第92話 笑顔
「泡……?」
通路から飛び出し、私たちに向かってくるノーフェイスの群れに向けて杖を振るう。
周囲に浮かんだ泡は私の意思に従って動き、ノーフェイスの進路を塞ぐ。黒い獣達は構うことなく浮かぶ泡石に突っ込んだ。
しかし、ノーフェイスは泡を突き破ってこちら側まで到達することはなかった。
体にまとわりつく泡の中でもがきながら手足をばたつかせることしかできない。
「すごい、こんな術が使えたのか」
「これは、たった今私が目覚めたアイン・ソピアル、『泡石』の力です。私が波導でノーフェイスの動きを止めます」
「アイン・ソピアル……? あ、ああ。とにかくわかった!」
泡石に塗れ身動きが取れなくなったノーフェイスを彼が撃ち抜き、とどめを刺してくれる。
周囲に泡石をばら撒き、ノーフェイスの動きをまとめて食い止める。
彼と連携し立ち回り、向かってくるノーフェイスを次々に撃破していく。信頼できる誰かと一緒に戦うのが、こんなにも心強いものだなんて。
「でかいのがこっちに来る! ここは俺が……!」
泡の向こう側にクロウラーの姿が見える。裂けた口から鋭利な牙を覗かせ、足音を響かせながら這い進んで来る。
クロウラーの体は風のオーラによって守られている。多分、軽い泡石は風の守りによって容易く吹き散らされてしまうだろう。
ううん、一人で戦おうと思わなくていいんだ。私の泡石はきっと攻めに向いた力じゃない。補助に徹する。今私にできることをやろう。
「周囲のノーフェイスは私が全て食い止めます! あなたは正面のクロウラーに集中を!」
「任せてくれ!」
彼は白銀の杖を構え、奥のクロウラーに向かって攻撃を始めた。私は彼を援護し周囲のノーフェイスを泡で絡めとり、その動きを封じる。
「コアを貫いた!」
クロウラーの巨体が地面へと沈む。だが、脅威はまだ去ってはいない。左右の通路からほぼ同時に二体のクロウラーが出現し、こちらに突進してくる。
「もう次が!」
「まだいるのかよ! 両側から同時かっ」
彼がノーフェイスを駆逐していくのを私は見ていることしかできない。
私の煉気は依然として底をついた状態。水や地の波導は使えない。
泡石だけはそもそも力の源が違うために行使することはできるけど、クロウラーの風の鎧に対しては無力。この上は、包囲を振り切って逃げるべきか。
歯を噛み締め彼の戦いを見守っていると、突然私たちの周囲を覆い尽くす壁のように真っ赤な炎が吹き上がる。炎に阻まれ、クロウラーの進行が止まった。
「これはっ……?!」
「炎……、まさか!」
「よォ、お前ら。元気しとったかァ?」
炎の向こうに、悠々と歩いて来る赤毛のストルキオの姿が見えた。まるでさっきまで昼寝でもしていたかのように余裕を含んだ表情だ。
「ク……、クレイルっ!?!」
「邪魔なデカブツやな。喰らえ、『劫火焔』」
トリが放った大質量の火球はクロウラーを飲み込み、風のオーラごと巻き込んで大炎上を起こす。圧倒的火力によってあっという間に怪物は燃え尽き、倒れ臥した。
いちいち癪に触る人だが、その力はこの迷宮においてはとても力強い。
トリはもう一体のクロウラーも劫火焔で炎上させると、私たちを取り囲む炎の壁を消し去る。広間は再び静かになった。
「クレイル!! 生きてたのかよっ!?」
「おうナトリ。三日ぶりくらいか? だいぶ探したぞ」
「よ、よかったぁ……! てっきり死んだものと……」
「カッカッカッ。ったりめえよ。あの程度でくたばってたまるかィ」
二人は久しぶりに再会した親友同士のように再会を喜び合っている。それをちょっと離れて眺めながら、私はどうしていいか戸惑った。
「クレイル、マリアンヌとも合流できたんだ。ほら」
トリは私にちらりと視線を送る。
「みたいやな」
私は意を決して二人の前に進み出た。
「あ、あの……」
「ん、どうした?」
「その……私、自分のことで精一杯で、周りが見えなくなってました。……先日は、その、本当に、すみませんでした」
「…………」
「でも、私わかったんです。……色々と。お二人にはたくさん迷惑をかけてしまいました」
「もうええ、ちびすけ」
「え」
「お前はまだ子供なんやから、そないな罪悪感に押し殺されそうな顔すんな」
トリは腕組みしたまま目を合わせずに言った。
「そうだよ、マリアンヌ。そんなに自分を追い詰めることない。また三人で力を合わせてこの先を進んでいこう」
「は、はい……。こんな私ですけど、よろしくお願いします。ナトリさん、……クレイル、さん」
クレイルさんは目を剥いて急に私の顔を覗き込んできた。
「おい、ちびすけ。もっぺん言ってみ? 今なんて?」
「……。ク……、なんでもないです」
「おーい、もっぺん言うてみてくれよォー」
やっぱりこの人は意地悪だ。
「こっちこそ、改めてよろしく頼むよマリアンヌ」
ナトリさんの、不思議な色あいをした緑がかった瞳を見上げる。土壇場で私の命を救ってくれた彼。
気がつけば、私の心の中に巣食うもやもやした気持ちは妙にスッキリとしていた。
余裕の無かった私の気持ちに整理がついたのも、きっと彼のおかげだと思う。なんとなく、そんな気がしている。
「あの……、私、お姉さまにはマリアって呼ばれてるんですけど……」
「ん? ああ、そう呼んでたな。呼びやすいし、愛称の方がいいかな?」
「はい、それでお願いします……!」
どうしてだかわからないけど自然に笑みが溢れた。
こんな風に笑ったのは、自分でも随分久しぶりな気がした。