第85話 叛逆の剣
《お前はまだ、みっともなく生き永らえようというのか。クレイルはお前のせいで死んだというのに》
「黙れ……!」
王冠の引き金を引く。浮遊するゲーティアーに命中はしたが、止まる気配は見られない。頭の中に響く声はこいつのせいか。
《お前に価値などない。お前は欠陥品だ》
「っ!」
ゲーティアーを追いながら走る。光線を避けるために奴の周囲を回り込むように移動していく。
《救えない奴だ。お前はあの子がいなきゃ何もできない。そんな体たらくでよく迷宮に入ろうと思ったな》
「俺はそれでもフウカをっ!」
《気づいているんだろ? あの子にはお前なんてとっくに必要ないってことに。お前がモンスターをいくら狩って金をかき集めたところで、あの子が治療術士にでもなればお前の月の稼ぎなんてすぐ手に入れられる。術士の稼ぎはいいからな》
「はぁ、はぁ……」
ゲーティアーに攻撃を浴びせる。だが距離があるせいか狙いがぶれて思うように当たらない。引き金にかける人差し指が痺れる。
王冠が、重い。
《お前は知ってて教えなかった。何故だ?》
「それは……! 騒ぎになって面倒だと思って……」
《違うだろ》
「ぐああッ!!」
ゲーティアーの光線が太腿を焼く。激しい熱と痛みを受け転倒する。ふらつく体を起こし、再び走る。
《見放されるのが怖かった。置いて行かれるのが嫌だった。あの子をずっと自分の庇護下に置いておきたかった》
「ち、違うっ!」
《狼狽えたな。図星だろ。あの子といれば何か変わるかもしれない。こんな自分でも。——そう思ったよな》
「お前は……、お前はなんなんだよッ!」
呼吸を荒げ、ゲーティアーを睨みつける。王冠を構えて叫んだ。
《いい加減自覚しろ。俺はお前自身だよ》
「……嘘だ」
引き金を力を込めて引く。頼りない光の軌跡がゲーティアーの脇腹を掠めた。
まるで悪夢のように、奴の背後から全く同じ形状をしたゲーティアーがもう一体出現する。一体、どうなってる……。
《糞みたいな奴らばかりの辛気臭い故郷を出て、せっかく就いた仕事を辞めてまで頑張ったのに》
「…………」
《心機一転で始めた狩人も、ユニット組んだ奴らは俺がドドだとわかった途端離れていっちまう。無様だよなぁ》
追ってくる二体のゲーティアーを攻撃するが、もはや光はあらぬ方向へ飛び掠りもしない。右手が震えている。
《結局お前はドドーリアなんだ。普通に生きることなんてできるはずがない。ずっとわかっていたことだろ。あの子もついに、お前の元を去った。お前がいらないってことに気がついてな》
「うるせえ! 俺は……、俺はあっ!!」
《なぁ……、いい加減認めたらどうだよ。必死こいて戦ったって、足掻きながら進んだって、あの子はもう戻ってこないんだぜ》
俺という人間の無価値さなど、今更言い聞かされるまでもなくよくわかってる。
それでも俺は、フウカだけは。あの子だけは……。だからただ、ただ先に進む、今はそれだけを考えている。
「だから……っ、俺の邪魔を、するなぁぁぁッ!!」
心の底から噴き出してくる黯い意思に身を委ねる。
踏みにじられる怒り。虐げる者への憎悪。自らの境遇への不満。そんなものがないまぜになった、黯くてどろどろとした感情が、胸の奥から噴き出し、止まらなくなる。
杖にありったけの感情をぶつける。王冠の先から淀んだ光が溢れ出し、炎のようにゆらめく光の剣となる。それを両手で構え、ゲーティアーに斬りかかる。
「ああああぁぁぁッ!!!」
胴体を袈裟切りに、真っ二つに切り裂いた。像は派手な音を立てて地面に落ちて転がり、動かなくなった。
「はぁ、はぁ、はあ……っ」
《諦めの悪い奴だ。そんな物騒なものに頼ったところでどうにもならないんだ。見ろよ》
「っ?!」
残るゲーティアーの背後から、さらに二体の分身が現れる。三体になった奴らが光線を一斉に放ち、俺を追い詰めようと迫る。
《教えてやるよ。こいつらはお前の負の感情を餌に分裂する。もう、どうしようもない》
「くそっ!!」
力の続く限り。このまま、全部。
ゲーティアーの放つ光線が体を焼くのも構わずに突っ込んだ。
「うああああぁぁぁ!!!」
手近な分身を両断しようと、気炎と共に王冠を振り上げる。
が、振り下ろす直前に王冠の光はあっけなく消失した。途端に体の力が抜け、体勢を崩す。体からも、心からも、こぼれ落ちるように力が抜けていくのを感じる。
目の前に立ちはだかるゲーティアーの胸部が動き、組み合わされた腕が胴体から剥がれて稼働する。
それは急速に肥大化し、目にも留まらぬ速さで俺の体を薙ぎ払った。
「か、はぁっ……!!」
ゲーティアーの巨大な腕によって繰り出される平手打ちを無防備な体で受けて、俺の体は宙を舞う。
背中から地面に叩き付けられ、二度、三度と地面を転がる。
《終わりだな。お前の長い苦しみも同時に終わるんだ。喜べよ》
軋みを上げ、痛む全身を持ち上げるように、腕を突いて体を起こす。三体のゲーティアーが俺を取り囲み見下ろしていた。
もう、足も動かない。限界なのか。痛みも、……恐怖も。
「は、はは……はっ……」
諦めの、自らを嗤う声が喉の奥から漏れる。
……フウカ。俺は、結局何も為せない、何も変えられない落ちこぼれだった。最期まで、最期まで自分の力のなさが口惜しい。
ゲーティアーの血涙の仮面を虚ろに見上げ、俺はフウカに懺悔する。
像の口が開き、光線の気配が収束していく。三本の光が俺に向かって同時に放たれた。
「ぐあああああああああッッ!!」
その瞬間体を倒して光線を避けようとするが、最早悪あがきにもならない。直接光線の照射に合い、酷い火傷と怪我を負ったのを感じる。ひりつくような熱が全身を侵す。
右手で体を引きずり、半ば這いつくばるようにゲーティアー達から逃れようとする。
「……あ、はぁっ、はっ、くうっ」
《……みっともないな。潔く死ぬこともできないのかよ》
「……ちが、う……」
《あ?》
「思い……出したんだ……。なあ、クレ、イル……」
クレイルは最期に言った。必ずフウカを見つけ出せと。俺たちの旅の目的、それを果たせと、そう言った。
あいつは最期に、自分の意志を託して逝った。その身体は滅びても、心は、意志は、俺と共にあるのだ。
目を閉じ、胸に手をあてれば、クレイルの燃え盛るような炎の意志を感じることができた。
そうだ、あいつはまだここに在る。俺がクレイルの意志を引き継ぐ限り、その存在は消えはしない。
炎の意志が俺の体を突き動かし、放たれた光線を躱させた。生への意志を繋ぎ止めたのだった。
《…………》
「フウカとだって、約束、した……。はぁ、はぁ。絶対……一人にしない、って……!」
床を這って進む。この<声>が責めるのは確かに本当のことだった。俺はどうしようもない奴で、あまりに無力で。もう体だってろくに動かない。
……でもクレイルの残した意志が、フウカとの約束が、俺自身がただ死へと向かうことを許さない。残された微かな絆が、俺のあまりに脆弱な心と命を繋ぎ止めようとしていた。
《そんなものが何になる……。無駄だ》
「お前の、言葉は、もう……効かない」
《俺はお前自身なのにか》
「……違うっ!! まるで全部、わかってるみたいに……俺の、フリをするな。もう、消えろ……ッ!」
《馬鹿が。地獄の苦しみを味わいながらくたばれよ》
俺の精神を苛むゲーティアーの声を振り払う。奴の術中に嵌り、命を投げ出すのはごめんだ。
しかしこれ以上の分裂を食い止めたところで、こっちが虫の息である状況に変わりはない。這いつくばって逃げる俺を、ゲーティアーはゆっくりと嬲るかのように追ってくる。
こんなところで終わってたまるか……。何か、こいつらを撃退する手段は。……有効なエアリアは。ここで、こんな場所で、フウカにも会えずに、死んでたまるかよ……!
『』
「……?」
心の中で何かが鳴った。あの<声>じゃない。これは別の何かだ。
這いつくばり、進む先の地面に何かが転がっているのが見える。白く、薄く燐光を纏ったそれを見つめる。
そうか……絆はまだ、もう一つあった。すぐ側で、ずっと一緒に戦ってきた相棒。目を閉じ、心のうちに意識を集中し、内なる『声』に耳を傾ける。
そうか。そうやって、お前はずっと俺に語りかけていてくれたのか。
気付かなかった。ここまで来ることができたのも、お前の力があったからこそなのに。それなのに……、俺はお前にちゃんと向き合おうとすらしないで。
決して逃げるな。会いに行くんだろ、フウカに。向き合え。自らの敵をしかと見据えろ。
……そして信じろ。ちっぽけで、どこにも見当たらなくても、それでも残された可能性を。ずっと一緒に戦ってきた、心強い相棒のことを。
『名を』
「今、ようやくわかった……。頼む、お前の力を貸してくれ。……来い、『リベリオン』ッ!!」
伸ばした右手に青い燐光が閃き、稲妻のような一瞬の青光が走った後、それは俺の手にしっかりと握られている。
ゲーティアーの光線照射から逃れたときに取り落とした王冠。いや……、リベリオン。それがこいつの名前だ。
震える手足に力を込めて立ち上がる。まだ自分にこんな力が残っていたなんて。違う、これはリベリオンから流れ込んでくる力のようだ。
振り向き、ゆっくりと迫るゲーティアー達を見上げる。
『解き放て』
心の内に響く声に従い、杖をゲーティアーに向け構える。息を吸い込み、口を開く。
「叛逆の剣――、『ソード・オブ・リベリオン』……!!」
詠唱と共に杖が激しく青い光を放つ。その形が組変わっていく。
握り部分はそのままに、光を放つ砲身が可動して、まるで剣の柄のように縦長の形状に変化した。そして先端からは青白く細い光が揺らぐことなく真っ直ぐに伸びていく。
「光の、剣……」
再び強い輝きを取り戻し、暗闇を切り裂くように真っ直ぐに伸びる青光の刀身を発するリベリオンは、こうして剣の状態を維持しても全く疲労を感じなかった。
今までは燃える炎のような不安定な形で煉気を垂れ流していたのに。けど、この完璧に煉気を制御した状態ならば……!
「やああああッ!」
リベリオンを携えて走り出す。ゲーティアーの口が開き光線が放たれる。紫光を搔い潜り、最も近くの一体に斬りかかる。
胴体に光剣を叩き込まれたゲーティアーは吹き飛び、地面を転がって行く。
即座にもう一体に走り寄り、返す刀で連撃を加え石像を切り裂く。力を失ったゲーティアーは地面に落下し、動かなくなった。
切れ味は相変わらずだ。まるで抵抗感なく、どんなに硬いものだって切断してしまう。停止した二体を一瞥し、残る一体に光の刀身を突きつける。
「お前で終わりだ」
《ここで生き残ったからとて、貴様は迷宮から出ることは叶わない》
「もうお前には関係ないことだ」
《そして知れ。我が主の力を》
「リベリオン!」
輝きを増し、さらに光の刀身の長さを増した剣を振り上げてゲーティアーに飛びかかる。
巨大化したゲーティアーの腕部が水平に振るわれるが、掬い上げるように剣を振るいその平手打ちを両断する。切り裂かれた手は轟音と共に床を転がる。
「お前ごときに……屈してたまるかよ!!」
目の前に浮かぶ像。その悪趣味な仮面の上へ光剣を振り下ろす。
《我が、ある……じ》
最後のゲーティアーはリベリオンの光を受けて半分に割れ、地面に転がり黒い霧となって消滅していった。
敵は消え去り、自分の荒い息づかいだけが広大な部屋に響いた。
リベリオンを消すと俺はその場に座り込み、背中から地面に倒れ込む。
「クレイル。フウカは必ず俺が連れ戻す。だから見ててくれよ……」