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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
三章 翠樹の迷宮
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第87話 姉妹

 


「お姉さま」


 少し離れた場所に立つエレナお姉さまを見つめた。凛とした立ち姿に、均整のとれたプロポーション。私の憧れるお姉さまそのものだ。


 風景と同じく、美しく揺れる銀髪も今は色褪せて輝きが翳っている。

 けれど、ガルガンティア協会の制服を纏ったお姉さまの容姿はどうやら現在の年齢に近いもののように見える。



 さっきまでここで訓練に励んでいた幼い私は、多分今から五年くらいは昔の姿だ。

 そう考えると、目の前に立つお姉さまの姿は私と同じくこの過去の世界では異質なものに映る。

 そしてどうやら彼女には私の姿が見えるらしい。


「私の姿が見えているのですか」

「もちろん、よく見えているわ」


 少しだけ安堵した。誰にも見えず、この世界に取り残されてしまうのではないか。そんな不安が胸の中に芽生えてきていたから。お姉さまに会えたのならもう安心だ。


「お会いできてよかったです。それにしても一体ここは……」

「ここはあなたの世界よ、マリア。厳密には違うようだけど」

「私の、世界……?」

「そんなことよりひどい顔をしてるわ。一体何を見てきたの?」

「あ、その、ええと……」

「見たんでしょう。あなたの過去を。……いいえ、居場所のない現実を」



 お姉さまが口の端を持ち上げて笑った。けれどその瞳には些かの感情も篭っているようには見えない。あくまで形だけ、作りものの笑顔。

 私はお姉さまがそんな風に浅ましく笑うのを初めて目にして、一瞬息を止めた。ゾッとするような冷たい笑みだった。


「仕方のないことよ。だってあなたは()()()()()だったもの」

「一体、何を」

「逆巻く風の檻、『旋風デル・フィオレ』」


 その詠唱は早く、短くも強力な要素エレメントを含む。お姉さまが私へ向けて杖を振った。


「『障壁ウィオル』っ!」


 感覚によって彼女が波導を使おうとしてることはわかったけど、一瞬で完成するお姉さまの術の前に私はほとんど無詠唱で障壁を張ることしかできなかった。


 頼りなく薄い障壁が辛うじて私と周囲を取り巻く風の刃の嵐とを隔てる。だめだ、こんな強度不足の障壁じゃ保たない。


「っ?!」


 足元を流れるかすかなフィルの流れに異変を感じとる。偽装されてはいるけど、やや不自然な感覚。これはお姉さまの波導だ。いけない。


「突き貫け『石杭アガンジュ』」


 私は障壁ウィオルを解除し、地面を蹴ってその場から大きく飛び退いた。


 間髪入れずに私が立っていた地面から石杭が目にも止まらぬ速さで地面を破って突き出してきた。

 旋風デル・フィオレの範囲内に飛び込んだせいで、風の刃がローブを切り刻む。複数箇所の傷を負う。


「く、うっ! お姉さま、一体何を……っ!?」


 風の範囲攻撃によって私を閉じ込め、地面の下から送り込んだ波導で刺し抜く。殺意の籠った攻撃だった。

 一連の波導の流れに、私を害することへのためらいは一切感じられない。


 何故、どうして。お姉さまの行為に対する疑問が一瞬私の脳裏を埋め尽くす。


「説明してくださいっ、お姉さま!」

「あなたにはわかっているはずよ、マリア。とりわけ強い波導を授かって生まれたわけでもなく、ましてや私やお父様のような稀有な能力があるわけでもない。コールヘイゲンの家名はあなたに相応しいものではないって」

「!」


 二色使い(デュプル)は普通の術士だったら悪くない力。けれどコールヘイゲンの家はプリヴェーラにおける波導術士の名家。代々非常に優秀な術士を輩出してきた。

 そして希少な三色使い(トレブル)が多いのも特徴だ。


 自覚は……あった。色見の儀を受けた頃は、自分に術士の適正があることを素直に喜んでいた。けれど術士としての修練を始めてまもなく、お父様もお姉さまも私なんかよりもっと特別な波導の才を持っていることを知った。


 そして自分にはこれといって特別な才能がないということも。



「お父様はあなたのことなど歯牙にも掛けていない。いくら努力しても無駄、才能の壁を越えることはできないの。——激烈なる水流よ、『水刃ウルス』」

「うっ!」


 距離をとろうとする私をお姉さまの放つ水の刃が薙ぎ払うが、再び障壁ウィオルを展開して水を防ぐ。この距離であればお姉さまの水刃ウルスでも威力減衰によって障壁を割ることはできない。


 離れた場所に着地し、杖を構える。風、地、水の術を使いこなすお姉さまの力は非常に強力だ。


 悠々と杖を構えてこちらへ歩いてくるお姉さまの姿を見つめる。お姉さまがこんなことをするはずがない……。本当にエレナお姉さまなの?


「あなたは、誰……?」

「何を言ってるの。私はあなたの姉、エレナ・コールヘイゲンよ」


 氷のような微笑を浮かべてお姉さまがこちらに向けて構えた杖から、風の属性(エモ)を感じ取った。私も杖を地面に突き立てる。


「百烈の刃を孕み荒れ狂う疾風よ、『烈風波(フィオーレ)』」

「『アイギス』っ!」


 目の前の地面が隆起する。勢いよく盛り上がった庭の土が硬化して盾を形作り、私を風の刃の嵐から覆い隠す。

 風の波導でアイギスに亀裂が入る。術の練度が違う。


「術の構築が甘いわよ、マリア」

「うっ! ……さまたげよ、『障壁ウィオル』!」


 地の波導で作った盾が完全に砕ける前に、新たに障壁を作り出して風の刃を防ぎながら飛ぶ。握った杖から激しい水流を放出し、その勢いで飛距離を伸ばす。


 そのまま自分の体を屋敷の敷地の外へと押し飛ばす。塀の外は水路になっているはず。


 ちょっとした高さを水路へと落ちるが、下は水。足元に波導を展開してクッションにし、水路に沈みこむのを防ぐ。そのまま足先で波導を制御し、水面を滑走しながら水路を走る。



 水術士にとって水の上は独壇場。得意な属性(エモ)の活きる地の利を求めるのは術士の戦いの基本だ。だがそれはお姉さまも同じこと。


「水上に逃げるのは悪手じゃない? ここではあなたの地の波導はほとんど使えない」


 お姉さまも追って水上を走り私のすぐ背後に迫る。


「本当に、本当にお姉さまなのですか!」

「何度もそう言っているでしょう。——流麗なる水の剣、『水剣(ウルカムド)』」


 お姉さまが水面を蹴って身を翻し、杖にまとわせた水流の剣を振るう。


 感覚のみを頼りに背後を振り返ることなく水面を弾いて飛び、水の斬撃を紙一重で回避する。水路脇の建物の壁を蹴ってさらに遠くへ飛び、別の水路に着水して再び水面を滑走する。



 お姉さまは……あんな冷酷に笑ったりしない。問答無用で攻撃をしかけてくるようなこともしない。私に危害を加えようとするはずなんて、ないんだから。


 けれど偽物と断ずることもまた私にはできなかった。体から発するフィルの感覚、波導の感触、術の傾向、詠唱速度。どれをとってもお姉さまのそれだ。



 色の褪せたプリヴェーラの水路をお姉さまの攻撃を躱しながらひたすら逃げる。術士としての経験も練度も違い、ましてや波導の才でも敵わない。私の傷は増える一方だ。


 決して大きな違いじゃない。術の発動の速さ、イメージの正確さ、詠唱に選択する要素エレメント。一つ一つは小さな違いだけど、積み重なればそれはもう埋めようのない差になる。


 水面を走りながら唇を噛む。否応無しに感じるお姉さまとの力量の差。


 お姉さまは私のことをいつも気にしていてくれたけど、家ではずっと肩身が狭かった。

 才能がないから、覚えが悪いから、いくら頑張っても認められない。いつまで経ってもお父様は私を見てくれない……。


 私なりに精一杯頑張ったつもりだった。訓練も、勉強も、人よりずっとした。同じ歳の頃の子供たちはみんな、何も考えずに遊んでいるようだったけど、私にそんな余裕はなかった。


 コールヘイゲン家に恥じない術士になる。それだけで精一杯。そうしなければ、私の居場所はどこにもなくなってしまうのだから。


「旋風の如く舞え、『(シュピテール)』」


 風の波導で加速を得たお姉さまが私を飛び越え行く手に立ち塞がる。水面に当てた杖から水路に波導を送り込み、足元に水中トンネルを作り出した。


 そこへ滑り込み、加速をつけて再び上を目指してお姉さまの着水点より先の水面から飛び出す。勢いそのままに壁を蹴って民家の屋根まで飛ぶ。

 先に見える聖堂の屋根まで水噴射のアシストを使って飛び移ると、屋根を滑り加速してさらに速さと距離を稼いだ。


「相変わらず発動は大味ね。煉気のロスが大きい」

「ああっ!」


 精一杯逃げているつもりでもお姉さまを振り切れない。背後から放たれる風刃フィオスが私の体を切り刻み、血が吹き出す。治癒波導を使って痛みを和らげている暇もない。


「攻撃をやめてください! 私たちが戦う意味などありませんっ!」

「それは無理よ。そもそもあなたが消えたがっているから、私はその手助けをしているだけなのに」

「私が……?」

「常に周囲の人間から私と比較される。お父様もあなたに見切りをつけて放置している。努力しても埋まらない差と、得ることの敵わぬ名声。だからあなたは命を投げ出す覚悟で迷宮に得られぬものを求めた。そうでしょう、マリア」



 その通りだった。常に私の憧れだったお姉さま。でも同時に、側にいるのは辛かった。お姉さまは全てにおいて完璧で。


 それに比べ私は……。私はお姉さまの後を数十歩も遅れて追いすがるだけ。皆から賞賛と尊敬を浴びるお姉さまは、私にとって眩しすぎた。


 親族の集まりも、関係のある貴族の方との場も、お姉さまの輝かしい軌跡の残る場所はどこも辛かった。

 人々は当然のようにその輝きを私にも期待し、そして落胆していった。


 いつしか私は、お姉さまの放つ強い輝きを避けるように、自分の存在を押し殺して過ごすようになっていった。



 きっと、お父様は私を嫌っている。コールヘイゲン家の恥だと。目を合わせてさえくれないもの。私が平凡で至らないから。愛想を尽かしてしまわれたんだ……。


 死に物狂いで勉学と修練に励んでも、私にとってコールヘイゲンの名前は重すぎる。その重圧から逃れ、皆に、お姉さまに、お父様に認めてもらうためなら——。


 その覚悟を胸に迷宮を目指した。途中で命を落としてしまうのなら、私の存在なんてきっとその程度のものだから。消えてしまうなら、それはそれで、いい。



 そうだ……迷宮。私は翠樹の迷宮を目指していたんだった。迷宮に眠る遺構、神代の技術。それを持ち帰り、迷宮の調査を進展させることさえできれば、きっとみんな私の存在を認めてくれる筈だと思って。


「…………」


 再び水路に着水し、体を傾け水面を滑走する。プリヴェーラの色褪せた市街には人影が見えない。やっぱりここは現実なんかじゃない。


 迷宮を目指したはずなのに、私はこんなところで何をやってるの。迷宮の中で私の命は潰えたんだろうか? だからこんな場所に来てしまったのか。結局何を成すこともできない。要領が悪く、何もかもが中途半端。……私はそんな自分が、嫌いで嫌いでたまらない。


「いつまで逃げ回るつもりなの。みっともないわよ」

「あううっ!」


 しまった、と思った時にはもう遅い。すぐ近くの水面付近に水の波導を感知、二本の水柱が吹き上がり私に襲いかかる。遠隔の水刃(ウルス)だ。


 気配の感知が遅れ、躱し切ることはできなかった。腕と太ももに水圧の刃で傷が刻まれる。


 水を介して遠隔での術の発動、波導の気配はほとんど自然に偽装され、感知型である私の特性をよく理解している。私にはとても無理な、高度な芸当だ。


 かろうじて体勢を制御し水中に沈み込まないよう耐えた。腕は切り傷で済んだようだけど足の傷は深い。ずきずきとした痛みが熱病のように体を駆け上がってくる。


 多分、傷は骨まで達している。水面を滑走しながら傷口に杖を当てて応急処置を施した。止血するだけで痛みを和らげている暇はない。


「かわいそうなマリア。無力な自分に絶望してしまったのかしら」


 氷のような微笑を湛えたお姉さまが追ってくる。私を殺すために。


 彼女は言った。消えたがっているのは私自身だと。自分はその手助けをしているだけだと。ここは私の世界。そんなことも言っていた。



 この悪夢のような状況は、私自身が望んだことなのか。存在していい意味を求め、迷宮を目指したはずだったのに。

 こんな場所で自分の過去を見せつけられ、責められた上にお姉さまに殺されようとしている。


 本当に、これが私が求めていたものだっていうの?




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