第96話 多腕の巨人
猛烈な勢いで壁に何本もの腕を叩き付け、真っ黒な多腕の巨人が降りて来る。
その恐ろしく醜悪な姿が行く手を塞ぐように覆い被さった。
「原初の炎を統べし者、万象をあまねく灰燼に帰せ——、『紅炎』」
クレイルが巨人との接触に備えて始めていた詠唱を終わらせ、赤い輝きとともに太い熱線をヘカトンケイルに向けて放つ。
巨人は胴体を支える腕を残し、その赤熱する光線を腕を重ねることで防いだ。紅炎は数本の腕の表面を抉り取るが、胴体までは届かない。
「叛逆の弓、『アンチレイ』!」
リベリオンの引き金を引く。おそらくこいつの体のどこかにもフィル鉱石が埋め込まれていて、それを媒介として活動している。
構造的に位置は胴体か、頭だろう。この一週間の経験を元に、いかにもコアが存在しそうな部位に向けて砲撃を加える。
俺たちはヘカトンケイルのすぐ真下まで接近した。胴に回された泡によって体をしっかり固定された状態で、巨人の腕の合間を抜けて上に出る。
火の粉が散り大きな手首が落下していく。クレイルが火剣によって腕を切り落とす。
巨人の上に抜けると、奴は首を巡らせてこちらを見上げ、俺たちを捉えようと腕を伸ばす。
「マリア! コアの位置はわからないか?!」
「ごめんなさい! 体全体から感じる風の気配で、コアの位置までは……!」
「っ!」
巨人が腕を振り上げ、俺たちを狙って巨大な拳を叩き込んで来る。
俺たちはそれぞれ泡の精に引っ張られて分散し、迫る拳を回避した。
ヘカトンケイルは余った腕を存分に使い、俺たちを追い詰めようと殴打の嵐を放つ。泡の精は俺たちを抱えてそれを掻い潜りながら壁を登っていく。マリアンヌが全神経を集中させ回避をサポートしてくれている。
さっきから何度も巨人の体に攻撃を加えているが、一向に動きを停止させる気配はない。やはり巨大な体躯を持つ相手に対してアンチレイは有効な攻撃にはならない。
巨人の体のあちこちで赤い輝きが閃く。クレイルが巨人の体躯の上を伝って走り回りながら直接攻撃を加えていた。
アンチレイの攻撃範囲を意図的に太くすることは、今ならできると思う。しかし、こっちは剣の形態のようにアニマを維持できるわけじゃないから、無駄撃ちはできない。
クレイルのように飛べたら、俺も体の上を駆け回ってリベリオンによる直接攻撃で体を切り裂けるのだが……。
クレイルがまた一本腕を切り落とす。太い腕が下に向かって落下していく。
「ぐがっ!」
「受け止めて、『泡石』っ!」
腕を思い切り振り回され、その上を走っていたクレイルが吹き飛ばされる。壁に激突する直前に、マリアンヌが大量の泡を壁に集結、展開して緩衝材のようにクレイルの体を受け止めた。
「悪ぃなちびすけ!」
「いいえ!」
「腕を切り落としてやったら余計に暴れやがるぜ。中央の胴体まで行って攻撃をぶち込みてぇが、何しろあの腕の数や。なかなか攻撃が通らねえ」
腕を数本切り落とされたところで、ヘカトンケイルに弱った印象は見られない。ノーフェイスは体内のコアを破損しない限り止まることはないのだ。
この拳の猛攻を躱し続けるのはマリアンヌの負担も大きい。この状況を打開するためには……。
「こいつ、よく見ると胴体はあんまり大きくないな。あれを真っ二つにすれば落ちるんじゃないか?」
「このヒョロ長げえ腕が邪魔であそこまで行くんはかなり危険やぞ」
「マリア! 俺を泡で胴体の真上まで投げ飛ばせないか?」
「そんなの……!」
「リベリオンならあいつを真っ二つにできるはずなんだ。やってやる」
「そういうことなら俺も妨害手伝ったる、トドメ刺してこい。ナトリ」
クレイルが不敵な笑みと共に賛同してくれる。
「……わかりました。ナトリさん、私が絶対あなたを死なせません。だから、あれを倒してください!」
「うん」
「ナトリさんを守って……、『泡石』!」
大量の泡がマリアンヌの杖から量産され、縦穴の空間にばら撒かれていく。
俺の体を固定する泡の精が勢いよく壁を離れ、縦穴中央に浮かぶ巨人の胴体へ向かって跳ね飛んだ。
巨人の振り回す腕が俺に迫るが、縦穴に広がった大量の泡が付着し巨腕は泡の力で固められ、動きが鈍る。遅くなった腕をすれすれで避けるようにして胴体へ迫る。
真正面から拳が降り注ぐ。衝突を覚悟したが、横合いから高速で飛来した火球によって人の背丈よりも大きな握りこぶしは手首から吹き飛んだ。クレイルの援護射撃だ。
「いけッ! ナトリ!!」
振り回される腕を掻い潜り、ヘカトンケイルの胴体のはもう目の前だ。俺を見下ろす巨大な頭部が、並んだ鋭い牙を剥く。
「喰らえ……! 叛逆の剣、『ソード・オブ・リベリオン』ッ!!」
変形した杖に煉気を注ぎ込む。リベリオンから放たれる青い輝きは、長大な光の剣となって頭上に瞬いた。
限界まで伸ばしきった光の刀身を化け物の肩口に向けて振り下ろす。
閃光が巨人の黒い体を切り分ける。
支えを失いバランスを崩したヘカトンケイルの胴体が、幾本もの長い腕を絡ませながら落ちていく。
同時に俺の体も急速に落下を始めた。
「ナトリさーーんっ!!」
落下する俺のすぐ側にマリアンヌの姿があった。
彼女は俺の体に腕を伸ばし、捕まえるようにぎゅっと抱きついてくる。
「マリアならきっと助けてくれるって信じてたよ」
「当然です! ……言ったじゃないですか。私がナトリさんを死なせないって!」
落下する俺たちの周囲を、マリアンヌの杖から吹き出した大量の泡が取り巻き優しく包み込んだ。
§
「おーい、クレイルー!」
「おう、戻ってきたか」
壁に張り付いた泡石の上に座り込んでいたクレイルに手を振る。
ヘカトンケイルの胴体を真っ二つに切り裂いて落下した俺を、マリアンヌがさっきと同じように泡で救出し、二人で泡の精に乗ってクレイルの元まで戻って来た。
泡の精がまとまり、再び平らな床が形成される。その表面が硬化し、三人で腰を下ろすと俺たちを載せた泡の塊は再び壁を登り始めた。
「すげえ攻撃やったな。やるやないけ」
「なんとかね。二人とも、助けてくれてありがとう」
ヘカトンケイルの猛攻を掻い潜って攻撃を叩き込めたのは二人のサポートがあったからこそだ。
「後は一番上まで上るだけだな。さすがにもうあんなのは出てこないだろ」
「いつ敵が襲来してもいいように警戒だけはしていましょう」
泡の上で体を休めながら、俺たちは穴昇りを再開した。