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解体心書  作者: 夢氷 城
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第九の手記

エミリを愛すれば愛する程苦しむ公介。

常軌を逸した愛が、疑念へと変貌する。


エミリとの関係に不満など一切ありませんでしたが、自分はある種の歯痒さの様なものを、徐々に感じる様になっていったのです。


エミリを想う気持ちが強くなればなるほどに、自分の中で、様々な疑念が生じ、その疑念は、被害妄想へと移り変わっていくのでした。


この子は、過去にどんな男とお付き合いをしてきたのだろう。

貞操観念はしっかりとしているのか否か。


好きでもない男に体を許した事はあるのか否か。


あったとして、その男はどんな属性の人間なのか。


いいや、断じてあり得ない、こんな、淑女を地でいくような女性が、ふしだらな不貞行為を働くなどあるはずもないと、どうやら自分は、エミリを神格化し過ぎていたのです。


実は、当時の自分は大学を退学になったことをエミリには隠しており、更にIT企業に内定済みで、すでに就職活動を終えていたと嘘をついていました。


また、ボロアパートに住んでいる事もひた隠しにしており、エミリと会った日は、解散後、万が一後を付けられて住処がバレる事を危惧し、家路に着く際はわざと遠回りをしたり、自宅の半径2キロ圏内を意味もなくグルグルと徘徊した後に帰宅していました。


付き合ってからは、度々エミリの住むアパートに遊びに行っては二人で酒を飲み、泊まることもありましたが、体を重ね合う行為の最中、つい余計なことばかり考えてしまうのでした。


大好きと、真っ直ぐな愛を伝えてくれたその口で、一体どれほどの男に奉仕をしてきたのか、その恍惚に浸った力の抜けた顔を、何人の男に見せてきたのか。

酔った勢いで、変な男に汚された事はないのか。


何から何まで疑心暗鬼。自信の喪失。


遂に、自分の暴れ馬は全盛期の勢いを失い、機能を停止してしまったのです。


その事で、エミリにも要らぬ気を遣わせてしまいました。


心因性の一時的なものでしょうが、自分は屈辱感と劣等感に苛まれ、次第に、昔の自分へと戻っていったのでした。


ある日、遂に自分は、エミリのスマートフォンを、勝手に見てしまったのです。


寝ているエミリの手指を、薄氷を履む様な思いでゆっくり動かし、エミリのスマホの指紋認証を突破し、ロックの解除に成功したエミリのスマホを持ってトイレに篭りました。


自分はこの時、まずはエミリの連絡ツールアプリを見て、普段どんな人間と、どのようなやり取りをしているのかを見るつもりでしたが、何を思ったのか、まず、写真フォルダを見てしまったのです。


女友達と撮った写真や、どこか旅先の紅葉の写真など、つまらぬものばかりで興醒めしそうになったのも束の間、自分は、ある動画に辿り着いて、震撼しました。


それは、見覚えのある真っ暗な部屋で、男と行為に励む様を隠し撮りした動画でした。


見なければよかった。

世の中、知らなければ幸せなことなど、いくらでもある。

自分は自らの意思で、パンドラの箱を開けてしまったのです。


怒る事はない。取り乱す必要もない。

この動画の日付は、自分と出会うよりも前のものになっている。

よって、浮気には該当しない。


それにしてもこの動画の男、かつての堤下を彷彿とさせるほど派手な髪色で、右肩と左胸には、ワンポイントタトゥーが彫られており、なるほど、清廉潔白な淑女だと思っていたこの子は、本当はこんなチンピラみたいな男が好きだったんだと理解し、絶望しました。


この男との行為で感じた快楽は、わざわざ隠し撮りして何度も見返したくなる程のもので、また、この男の事もさぞ、彼女の目には魅力的に映っていたのでしょう。


自分はこの日、一睡もできませんでした。


女神と見紛った人が、よもやあのような男に汚されていたという事実、また、その思い出を後生大事にしていた事実は、自分の心に未曾有の災害をもたらしたのです。


もう一緒にいるのが辛い。

こんなに辛いのに、エミリを嫌いになれず、未だに執着している自分が心底気持ち悪い。

いっそ死にたい。


自分は、エミリに嫌われようと思い、嘘を自白しました。


君と出会う少し前に、謂れのない罪で逮捕されて大学を追放され、定職にも就いていない、自堕落な男だと。


しかしエミリは、自分の嘘に気がついていたと言いました。その嘘は、自分達を引き裂く理由にはならない、とまで言ってのけたのです。


エミリは、自分の手を握り、情けなく咽び泣く自分を、誠心誠意慰めてくれたのです。


この天真爛漫な女神は、哀れな仔羊を放っておけず、同情しているだけで、自分を愛しているわけではないんだと悟ったと同時に、エミリの前から消えようと決意しました。


どうかこの子が、先の人生で、その美しい心に一切の傷を負う事なく、今と変わらぬ朗らかな笑顔を絶やさない日々を送れます様に。

愛する家族に看取られ、幸福に満たされたまま、天寿を全うできますように。

自分は生まれて初めて、神様に祈りを捧げました。


自分は、人生に於ける唯一の光を失ったのです。



どん底に堕ちても、生きている限り時間は無慈悲に流れ続け、人生は続いていきます。


自分はとことん、世の中を呪いました。



誰でもよかった、などと宣い、身勝手に他者を傷つける狂人の気持ちさえも理解し、同情してしまうほどに、自分は腐っていきました。


身柄を送検されている時の、彼らの苦しみ抜いた末の表情と、当時の自分の顔つきは、怖いくらいに酷似していたのです。


自分は、狂気が形成される過程を知ってしまったのです。

狂気とは、孤独の痛みにより後天的に生み出された化け物なのです。


いや、元来人は誰しもが狂気を先天的に持ち得ており、満たされている人間は、自らの内なる狂気に気がついていないだけで、猟奇的な事を平気でする人間は、孤独により内に秘めた狂気が炙り出されたに過ぎないのかもしれません。


奴らと自分は紙一重だ。このままでは、人を殺しかねない。


自分は、癇癪を起こして人様に迷惑をかけてしまわぬ様、自らを律すると言った意味でも、極力人と会わぬように心がけ、再び引き篭もり生活を始めました。

外部とのつながり、関係を全て遮断して、つまらなく、ひっそりと生きていくうちに、自分の心は憂鬱という名の怪物に蝕まれ、食い潰されていきました。


あれほど孤独に憧れ、孤独こそ至高と、自らに言い聞かせていた自分でしたが、さすがにこの時ばかりは認めざるを得ませんでした。


孤独は痛いです。


独りは嫌だ。辛くて苦しい、出口の無い暗闇の迷路をずっと彷徨っている様な気分で、また、ここまで堕ちれば、自分はもう2度と、この苦しみから解放される事は無いのだと悟りました。


この先、こんな気持ちを抑えながら生きていかねばならないなど、これほど苦しい地獄のはありませんので、やはり死ぬことにしましたが、いざ実践しようと試みると、怖くなり二の足を踏むのでした。


自分は、生と死の両方から逃げ続ける惰弱な弱虫なのです。


こんな時、自分はなぜだか、無性に堤下に会いたくなったのです。


我が生涯最初にして最期の友よ。


君は今、何処で何をして、何を思い、何を感じていますか?無理はしていないですか?


健康ですか?幸せですか?笑えていますか?



君の華々しい人生史の、その片隅くらいには、自分は存在しているのでしょうか。

もう、自分と過ごしていた時の記憶など、早々に忘れてしまっているのでしょうか。



我が親愛なる友よ。


例え君は忘れたとしても、自分は死ぬまで君を忘れることはないでしょう。


今はただ、君の身を案じ、君の活躍と幸福を心より願っています。

自ら手放してしまった幸せ。

再び孤独な日々が始まると、かつての友、堤下に会いたいと願うようになった。

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