「人間の文学」河出書房。 全30巻 もう一つの、世界文学全集 裏文学?全集の部屋 マイブックレビュー
1960~70年代
そのころはまだ
文学(小説)が黄金時代を謳歌していました、
わが日本でも、小説、あるいは文学全体の衰退が言われて久しい。
かって昭和40年代、
文学全集全盛時代がありましたね?
各出版社がこぞって「世界文学全集」なんてのを
全80巻とかそんな膨大な全集本を発行していたのです。
それで町の書店が各家庭に予約を取り、、毎月とか隔月とかに
一冊づつ予約者に月報とともに届ける、、配本する。
そんな時代もあったのです。
そういえば、、月間漫画雑誌「おもしろブック」とか「少年」とか、予約すると毎月、町の書店屋さんがバイクで配達してくれたものでしたよ。懐かしいなあ。豪華10大付録も楽しみでしたよね。
いま?そんなのありえないでしょ?
出版業界は構造不況業種?とさえ言われる時代ですよ。
そんな全集出したって売れるわけがありませんよ。
いま、かろうじて?売れているのは
漫画雑誌と、文庫本くらいでしょ?
堅い本、、古典文学なんて売れるはずもないです。
まあこうした文学の衰退も時の流れ?
今、、映像文化全盛時代に、活字を眼で追って
意味を咀嚼して、、理解し
脳内にその文字から得られた情報を構成して
小説世界を再現する、、という
これが文学ですよね?確かに面倒ですよ。
文字の意味が分からなければ辞書引かなければならないし、、
こんなことするくらいなら
アニメ映画でも見たほうがそのものずばり、
座って眺めてりゃあいいだけですからね。
白い紙にびっしり並んだ活字を目で追い、、
意味を理解しそこから自分の脳内に、小説の世界を再現するという面倒さはないですからね。
まあこうした映像娯楽、、映画、テレビ、ネットゲーム、などなど、
今更、、文学など面倒なだけ、、という結論でしょう。
ただし、こうした時代背景以外にも、
文学自体の自己崩壊も?あると、私は思うのですよ。
文学の本質はその(物語性)だと私は思うのですね。
文学は高等文芸だと威張ってみても、
所詮は「お話」であり『物語』が本質なのですよ、
それをいわゆる、「現代文学」は、、否定しようとして、、
物語性の否定という暴挙?に出たと私は思うのです。
その結果、、文学は、、根底から崩壊してしまった?
(と、私は思うわけです)
古代中世までは文学なるものはまさに物語その物であり、「何とか物語」であり、
「何とか奇譚」であったわけですね。
それがそんな物じゃあダメだといって
現代文学はもっと難解に?
もっと高尚に?した挙句、、自己崩壊してしまった
(と、私は思うのです)
私は個人的には、ドイツロマン派を持って、文学・小説なるものはある意味の絶頂期をむかえて、
その後写実主義が巻き起こって一気に衰退し、
さらには、自己満足だけの、、難解さのための難解さを追求した?現代文学に
よって完全に終焉したと思っているので、はっきりいってどうでもいいことではあるが、
しかし、
改めてここで、なぜそうなのか?をより詳しく?再述しておきたいと思う。
そもそも、文学、あるいは物語といってもいいだろう。
それが発生したのは、歴史的記述としては、なじまない、ジャンル
つまり、伝説、噂話、空想、ほら話、願望、伝説、夢、異国譚などを、
記述するために始まったといってよい。
であるからして、そもそも、それは人の興味を引くような、珍しい話であるべきものだったのだ、
西暦0000年、どことどこが戦ってどこが勝った、では歴史であって文学ではない。
人はその例えば噂話に、自分の願望やら理想やらも付け加えたりもした。
そして、面白くするためさらに奇譚として脚色もした。
かくして滔滔たる物語文学の流れができて、読者は胸躍らせて読みふけり、ひと時の世の憂さを忘れて、
物語世界に浸り、あるいは、自己に引き比べて、胸なでおろしたり、主人公の薄倖に涙したりもできたのだった。
そうして物語はやがて、小説としてより体裁を整えていったが、しかし、その原型は物語性であり続けた。物語性、が小説の本質なのだ。
フランス語のロマンというと洗練された純愛物?っていうイメージ?だが、
ドイツ語のエアツエールンクというのはもっと泥臭い本当は怖い?民話系の
語り物っていう意味だろう。
それを如実にあらわしているのがまさにグリム童話集初版である。
そうした民話系の泥臭い、残酷な?モノを昇華して?
創作メルヘンとして、芸術化?したモノがドイツロマン派のメルヒェンだろう。
語り物としての
その最高形態がドイツロマン派であると思う。物語性、伝奇性、天馬空を行くその夢想力、どれをとっても、ハイレベルに高められていた。
しかし、
その後、リアリズム、自然主義が台頭し、文学はあらぬ方向へとゆがめられ、文学の衰退をまねいてしまったのだ。
そもそも、事実をそのまま述べることが文学でありえない。事実を、例えば、哀れなフランス下層階級の
女の一生を述べたいなら、ドキュメントとして述べれば良いことであって文学形式を借りる必要はないのだ。延々と続く、悲惨な、女の一生の記述に、読者はどうしたらいいのだろう。
気は滅入り、これでもかこれでもかという、悲惨に、じゃあどうしろってんだとでも叫びだすしかあるまい。、プロテストがあるなら、小説ではなく、ドキュメントとしてやればいいことだ。
あるいは市井の、こまごました日常を述べたいのなら、日記でいいではないか。
しかし、さらに、現代文学は、実験文学と称して、やたらこむずかしい、理屈を捏ね回すだけの小説なるものまで登場して、よりいっそう、小説の衰退を招いてしまったのである。
ジェームスジョイスの難解?小説、[ユリシーズ」今そんな物を誰が読むだろうか?というより、そんなもの、てにとりもすまい。実際読んでも、メタメタで、チンプンカンプン、ばかばかしくなって破り捨てたい衝動を抑えるのが精一杯だ。
そんなものを誰も求めていないのに作家の自己満足や一人よがりで、
やたら小難しく何を言っているのかも分からないような小説が1部の評論家によって持ち上げられていったのだった。
しかし読者は誰もそんな物求めていない。
読者は、聞いたこともない、珍しい話を聞きたい。
見たこともない国の珍奇な話を読みたい。
あるいは、心優しい、少女の感動譚を読みたい。
因果応報の、話で、自己を正したい。
しかし、作家は、わけも分からぬ、文学実験に身をやつしているばかり。
その乖離が、現代小説の衰退の原因だ。
そして、結果、小難しいだけの現代文学なんて誰も読まなくなった。
なぜって、単純につまらないからだ。
涙さそう感動もないし、心躍る冒険もないし、あるのは言葉の羅列化、無意味な言語実験ばかり。
しかし、今その反動からか、自然主義リアリズム全盛期には、捨て置かれた、
ファンタジー文学が近頃は脚光を浴びている。
すなわち、
トールキンの指輪物語であり、
CSルイスのナルニア国物語であり、
ハリーポッターであるのだ。
そこには感動があり、冒険があり、夢があり、涙があり、天馬空を行く、ロマンがあるのだ。
何のことはない、これはまさにドイツロマン派のテーマの再来ではないか。
結局はドイツロマン派こそ文学の最高点でありそれを超えることはできないのだ。
これが私の偽らざる結論である。
今のファンタジー文学全盛とは?
また、、ただ難解だけの言語実験みたいな現代文学へのノンを突き付けているということだろう
(と私は思う)
確かに文学の現状は衰退としか言いようもないが、
それでもこうしたファンタジー文学という、、一種の先祖がえり?で
いささかは、息をついているという現状だろうか?
しかし、
これからもっともっと映像文化は興隆してくるし、
その中で活字文化が活況を呈するなんてことは
まずこれからはあり得ないだろうことは
断言できるのではないだろうか?
文学のたそがれ、、
文学の衰退、、。
文学の終焉。
この流れを止めるすべはあるのだろうか?
ファンタジー文学に一縷の
かすかな
一条の希望のともしび?はあるかもしれない、
しかし全体的な流れ、、潮流は文学、活字文化の衰退、あるいは最悪、消滅という
奔流をとどめるすべはない。(と、私は思う)
さてだいぶ前置きが長くなりすぎましたね?
その昔は旺盛を極めて広く(隠れて?ひそかに?)愛読されていたこれらのエロティック小説たち、
これらは正当な文学史からは排除されたもう一つの裏文学?であったのだ。
しかし映像文化に押されて今や、すでに衰退し、、
時のかなたに忘れ去られ、、そんなものがあったなんて誰も知らない?ような時代と
なり果てましたね?
さて
当時
盛んに「世界文学全集」が発行されていましたが
まあそれはまっとうな?というか
ありきたりのというか
お決まりのゲーテとかヘミングウエイとか
有名な文学者の作品ばっかりでしたね。
だがここに
そうではない世界文学全集があった。
それが
「人間の文学」河出書房発行 全30巻である。
いわゆる『裏文学』の全集であるが
その手のものは浪速書房が「世界秘密文学選書」という全集で発刊済みでありましたが
それはもう、適当な?安っぽい翻訳文で。まあその場しのぎの安易な全集でした。
ところがこの
「人間の文学」は、結構。まじめ?に出来上がっていて?
内容も結構、カルトでコアな作品ばっかりでしたね
いわば「良心的なウラ文学」だったといえるでしょう。
というわけで
いささか、「ノスタルジー」も込めて
その内容についてご紹介しようかと思う次第なのであります
お暇でしたらおつきあいくださいませ
それでは、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
河出書房新社「人間の文学」 全30巻 1965-1968年
「ファニー・ヒル」 ジョン・クレランド(John Cleland)
田舎娘がロンドンに出てきて娼婦として成長?してゆくというストーリー
「道楽者の手記」 ジョン・クレランド(John Cleland)
その男性版です
「わが生と愛1」 フランク・ハリス(Frank Harris)
実在の人物ハリスの女性遍歴自伝小説全5巻
「ゆらめく炎」 ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル(Pierre Drieu La Rochelle)
揺らめく青年の不安な心理を描いた作品
「マルゴ」 ウラジミール・ナボコフ(Vladimir Nabokov)
アンナ・カリーナ主演・トニー・リチャードソン監督で映画化された
「悪魔のような恋人」の原作です
「南回帰線」 ヘンリー・ミラー(Henry Miller)
自伝的な性の世界と混とんを描いた作品
「葬儀」 ジャン・ジュネ(Jean Genet)
あのジュネの自伝的同性愛作品
「愚者の船 」 キャサリン・アン・ポーター(Katherine Anne Porter)
ドイツでヒットラーが政権をとった1933年のある日、メキシコのベラクルスから、
ドイツのブレーメルハーフェンに向って1隻の客船ベラ号が出航した
「マミー・ストーヴァー」 ウィリアム・B・ヒュイ(William Bradford Huie)
1940年、ホノルルの娼婦の武勇伝??
「オー嬢の物語」 Histoire d'O ポーリーヌ・レアージュ(Pauline Réage)
服従は最高の快楽??
「赤毛の男」 J・P・ドンレヴィー(J. P. Donleavy)
「海の百合」 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ(Andre Pieyre de Mandiargues)
若い女が処女を捨てる儀式を?幻想的に描く??
「愛の家のスパイ」 アナイス・ニン(Anais Nin)
夫に飽き足らず次々に男を追い求めるサビーナ
「裸のランチ」 The Naked Lunch ウィリアム・S・バロウズ(William S. Burroughs)
麻薬中毒の幻覚や混乱した超現実的イメージが全く前衛的な世界へ誘う。引用
「ピンク・トウ」 チェスター・ハイムズ(Chester Himes)
「倦怠」 アルベルト・モラヴィア(Alberto Moravia)
現実に虚無感を抱いている主人公と17歳の娼婦
「雪の舞踏会」 ブリジッド・ブローフィ(Brigid Brophy)
仮面舞踏会、エロスで妖美な恋愛小説
「悪徳の栄え 」 マルキ・ド・サド(Marquis de Sade)
暗黒文学のレジェンドといえばこれですね
「マダム・エドワルダ」 Madame Edwarda ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)
「眼球譚」も併録、
「ポルノグラフィア」 ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ(Witold Gombrowicz)
互いの若さを冷笑しあう美しい少年少女。そして彼らの若さに憑かれた2人の
中年男―殺人への意志を背景に織りなされる、姦視者たちの倒錯した欲望!
アマゾンブックデータより引用
「変った男」 J・P・ドンレヴィー(J. P. Donleavy)
ブラックコメディ?的エロス?
「ロリータ」 Lolita ウラジーミル・ナボコフ(Vladimir Nabokov)
ロリコンの語源?になった作品です。
「カーマ・スートラ -バートン版」 Ed/translator:大場正史
古代インドの性戯指南書
「ロベルトは今夜」 ピエール・クロソフスキー
妻を男にあてがっては歓待して原罪の哲学的研究をする?という哲学小説??