星見の聖女は死にたがり
『聖女レイナ。君との婚約はここで破棄させてもらう!』
王城の一室で行われている舞踏会、その最中に第四王子エリアル・ラダフォードの甲高い声が響いた。その声に反応するように、数々の貴族たちの視線が1つに集まる。
生まれて初めて着たドレス、生まれて初めて見るようなご馳走たち。
かつて習った貴族のマナーをなんとか思い出しながら、ふわふわとした気持ちで入った会場で彼はいきなりそう言った。
『……え?』
私はそう彼に聞くのが精一杯で、頭の中が埋まっていくのを感じた。
『おかしいではないか! 聖女とはいえ、下賤の者の血を我が王族に入れるなど。これは神より与えれられた我が血族への冒涜だ!』
私は目の前が真っ白になって、背筋に熱くて冷たいものがねじ込まれていくのを感じた。
婚約を破棄? 結婚できない? そしたら、私は……。ううん。私だけじゃなくて、孤児院のみんなは……!?
私はパニックになってしまいその荒ぶる感情に任せた結果――。
パァン!
私は、エリアル王子の頬を叩いていた。
女に叩かれるなんて思ってもいなかったのか、エリアル王子は一瞬だけキョトンとした顔をすると、
『つ、捕まえろ! 王族に暴力を振るったのだ! 衛兵はどこにいる!?』
その言葉で周囲の衛兵が動き出すよりも先に、私は慌てて逃げ出した。
そして、周囲の光景がまるで川のように流れ行く中で、私は見た。
見てしまった。
婚約破棄された私は逃げ出すように王宮を後にしたが、行き場がなく身をやつし、やがては誰の目にも届かぬ場所で死ぬ光景を。
そこまで未来を見た時、意識がふっと現実に引き戻された。
「……っ!!」
ばっ! と、顔をあげると目の前には大きな星見の天球儀。床には天動説に基づいて描かれた星図と、そんな私を取り囲むようにして恭しく頭を下げたまま微動だにしないフードを被った伝道師たち。
「どうされましたか? 星見の聖女様」
私が顔をあげたことから、私が【未来詠み】を終えたことを察知した伝道師がそう聞いてくる。
「此度の【未来詠み】は、いかなるものでしたでしょうか」
「……こ、此度の【未来詠み】の結果」
私が震える声で口を開く。
先ほど見たのは未来。それも、必ずやってくる未来だ。
聖女がいずれやってくる干ばつや、大災害の未来を見ることによってこの国は大きく栄えてきた。
私は12歳のときに星の流れから未来を読み解く『星見の聖女』としての才能を見出され、それから4年もの間、こうして大聖堂で一月に一度、未来を見ては伝道師たちにその結果を伝えるという役割を果たしてきた。
しかし、それももうすぐ終わりに近い。
16歳を迎えた聖女はその年に最も歳の近い王族と婚姻関係を結び、そしていずれは子を成す。それが、聖女の仕事なのだ。
選ばれた時は嬉しさ半分、怖さ半分だった。
聖女としていれば、いずれは王族になれる。そうすれば孤児院のみんなにも王族の寄付がいく。でも、孤児院で寝物語に聞いた聖女が本当に自分に務まるだろうか。
そう不安に思っていたのだが私の聖女としての能力は自分が思った以上で、今までの聖女たちと違い、未来の的中率は100%で絶対に詠み違えたことが無かったのだ。
だから今見た未来も絶対だ。
もし、こんな未来がこの先に待ってるんだったら……。
「わ、私は今ここで死にます!」
死ぬしかないじゃない!
「な、何をおっしゃいます! 明日は王族の方との顔合わせ! ようやく聖女としての努めも終わるのですぞ!」
「聖女様を捕縛しろ! 自殺しかねない!」
私が叫ぶと、周囲の伝道師たちがわっと動き始めた。
「い、いいえ! 死にます! 私をここで死なせてください!」
だってさっきの光景を見て、まだ私に王族に嫁げというの!?
だったら楽に死なせてよ!
私がそう叫ぶよりも前に、一際大きな帽子を被った大伝道師が困ったように言った。
「だ、駄目です。そうなったら、私たちは第2王子に顔向けできません!」
「…………え?」
第2王子……?
ふと、聞こえてきた言葉に私は拘束の中でもがくのを止めた。
「……第2王子? 第4王子ではなくて?」
「は、はい。聖女様が婚姻を結ばれるのは第2王子シルヴァ・ラダフォード様です」
「そ、それはおかしいです。だって、さっきの未来視では第4王子が私の婚姻関係で……」
私の見る未来は絶対だ。
だから、来たるべき未来を変えることは出来ない。
それが、今まで行く数の未来を見てきた私の答えだった。
でも、そんな未来に備えることはできる。
干ばつが来るなら食料の配給を、大災害が来るなら予めの避難を。
けれど、どんなに策を弄しても、見えた未来を回避できたことはない。
それが私の聖女としての力。
「……これは、本来言うべきではないことですが」
大伝道師は落ち着いた私にそっと視線をあわせるようにして腰を落とすと、柔らかい声で言った。
「先々月まで、聖女様の婚姻相手は第4王子のエリアル様でした。しかし、ちょうど2ヶ月ほど前、この大聖堂に王族の使者がやってきまして聖女様との婚姻相手を第2王子にするとの通告をしていったのです」
「……そ、そうだったのですか」
何故、とは聞かない。
聖女には、王族と顔合わせをするまで誰と婚姻を結ぶのかを知らされないのだ。
いや、知らせる必要がないのだ。
何故なら星見の聖女たちは全員もれなく未来が見える。だとしたら、未来の旦那くらい知っていて当然。改めて伝道師たちがそれを伝えるというのは二度手間になるというのがあるのだろう。
でも、大伝道師の言葉に疑問が残る。
「で、ですが……。私は【未来詠み】の結果、第4王子との婚姻を結ぶことになっており、それを舞踏会で破棄されるという未来を見たのです」
「いえ、それはありえません。第4王子は先月、戦地へと飛ばれました。お戻りになるのは終戦後かと」
「……え?」
大伝道師の言葉で、ますます状況は分からなくなった私は頭の中にが『?』で埋まってしまって、いつの間にか死んでしまおうと思っていたことを忘れてしまっていた。
「……もしかしたら、シルヴァ様が何かを成されたのかも知れません」
「お、王子が? けれど、王族は……」
「えぇ、王族は未来を見ることは出来ませんし、例え見たとしても変えることなど不可能です。ですが、聖女様。ご安心ください」
大伝道師は大聖堂に来たばかりで、右も左も分からず震えていた私に語りかけてくれたように、
「聖女様は、初めて未来を読み違えたのですよ」
優しくそう言ってくれた。
翌朝、私は一睡も出来ないままにベッドから起き上がると、起こしに来た侍女たちに化粧をされながら深く重い息を吐く。これから王族に顔を合わせるという。だが、全くもって心の準備が出来ていない。
何しろ、今までの聖女たちと違って結婚相手の顔も性格も知らないのだ。
いや、噂でなら性格は知っている。あまり良い話を聞いたことはないのだけど。
「聖女さま、そんなにため息をつくと幸せが逃げますよ」
「幸せなんて……あるのかしら」
「あら、いつものように弱気ですね。あまりそのようなことを殿方の前で言ってはいけませんよ。弱気な女は幸せを逃すものです」
「なによ、セーラ。この間は強気な女は幸せを掴めないって言ってたのに」
「程度というものが大事なのです。それに幸せは自ら掴もうとする者が掴めるのですよ。――ほら、今日もより美しくなりましたわ」
もし未来が見えていたら少しくらいは心の準備が出来ていたんだけど……と、私は数え切れないほどのため息をつきながら、侍女の差し出してくれた鏡を見た。今日も彼女の仕事ぶりは完璧で、気落ちしていた心も浮ついてくる。
「さて、聖女さま。行きましょう。もうシルヴァ様がお待ちですよ」
「……うぅ」
シルヴァ・ラダフォードと言えば、王族一の乱暴者で、暴れ者という噂だった。
噂によれば勝手に王城を抜け出して、酒場で荒くれ者たちと決闘をしたり、あるいは無実の臣下にあらぬ罪をふっかけて、家族諸共断罪するのだと。
噂は噂で、まともに取り合うべきではないと分かっているのだけど、それでも気になってしまうものは気になってしまうのだ。
「聖女様がいらっしゃいました」
気落ちしながら廊下を歩いていると、いつの間にか侍女が止まって部屋に数度ノックをしていた。なんで、こういう時間は一瞬で経つのよ! なんて、心の中で時間に悪態を着くと、部屋の向こうからは『入れ』と、低い声が聞こえてきた。
不思議とその声を聞いた瞬間に、声の持ち主がシルヴァ様なのだと分かった。
なんて傲慢で、威圧的な声なんだろう。
きっと、野獣みたいな見た目をしているに違いない。
そう思いながら部屋に入ると、中に居たのは1人の青年だった。
星の欠片のような金色の髪に、空のような青い瞳。まつ毛は手入れをしてないだろうに、ぱっちりとしていて、蒼の瞳をより際立たせている。それに加えて、一流の芸術家たちが作り上げたかのような整った顔立ちに、細身ながらも引き締まった体格。
「…………わ」
あまりのイケメンに、思わず私は言葉を失ってしまった。
顔が良すぎる人を見て何も喋れなくなることがあるんだ……と、私は16年生きて初めて知った。
しかし、そこから視線を落とすと、その腰には一本の剣と、短杖。
まるで王族に相応しくない荒々しい格好に、思わずあの噂話が想起される。
曰く、彼は王族の中の厄介者だと。
「……さま。聖女さま!」
「……は、はい。聞いています」
「こちらが、第2王子のシルヴァ様です。シルヴァ様、こちらが」
「いや、良い。彼女のことはよく知っている」
シルヴァがそう言って侍女を制すると、彼女は無礼を詫びるように一礼をした。
「では、私は控えておりますので」
両者の顔合わせはこれからが本番だと言わんばかりに、彼女はすっと私の後ろに下がる。
ここからは、私1人でやれって? 無理無理! こんなイケメンと喋れない!
私が何を喋って良いのか分からず黙っていると、シルヴァ様は短く、だがはっきりと分かる声で聞いてきた。
「昨夜、未来を詠んだそうだな」
「は、はい?」
「未来を詠んだのだろう?」
「は、はい! 詠みました……」
「何を見た」
「……私が、死ぬ未来を」
「ふむ」
シルヴァ様は短くうなずくと、その端正な顔立ちを一切崩すことなくとんでもないことを言ってきた。
「エリアルの馬鹿が婚約破棄する未来でも見たのか?」
「…………なんで、それを」
ありえない、と思った。
王族は未来が見えない。
そして、私が見た未来を知っているのは伝道師たちだけだ。
だから、彼がそんな未来を知っていることなどありえないのに。
だが、驚いている私に彼はさらにとんでもないことを続けた。
「未来のお前から教えてもらったのだがな。まぁ、良い。今はどうだ? 何が見える」
そこにいるだけで絵になるようなイケメンにそう急かされて、思わず言葉が詰まってしまった私の代わりに侍女が言ってくれた。
「し、シルヴァ様。未来を見るためには時が極めて重要なのです。聖女様が未来を見るためには、一月にかけて最も適した時間を用意して……」
と、そこまで言った侍女を、再び彼は手で止めた。
「そんなことは知っている。だが、お前はそうではないだろう?」
「……どういう、ことですか」
「今更隠すな。お前は見ようと思えば、好きなだけ未来が見えるだろうに」
「……っ! なんで、それを……」
本来、星見の聖女が未来を見る時には数多くの準備と時間を要する。
それだけかけて、ようやく見た未来が間違うこともある。
だが、それでも未来を見るという大きなリターンに釣り合うために国は金と時間を聖女と大聖堂に注ぐのだ。けれど、それは今までの普通の聖女の話で、私は違う。
私が生まれ持った紫紺の瞳は《宙の瞳》と呼ばれ、数百年に一人しか持って生まれないのだと聞いた。その力は凄まじく、あらゆる用意、あらゆる時を無視して未来を見ることができる。
だが、その反動として幸せな未来を見ることはできない。
つまるところ、これから先に必ず訪れる最悪の事象しか見ることができないのだ。
だから私は未来を見るのを一月に一度にしていた。
そうすれば、悪い未来をできるだけ見ないで済むのだから。
「これもまた、未来のお前に教えてもらった」
そうやって微笑むシルヴァ様は、まるで嘘を吐いているようには見えなくて。
「未来の私が……と、おっしゃいますけども。それはおかしな話です」
「ふむ? 何故だ?」
私がそう言うとシルヴァ様の瞳がギラリと光って、信じられないほどの威圧感で私は気圧された。けれど、ここで怯んではいけないと思い、なけなしの勇気を振り絞ると口を開いた。
「で、殿下は……未来が見えないではないですか」
「ははははははっ!」
せっかく私が勇気を振り絞ってそう言ったのに、一方のシルヴァ様は急に笑いだした。意味がわからず呆気に取られていると、彼は笑いながら続けた。
「何、気にするな。己の不甲斐なさに笑っていただけだ。聖女レイナ。お前が《宙の瞳》を持っているように、俺もまた1つ。違う異能を持っている」
「……異能、ですか?」
「能力でも、特異体質でも、呼び名なんて何でも良い。俺の持っているのは《刻の瞳》。死ねばある場所から時間をやり直す。そういう力を持っている」
「……え? えぇっ!?」
私は王族の前だというのに、びっくりしていまい言葉遣いも忘れてただただ声をあげてしまった。
「この力を使い、俺は国王が暗殺されるのを未然に防ぐために暗殺者と内通していた臣下を切り捨て、あるいはこの国が滅びぬように酒場に紛れている他国のスパイ共を斬り捨てたわけだ」
噂は、ただの噂ではなかったんだ……。
そう感心している間に、彼は続けた。
「此度もまた、やり直した。聖女レイナ。お前を嫁にするためにな」
「……おっしゃる、意味が」
「ふむ。まぁ、常人であれば理解も出来ぬだろう。しかし、お前は己の力を知っているはずだ。そうすれば、自ずと答えは見えてくるだろう?」
「……違い、ます。私が理解できないのは、シルヴァ様の瞳の話ではありません」
私の瞳のような力が、他にも存在するというのはまだあり得ることだろう。
それが、シルヴァ様のように死んでもやり直せる力というのもあり得ることだろう。
でも、私が信じられぬのはそこではないのだ。
「なぜ、シルヴァ様は……私を嫁にするために、死んだのですか」
私が信じられないのは、どうして私なんかのために彼が一度死んだのかということだ。
それは彼自身が言ったのだ。
やり直すためには、死ぬ必要があるのだと。
そして、私を嫁にするためにやり直したのだと。
私がシルヴァ様に何故、を問いかけると彼は今までと打って変わって急に口ごもった。
「……む。それは、だな……」
「教えて下さい、シルヴァ様。どうして、私などのために死んだのですか」
「…………それは、答えねばならないか」
「そうでなければ、私は殿下に嫁げません」
「せ、聖女さま!」
私の後ろに控えていた侍女がそう声を荒げるが、ここは譲れない。
「いいえ、セーラ。あなたが言ったのよ。幸せは自らが掴む者が掴み取ると。でしたら、私は自らの命を掛けることを語れない殿方に、嫁ぐことは出来ません」
私が断言するようにそう言うと、
「…………むぅ」
と、明らかに困った様子でシルヴァ様がうめき声をあげた。
「そ、そうか。嫁げないとまで言われたのであれば言うしか無いが……」
「どうしたのですか、殿下。何故、命をかけたことを言えないのですか」
立場が逆転したように私が問い詰めると、彼は観念したように天を仰ぐと静かに言った。
「惚れたのだ」
「……は、はい?」
「エリアルの馬鹿がお前を婚約破棄した後、俺はお前の中にある確固たる意思に惚れたのだ。だが、後を追おうとして周りに止められた。王族を殴った者を、王族が追いかけたらどうなるのか。それを散々説かれ、俺はお前を追えなかった。そして、後日お前を1人で探した。探して、探してようやくお前にたどり着いた時……お前は、死に体だった」
「…………」
「俺はお前を助けようとしたが、助けられなかった。だからだ。だからやり直した」
彼はそう言うと、吹っ切れたのか今度ははっきりと断言するように、
「惚れた女を助けるために死ぬことなど、何を恐れることがあるんだ」
そう、言った。
「ほ、惚れた……って」
「今度こそ、俺はお前を不幸にしないと誓う。何があろうと、何が起きようと、俺はお前を幸せにする。そのために、あらゆる力を尽くす。だから……俺と、結婚してくれ」
シルヴァ様の言葉が、私は余りにも突然のことすぎてしばらく固まってしまった。
だが、それを婚姻を渋っていると勘違いしたのかシルヴァ様はゆっくりと続けた。
「嘘だと思うのであれば、未来を見てくれ。俺は約束を違えない」
「……分かり、ました」
私はそううなずくと、ゆっくりと《宙の瞳》を使った。
ぐるりと世界が渦巻く感覚。
それはこの世のものではない理に手を伸ばす感覚だ。
私は両の手をぎゅっと握りしめると、やがて来る最悪の未来に備えた。
今度は何を見るのだろう?
シルヴァ様が浮気をする未来だろうか。
私が身近な誰かに裏切られる未来だろうか。
それとも、シルヴァ様の婚姻が彼の嘘だったという未来だろうか。
そうして私は未来に手を伸ばして……気がついた。
「……え?」
何も、見えないのだ。
今までそんなことは無かった。
どんな時でも、見ようと思えば最悪の未来を見てきた。
だが、何も見えない。私の未来に、そんなものは何一つとして存在しない。
「何を見た?」
「……何も、見ませんでした」
つまり、彼はこれから先どんなことがあっても約束を違えないということか。
どんなことがあっても、彼はこれからずっと私を幸せにしてくれるんだ。
そう思ったとき、ぱっと私の胸の中で温かいものが宿った。
「……うそ」
「何が嘘なんだ」
「わ、私……死ぬかもしれません」
「何!?」
私の言葉に血相を抱えてシルヴァ様が駆けつける。
「幸せすぎて、死ぬかも知れません……!」
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