第89話 試練
体中の煉気に意識を集め、いつでも波導を放てるよう術として構築していく。
同じようにお姉さまにも波導の気配の高まりを感じた。先に術を発動したのは彼女だった。
「水神の御許より来たる波濤——、『水破』」
お姉さまの周囲に波が沸き立ち、大波となって怒涛の勢いでこちらに押し寄せてくる。
「彼我を隔て我が身を守れ、『障壁』」
押し寄せる高波に向き合う。杖を突き出し、最低限の煉気で波導の壁を作り出す。
私の煉気総量は少ない。まともにやりあってもお姉さまに勝つことは不可能だ。
「障壁に角度をつけることで水の流れを受け流す。基本だけど、上手じゃない」
回避後の隙を狙って別の術を仕掛けてくると読み、あえてその場で受け流した。
大質量の水の塊だって工夫次第で対処できる。
波が過ぎると、お姉様を中心に滑るように水面を移動しながら、水刃や水弾を放つ。
「頼りないわね。そんな小手先の術で私を倒せるのかしら? 流麗なる水の剣、『水剣』」
「『障壁』!」
水の太刀による素早い連撃を避けきれず、障壁を展開する。しかし強力な斬撃に薄い障壁は耐えきれず、高音を響かせ粉砕する。
「あうっ!」
粉砕の衝撃によって吹き飛ばされる。術の気配を感じ取り、杖を脇に抱え水流を噴射することで体を浮かせる。
体のすぐ下を衝撃波が過ぎるのを感じた。感じた性質は風。おそらく風刃だ。
風の刃は目に見えないけど私は感覚で術の範囲を知ることができる。
「ここは水の上だもの。地の波導は使えない。あなたは不利よ」
それはお姉さまにとっても同じことだが、彼女は私と違って三色使いだ。風の波導は水上でも問題なく扱える。
水の属性は元々治癒系統の術で使われることが多い。火や風ほど戦いには向いてないのだ。
これは訓練じゃない。相手を倒すため、威力のある術が必要。
はっきり言って私は戦いが苦手だ。戦うことを専門にする術士もいるが、私はそうじゃない。モンスターならまだしも、対人戦闘は術の決め手に欠けてしまう。
唯一のアドバンテージは私がお姉さまより感知力が高いことくらいだ。スタミナや煉気総量には大きな差があるから長期戦は圧倒的に不利。
「さっき言いましたよね。ここは私の世界だって」
水面を滑りながら彼女の攻撃を凌ぐ。お姉さまの水剣は、触れればその水圧であらゆるものを切り裂いてしまう。
煉気のロスも最小限で隙がない。なんとか避けてはいるけど、強烈な水の刃によって直接触れていないにも関わらず私の傷は増える一方だ。
「それがどうしたの。防戦一方でつまらないわね」
「……私の中のお姉さまはそんな顔で笑わないし、そんなことは決して口にしない」
彼女を睨む。彼女が動きを止め、こちらを見返してくる。
「ちょこまかと。相変わらず感覚は鋭いのね。いいわ。さっさと終わらせましょう。
——水の精よ、水底の園より来たりて我が願いを聞き届け賜え。『水龍』」
お姉さまはポーチから取り出した二つの水のフィル結晶を足元へと落とす。結晶は波紋を立てて水路へと沈んだ。
彼女が両手で杖を水平に掲げると、足元の水面が輝き細い二本の水流が彼女を囲むように、螺旋を描きながら立ち昇る。水柱に結晶の二つの輝きが現れた。
昔、プリヴェーラ近郊でスターレベル4のモンスター、水蛇ラピッドアルファルドが現れ、暴れたことがあった。その時依頼を受けて向かった協会の術士は数人の負傷者を出すほどに苦戦を強いられた。
負傷者の救出と手当を強いられ、あわや隊が壊滅するかというところで立ち上がったのがお姉さまだった。
たった一人で強力な水の魔物に立ち向かい、擬似生命波導術である『水龍』を行使して強力なモンスターを打ち破った。
その活躍によってお姉さまはガルガンティア協会の会長秘書役に大抜擢されたのだった。
あの術の構築は妨害しなければ。私は即座にエレナお姉さまの水龍の詠唱を阻止するため水面を駆ける。
「鋭利なる水の流れよ、『水刃』!」
水流で、歌うように詠唱を口ずさみながら杖を掲げるお姉さまを横に薙ぐ。しかし水刃は彼女まで届かない。
すでに周囲に水障壁が展開されており生半可な攻撃では彼女まで届かない。
「くっ! 激流の渦。押し流せ、『水流破』!」
詠唱を唱えながら、杖を水中へ突き入れる。この場には大量の水がある。私の少ない煉気でも、多くの水を操ることが可能だ。
私の両脇から水路の水が渦を巻きながら盛り上がり、それぞれが鎌首を擡げる水流の大蛇となる。
水を操作し、左右からお姉さまへと突撃させる。
大質量の水の圧力で水障壁を押し潰し、詠唱を中断させる!
「————粉砕せよ、『水破』」
「二重詠唱!?」
水龍の詠唱中に異なる術の詠唱が重ねられ、さらなる術が放たれる。
二頭の水流破は、お姉さまの足元から湧き上がる波によって相殺されてしまう。
「ああッ!」
私の術を防ぐために放たれた水破は、さらに無防備な私を襲い、押し流す。
お姉さまの術によって水中へ押し込まれた私が水面へ立ち戻ると、お姉さまの周囲を渦巻く水柱は輝く水の結晶を媒介として二体の小さな水龍の形をとるところだった。
水龍の発動を許してしまった。
「水龍、彼の者を討ち倒せ」
「うっ!」
擬似生命波導術はとても高度な波導術だ。結晶などの強いフィルを帯びた物質を媒介に、擬似的な波導生命を作り出し行使する。
創り出された波導生命は意思を持ち、術士の指示がなくても自立行動をとる。お姉さまは十代で既にこの術を会得していた。
二体の水龍が水をかき分けてこっちに迫ってくる。私へと狙いを定め、細い口から鋭い水流を吹き出した。
足元の水面を波立たせ、勢いをつけて飛ぶ。後方へ下がりながら二体の水龍の攻撃を掻い潜る。水龍は水の波導によって作り出されるものだ。私の波導では打ち破ることはできない。でもここは水路の真ん中。どうすれば。
「裂空の威風を以て大穹を切り裂け、『裂風刃』」
追ってくる二体の水龍の背後にお姉さまが舞う。空中で強い緑色に輝く杖が振られる。
大きく横に広がる、目には見えない真空の刃が放たれた。風刃の上位術、全てを切り裂く風の凶刃。
お姉さまの術に合わせて逃げ道を塞ぐように、二体の水龍も口から鋭利な水の柱を吹き出した。避けられないっ。
「あぐううっ!!」
水路の水面すらも切り裂く裂風刃は感覚によって避けられたが、水龍の攻撃が私の腹部を薙いだ。
歯をくいしばる。額に汗を滲ませて痛みを堪える。お腹が、焼けるように熱い。
「ううぅっ……」
「攻撃するのは水龍だけじゃないわよ。もう楽になりなさい、マリア」
次々と放たれる風の刃に、水龍の猛攻。反撃の余地などなく私は全身を切り刻まれていく。傷から流れる血とともに、自分の生命力がこぼれ落ちていくのを感じる。
風刃を飛んで回避したところに水龍の攻撃が直撃し、波導の制御を失った私は水路の中へ落ち込んで水底へと沈み込む。
水面が遠くなっていく。やっぱり、彼女は強い……。
風の刃を避けられても、水龍の攻撃が私を捉える。お姉さまには隙がない。圧倒的な攻めの嵐の前に私は反撃の術も見いだせない。
力が入らず、水中に沈み込むに任せていると背中が何かに当たって沈降が止まる。上体を持ち上げて周りを見る。
水路に没した私は、水中に浮かぶ岩礁の上にいた。こんなところに岩が浮いてるなんて。
はっとして、力の抜けつつある体を起こす。
まだ、手はある。私のお姉さまを語るあの偽物を倒せる可能性が。
強い水の気配を感じて水面を見上げると、二つの影がこちらに向かって降りてくる。水龍が私を追ってきていた。
私はすぐに反撃のための行動を開始する。
岩礁に杖を突き立て、詠唱を刻む。最後のチャンス。
私の残る煉気の全てを賭けてお姉さまに挑む。
「打ち鍛えられし大地の牙、『鋼槍』」