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 翌日の朝に浜へ行くと、ウェイは船に乗り込むところだった。

「ウェイ」

 呼んでもウェイはなにも聞こえなかったかのように船に乗り込んだ。水夫たちともくもくと出港の準備をしている。船に乗ろうとすると、アリに止められた。

「あまり気持ちをかき乱さないでくれ。事故につながるから。ウェイにはおれから話しておくよ。ゾランだって、悪気はなかったんだろう」

 昨夜のことは、義兄たちにも伝わっていたらしい。父親の右腕である二番目の義兄には、出がけにウェイと付き合っていたことを暗になじられた。取引以外で、東のものと親しくなるなんて、と。

 ターリブにしても、二番目の義兄にしても、役に立つか立たないかでしか人を判断しているように感じた。

 おれは、ウェイと仲直りしたい。学校へ行くことをちゃんと話して、離れても友だちでいてもらいたいと。次の日も、すぐに船までウェイを尋ねに行きたかった。けれど、それはできなかった。

母さんの具合が良くなかったからだ。

「やぶ医者め、見立てが間違っているんだ。薬も効いているようすがないじゃないか」

父親はいらいらと部屋を歩き回る。母さんは食欲もなく、水くらいしか口に出来なかった。手を握ると熱くて汗ばんでいた。

おれは母さんの枕元にいるしかできず、父は別の医師を探してくると出かけて行った。

三人の姉たちが代わる代わる看病にやってきた。義兄たちも見舞いにやってくる。

「もう明日か明後日で真珠漁は終わりだ。ウェイは、近ごろカイロたちとつるんでいるんだが……」

アリがウェイの様子を伝えてくれたが、なぜか語尾を濁した。

カイロは、以前から真珠採りをしている青年だ。以前、ウェイの素潜りを無駄なことだとあからさまに言い立てたりしてたくせに。今さらウェイと親しくなったんだろうか。

「ウェイ、まだおれのこと怒っているかな」

「どうかな。あまり気持ちをおもてに出さないやつだから、おれにも分からん。でも、なんだか元気はない」

 家から出られるようだったら、海に来ればいいとアリは言ってくれた。

 

 父が新しく見つけて来た医者の腕がよかったのか、それから五日ほどして母さんは起き上がって食事ができるほどに回復した。 

気づけば、秋の気配が忍び寄り、朝晩は冷えるようなっていた。下女が母の上掛けを増やした。

 おれが学校のある町へと出発する日も刻々と近づいていた。具合がまだ思わしくない母さんと離れるのは嫌だったけど、前から決まっていることだ。止めるわけには行かなった。

 とくかく、ウェイに会って話がしたい。真珠漁はもう終わったとアリから聞いた。今日は休みだと言っていたから、ウェイの家を訪ねれば会えるだろうか。ぐずぐず考えているうちに昼を過ぎてしまった。陽が短くなっている。いつまでも迷っていたら、あっという間に夜になってしまう。おれは家を出た。そして騒ぎを聞きつけた。

 

 日干し煉瓦の家の間を通り抜け、浜へでるとなんだかざわついていた。二人三人と、あちこちに集まり額を寄せ合っている。まるで大きな声では話しづらいようにして。

 何かあったんだろうか。しばらく行くと、アリが水夫たちへ険しい顔をして話をしていた。

「どうかした?」

 おれが背後から声をかけると、アリはひきつった顔を向けた。

「カイロが死んだ。海でおぼれたんだ」

「え……?」

 おれは事情が呑み込めなかった。真珠採りに従事していたカイロは、熟練の海の男だ。溺れるなんてはずがない。

「岬の向こうの海で、流された。あそこは波が荒いから、手つかずの真珠貝が山ほどあると思ったらしい」

 ――あそこに、もっとある。

 ウェイの言葉を思い出す。ウェイが教えたのか。いや、あそこはそっとしておこうと言っていた。

「いま、カイロの家に使いをやった。うちで働いていたんだ。弔いの手助けをする」

「ウェイは? ウェイがどこにいるか、知らない?」

 アリは真剣な目つきなっておれを見つめた。

「どうしてウェイの名前を出す? なにか知っているのか、ゾラン」

 すごみをきかせた低い声音で、アリはおれの肩を掴んだ。

「あそこには貝がたくさんあるだろうって、前にウェイが話していたから。もしかしたら、それを聞きつけてカイロが海に入ったのかもしれない」

 ああ、とアリは右手で顔を覆い、おれの肩を離した。

「ハッサンが……カイロと組んでいた奴が、ウェイが嘘を教えたと言っていた」

ウェイが嘘をいう理由がない。きっと、カイロが聞きかじったか無理やり聞き出したんだ。でも、なぜ。

「ウェイは」

「……たぶん、ウェイたちはここから出て行く」

「なんで」

「人が死んだんだ。嘘か真か分からないが、ウェイのせいだというなら、うちで使うわけにはいかなくなる。漁はみんなで協力しなきけりゃできない。気持ちのばらつきは、事故につながる」

アリの言葉におれは声を失った。

「それにな、ウェイの噂を聞いていたんだ」

アリはここよりも東にある港町の男から聞いたと言って続けた。

「片目の子どもと盲目の父親の噂だ。彼らは天気をあてる、魚の群れを教える、良い漁場を見つけ出す。でも時々嘘をつく。彼らは見えない目で、魔を見る。人に嘘を吹き込んで心を乱し諍いを生む。」

「そんなわけない」

おれはアリに言い放つと、ウェイの住む東のひとたちが住む集落へ向かった。山へと続く道を行くとすぐに、父親と一緒に来るウェイと鉢合わせになった。

「ウェイっ」

うつむいていたウェイは、ぱっと顔をあげた。右の目を見開いたのは一瞬で、すぐに視線を伏せた。

「出て行くなよ、ウェイ。ここにいたいって言ってたじゃないか」

それにいま出て行ったなら、嘘をついたと言ったも同然だ。ウェイはおれに掴まれた腕を乱暴に振りほどいた。

「いばしょなんか、ない」

どこにも、と小さくつぶやいて目を拭った。

「欲をかいたカイロにおしえただけだ。でもぜんぶおれのせいになる。いつもそうだ」

ウェイの肩を父親が抱き寄せた。ウェイはいっとき父親の胸に顔をうずめた。

「おれが採って来る。そうすれば、ウェイが嘘つきじゃないってことを証明できる」

おれは坂道を駆け下り、岬をめざした。道にはまだ大人たちがあちこちにたむろしていた。昼を過ぎたばかりだというのに、陽はもう夕方の様相を漂わせている。褐色に霞む道を全力で走ると、岬を回り崖のところまで行きついた。汗ばんだ額を拭い、膝に手を置いて荒い息を整える。

いちど流された海だ。怖くないと言えば嘘になる。波が岩にぶつかり、しぶきをあげる。波に削られた岩に体を傷つけられないよう、シャツは脱がずに海へ入る。足先を濡らしただけでも冷たくて体が縮こまるけど、思い切って飛び込んで首まで浸かる。体を慣らして、崖伝いに潜ってみた。

波に邪魔され全身をゆすられながら、それでも潜っていくと、以前貝を採った辺りまできた。いくつかまだ残っているが、群生とは言えない。ウェイは貝のありかを知っていたはずだ。だからこそ、たくさんあるとおれに話したんだろう。

すでに日が傾き始めているせいもあるが、深く行けば行くほど昼間に潜るより暗くて視界が悪くなる。岩から離れると、またあの流れにさらわれそうで慎重になる。

もっと深く……貝はどこだ。息が苦しい。息づきをする前にのぞいた岩の割れ目の向こうに、何か見えたような気がしたが、一旦海面へ戻った。

なんどか呼吸を繰り返して、再び海の中へ。体を反転させて足を真上へ伸ばす。腕を大きくかくと、一気に体は海の底へと下りていく。小魚がおれを避けて群れていく。岩にへばりつくイソギンチャク。海藻をかき分けると、さっきの岩の割れ目へとたどり着く。

やっぱりだ。割れ目の先には空間があって、そのなかに貝が群生している。思わず手を突っ込み、一つを手にしたが、隙間がわずかに小さくて取り出せない。    

どれか、もう少し小さいものはないか。肩まで腕を突っ込んで中を探る。

突然、強い力に引っ張られて頬が岩にぶつかった。

全身が粟立つ。

なにかが手を掴んでいる! 引き抜こうともがいた。腕を引く力がさらに増す。

水の中では、うまく踏ん張れない。抜けない腕に血の気が引いて行く。息が、息が苦しくなる。

……水の中にいられるのは短い。あっという間なんだ。失うときには。

――命を。

体が息を求める。闇くもに暴れまわる手や足が岩にぶつかり傷つく。

息が、息が! 苦しい、苦しい、くるしい。

見あげる水面が狭まり暗くなる。もう……口からこぼれて立ちのぼる泡に差し伸べた手は力を失っていく。

揺らぐ視界に、灯りがともった。あれは冥界の入り口か。

ゾラン!

名前を呼ばれたような気がした。いま一度目を見開くと、灯りが近づいてきた。それはまるで夕空に現れる一番星のようだった。

ぐんっと腕をつかまれた。ウェイの顔が目の前にあった。両の目を見開いている。眠たげに閉じているはずの左目まで。おれは正気を取り戻した。ウェイの左目は輝いていた。暗闇を探る光が肩まで入り込んだおれの腕を認めた。

ウェイは腕が呑み込まれている隙間に向かって何か叫んだように見えた。

ふいに腕は解き放たれた。すばやくウェイがおれの体を抱き止めたかと思うと、一気に引き上げられ始めた。ウェイの目の光が、暗い水の中で長く尾を引く。

おれは、ウェイがなぜ貝を見つけられるのか、ようやくわかった。

水しぶきをあげて、海上に顔を出ると思いきり息を吸った。半分咳き込みながら、ウェイに掴まったままで陸へあげられた。そこには、ウェイの父さんがいた。

ウェイはおれに背を向けたまま、腰の縄をほどいた。

「貝、あった」

少し話すだけで咳が出た。寝ころんだままで引き込まれていた左腕を見ると、何かが絡まったようなあとが螺旋状に付いていた。蛸だったのだろうか。

おれは二度もウェイに命を救われた。

「ありがと、ウェイ」

背中をむけてうつむいたウェイの左目の光は、まだ消えていなかった。夕暮れの中で、ウェイの顔がほのかに白く浮かび上がる。

「おれが、みんなに言う。ウェイはうそつきじゃない。貝のありかが分かったって」

ウェイは首を強く横に振った。前髪がはらりとおりて、左の顔を覆う。

「だって、そうしたらウェイはここにいられるだろう」

「むりだ。おれと父さんはもう行く」

おれはまだ力が入らない足で立ち上がった。わずかな荷物を手分けして担ぐウェイたちに追いすがった。

「行かないでくれ、みんなに話す。だから」

「はやく帰れ。……たいせつな人がいなくなるぞ」

ウェイの言葉にはっとする。正面から見るウェイの左目は髪の奥で静かに輝いていた。とん、とウェイはおれの肩を押した。よろめきながらも、おれの足は動いた。大切なひと、大切な……。

「ゾラン、あらしがくるから気をつけろ」

振り返ると、ウェイたちの姿はもう消えていた。



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[一言] どこにいても、きっと忘れない友達だから……(ノД`) お母さんも、危ないのかしら……
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