緊急◎サギに注意
私は製薬会社の営業マン。今日は、某大手病院に売り込みに来ている。副院長にアポイントを取ってあるので、指定された時間に商談に来た。
アポイントを取ってはあるが、30分ほど前に緊急手術が入ったとかで、あと1時間くらい遅れると、伝言があった。
院内は昼休憩らしく、看護師の私語が聞こえている。
看護師の申し送り用なのか、ホワイトボードに赤い文字で、【緊急◎サギに注意】と書いてあった。
院内で詐欺に遭った人がいたのだろうか? どんな詐欺だったのだろう? 病気や怪我で弱った人を狙うなんて、輪をかけて酷い犯罪者だ。私が一人見知らぬ犯罪者に怒っていると、優しく声をかけられた。
「お待たせしてごめんなさい。先生から、院内のレストランでお昼ごはんでもお召し上がりになってお待ちくださいと、今日のランチの食券を預かってきました。とっても美味しいので、よろしければお使いください」
「これ、先生の分なのでは?」
「時間が間に合わないそうです」
日替わりランチの提供が15時までらしく、食券を買ったとたん、手術に呼ばれたらしい。現在14時を過ぎたところだ。
「ありがたく使わせていただきます」
職員専用の食堂は、患者が入れない場所で、病院関係者や出入り業者の打ち合わせにも使うため、ランチタイム以外でも、飲み物や簡単な食事物を提供している。
受け取った食券を使い、日替わりランチを頼んだ。
それは本格的なカレーらしく、病院にありがちなアルマイトやプラスチックの食器ではなく、インドカレー屋で出てくるような金属の器に入って、カレーは2種類もあり、ニンジンの味がするドレッシングのかかったミニサラダと、ラッシーと、大きなナンまで付いてきた。
「凄いな。本格的だ」
「本場の料理人を招いて勉強しているからね」
受け取ったときの私の独り言に、返事があった。日替わりランチは、職員のリクエストでメニューが決まったりするらしい。福利厚生の一環で、多様なメニューを提供していると教えてくれた。
期待大のカレーは、見た目も味も大満足で、又食べに来たいと思わせる美味しさだった。美味しいカレーを堪能し、食休みをしていると、事務の若い女性と、貫禄ある婦長の声が聞こえてきた。
「婦長さん、なに見てるんですか?」
「ほら、れいのサギ、又来てるわ」
「えー、どこですか?」
「ほら、あそこよ、あの黒っぽい」
「あー、あれですね」
「昨日は、院長が大切にしていた をね」
「えー、それって、凄く高いって聞きましたよ!」
「又狙っているのかしらね」
「怖いですね」
何てことだ。詐欺に遭ったのは、院長なのか!? それにしてもなぜ警察に届けたり、警備を増やしたりしないのだろう? ここの院長は、それほどまでにお人好しなのだろうか?
盗まれた物については、婦長が声を押さえたので、良く聞き取れなかった。
相手の特定まで出来ている詐欺を捕まえない謎を考えていたら、大分時間が過ぎたらしく、食券を渡してくれた人が迎えに来てくれていた。
「手術、終わったそうです。想定より早く回復できるだろうと、おっしゃって、あ、患者さんのご家族じゃなかった。とにかく、手術が終わったそうです。先生のところにお願いします」
少し照れながら、先生のいる場所まで案内してくれた。この人は、待っているご家族を呼んでくることがあるのだろう。
副院長は、疲れもなく、元気に対応してくれた。美味しいカレーをいただいたことについてお礼を言うと、券が無駄にならなくて良かったと笑っていた。
商談の方は、切り替えのタイミングで使って貰えることになり、無事仕事を終えた。
「あの、こんなことを言うべきでないことは重々承知なのですが、どうしても気になるので教えてください」
「なに?どうしたの?」
「何故、犯罪者を野放しにしているのですか?」
「え!? 何の事?」
私は食堂で聞いてしまった話と、ホワイトボードの注意書の件を話した。すると副院長は笑いだし、私の勘違いを説明してくれた。
まず、婦長と事務の女性が話していたサギとは、犯罪の詐欺ではなく、鳥の鷺で、取られたのは、池にいる錦鯉の稚魚である事。ホワイトボードに書いてあったのは、大きな野生の鳥なので、感染症の予防のため、むやみに触ったり近づいたりしないようにと言う注意であると、説明してくれた。
「大変申し訳ございません。私の浅はかな考えで、疑うような発言をしましたことを、ここにお詫び申し上げます」
「いや、病院の事を考えてくれたからこその言葉だったと思うからね。むしろ、ありがとう。他にも誤解する人が出ないように、鷺って漢字で書くように伝えておくよ」
詐欺に遭った人はいなかったんだ。良かった。