なのだから、すぐに大手出版社が、大慌てで自分との契約の争奪戦を始めるに違いない。

あのハリーポッターをも超える不朽の名作にだってなり得る潜在能力を、自分は秘めている筈だ。

巨万の富を得れば、今度こそ本当の意味で、これまで自分を見下してきた連中を、遙か高みから冷笑出来る。


よし、作家になったら、堤下に連絡して、あっと驚かせてやろう。

エミリにも連絡して、過去の出来事は水に流し、今度こそ真の愛を育み、プロポーズしよう。


現在、底辺を這いつくばっている自分は、あの二人に連絡できる様な身分でもないし、二人に合わせる顔すら持ち合わせてはいないけれども、いつか必ず、この大いなる野望を成就させ…!


自分は自身の将来のことを考えると、興奮して眠れませんでした。


生まれて初めて何かに没頭し、血湧き肉躍る感覚を覚え、自分は文章を書くことが、空想と同じくらい大好きになったのです。


特に力を込めたのが、主要登場人物の特性を書く事でした。


自分は、自身の胸を切り裂き、抉り出した心を分散させることで、自分の中に眠る本性、狂気、正義感、僅かに残る真っ直ぐな部分、破滅衝動…様々な特性をキャラクターに割り当て、自分自身を投影させていたのですが、これがまた、自分自身の真の部分を知ることができた様な、奇妙な体験でした。

特に主人公に関しては、自分が思い描く、こんな人間になりたかったという理想像に限りなく近いものでした。



しかし、嗚呼、金がない!コンビニのATMで口座残高を見て、格差社会のリアルを突きつけられた自分は、夜月に吠えました。


未来の大作家が、こんなボロアパートで、才能を開花させる前に夢半ば餓死するわけにはいきません。


自分は創作活動を続けながら、ファミリーレストランの厨房で、調理補助のバイトを始めたのです。

自分は、所謂フリーターと呼ばれる類の人種になったのでした。

それは、恥を偲んだ末の、悍ましき無様な醜態でした。


自分は大学時代、近所の配送会社で荷物の仕分けをするアルバイトをしていましたが、そこには沢山の非正規労働者がいました。


不況の煽りで定職に就けなかったと、自身の低脳さ、無能ぶりを時代のせいにし、どこか小汚くて悪臭を放ちながら、社会の底辺に醜くしがみついて生きている連中。

彼らは、何が楽しくて生きているのでしょうか。

生きた先に、何があるのでしょうか。

大学生だった自分は、そんな彼らを腹の中でとことん見下しては、鼻を摘んで笑っていました。


人生で一度も異性からプロポーズもされず、愛された事もない屈辱たるや、その絶望は、深海よりも深い事でしょう。彼らの、世の不条理を呪った様な憎悪の眼を見て、自分は絶対にこんなオッサンにはならないぞと、強く心に決める良きキッカケになったのです。


そんな自分が、彼らと同じ土俵に立つことになったのでした。つくづく、自分の無力さを呪いましたが、自分には小説がある。自分は、彼らの様な日陰者とは一線を画す、特別な存在なんだと言い聞かせる事で自分を保ちました。


職場には、高校生をはじめ、自分よりも若い学生のアルバイトが沢山在籍しておりました。

彼らもまた、かつての自分の様に、フリーターの自分をさぞ見下しているに違いない。

因果応報というものは、本当にあるんだなと感心しました。


しかし、歳下の学生に舐められては、もう心が灼けつき、どうなってしまうか分からないので、自分は彼ら若者を威嚇し、高圧的な態度をとり、話しかけにくい雰囲気を意図的に作り出し、絶対に自分に入り込む隙を与えませんでした(自分は他のスタッフから怖がられていましたが、他者が自分に対して感じる恐怖心は、強面だとか、不良の匂いを感じるとか、そういった類のものではなく、何を考えているか見当のつかない、前触れなく他人を刺してくる様な、不気味で危険な狂人に対して抱く恐怖心に似ていたと思います)。


フリーターである自分を、絶対に馬鹿にされたくないといった、強い意思の表れでした。こうするより他手段がありませんでした。



しかし、毎度の如く、そんな自分の冷徹で謎めいたオーラに刺さった一部のスタッフから好意を持たれる事がありました。自分はただでさえ勤務態度が悪くて目をつけられていましたが、女子大生と人妻のスタッフと関係を持った事で、著しく風紀を乱した罪で、僅か一年半で追放されたのです。


その1年半の歳月をかけて、自分は一つの物語を完結させ、ネットにアップしたり、手当たり次第に企業に送りつけたり、賞に応募しましたが、見事に一つも当たらず、一円も稼げませんでした。


挫折。

自分の心は完全に折れました。それこそ、修復不可能な程に。

唯一、他者と比較して圧倒的に特化した天賦の才覚であると自負したものですら偽物で、壮大な勘違いだったのです。


そんな絶望の淵にいた自分は、再びパンドラの箱を開けて、自らを更なる地獄へと誘ったのです。


エミリのSNSのアカウントを見てしまったのです。プロフィール欄には、指輪の絵文字と、ここ最近の日付が書かれていました。


彼女は、自分とは似ても似つかない、まるで真反対の、実に男らしく、優しい目をした熊のような男と結婚していました。


自分は泣き叫びました。

涙は枯れると、次は鮮血でも出てくるのではないかと思うほどに泣きました。


そうだ、堤下!奴はどうだ。

あいつは馬鹿な男だ。自分同様、碌な人生を歩んでいないに違いない。

早速連絡して、久しぶりに会って、互いの傷でも舐め合おう。


自分は次に、堤下のSNSのアカウントを特定し、直近の投稿をパラパラっと見ましたが、余程高待遇で、良い給与を得ているのか、ドイツ車を乗り回し、自分とはまるで住む世界が違うような、キラキラと光り輝く人々とヨーロッパ各国を旅行する、楽しそうな投稿ばかりでした。



心を通わせた唯一の同性と、心から愛し合った唯一の異性。


二人はもう自分の手の届かない、遙か雲の上にいたのです。


誰も彼も死ねば良い。

何もかも壊れてしまえ。

そんなことを願いながら生き永らえる日々で、自分は一つの真理に辿り着きました。

本当に死ぬべきなのは、自分なのだと。

精神状態が極限まで追い詰められ、爆発寸前となりました。

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