第82話 昔話
クレイルが寝転がって目を閉じてしまうと、俺とマリアンヌは灯りを見つめたまま黙り込む。
ここは密室じゃない。だから一人ずつ睡眠をとり、二人で起きて敵襲を警戒することにした。
マリアンヌが鞄からパンを取り出して両手でボソボソと齧り始める。彼女は相変わらず表情に乏しいため、何を考えているのかはよくわからない。
「なあ、君はどうして迷宮に入ったんだ。調査員に立候補したのも、迷宮に入るためだったんだろ?」
「それは」
「もしそのことをエレナさんが知ってたら、君をシスティコオラに送り出そうとは思わなかったはずだ」
迷宮に踏み込むというのは、命を投げ出すこととほぼ同義。マリアンヌは一体どんな思いでそんなことをしでかしたのか。彼女は貴族で、しかも術士だ。わざわざ自分の命を危険に晒す必要なんてどこにもないように思える。
「もう隠す必要もないと思うけどな。既に一蓮托生なんだし」
マリアンヌはこちらを向いて俺を見る。少しほつれた銀髪が揺れる。
「図々しいですね……あなたは。どうして私に構おうとするんです。放っておいてくれればいいのに」
「そりゃ気になるよ。君はその歳で随分と思い詰めてるように見えるし」
「子供扱いはやめてください」
「子供じゃなくたって、一緒にいる誰かが悲壮感を漂わせてたら気になるさ。クレイルだって内心そう思って……るかどうかはちょっとわからないけど」
「彼は私をバカにして楽しんでるだけです」
ちらりと横目で地面に転がって大きな寝息を立てるクレイルを窺う。こいつはコールヘイゲン姉妹のようなタイプは苦手そうだしなぁ。
クレイルが寝ているので、今俺たちの前に浮かんでいる燈の光は青白い。マリアンヌの燈は、クレイルの術とは対照的に静かな青い光を放っている。それをぼんやりと眺めた。
「……私は結果を出さなきゃいけない。迷宮に残された神代の遺構、技術を持ち帰ってみせるんだから。……絶対」
迷宮に入る者としてはありふれた理由だった。けど、この子の歳でそれが命を賭してまで迷宮を目指す理由になりうるのだろうか。
青白い燈にじっと目を注ぎながらマリアンヌは言った。その語気には頑なな意思と、どこか悲しげな響きを感じる。
青光に浮かび上がる少女の横顔は、まるで泣いているようにも見えた。
ふと、まだ幼い頃のアメリア姉ちゃんの泣き顔を思い出す。なるほど、俺はそれでマリアンヌの様子が気になったのかもしれない。
「俺は、東部のクレッカっていう辺境の出身なんだ。知ってる?」
「……いいえ」
「だよね。小さな土地だけど、自然はたくさんある綺麗なところさ。でも俺は故郷が嫌いなんだ」
「どうして」
「あそこに俺の居場所はないから。故郷の奴らからは厄介者扱いされてる」
「…………」
「子供の頃は本当に辛かった。町へ行くと大人にはひどいこと言われるし、子供達には酷く虐められた。何も悪いことなんてしてないのに」
「ある時何もかもが嫌になって、草原に寝っ転がったまま学校にも行かず家にも帰らずじっとしてたんだ。そうしてれば腹が減って死ぬか、夜のうちに動物やモンスターに殺されるかすると思ってね。今思うとかなり参ってるな」
「そんな……」
「そんで暗くなって、眠くてそのまま草原で寝てしまった。翌朝、心配して俺を一晩中探し回ってた姉ちゃんに起こされた」
「俺は寝ぼけて、姉ちゃんにもう天国まで来たのかって聞いたんだ。そしたらすごい勢いで泣きだしてさ」
「自分は生まれて来るべきじゃなかった、死にたいと思ったって言ったら、俺を抱きしめてそんなの嫌だ、生きていて欲しいって一刻くらい延々と泣き続けてね。あの時は姉ちゃんの涙が枯れるんじゃないかと思った」
「……その時思った。ああ、俺はまだ死ねないんだなって。姉ちゃんや、俺を大事に思ってくれる家族がいる限り、死にたくても死ぬことは許されない、俺の命は自分一人のものじゃないんだなって」
「だから俺は、生きる事を投げ出すのも諦めたんだ。そうやって足掻いて足掻いて、いつか自分で本当に納得できる、自分の生きる意味を見つけたいって、そう思った」
「…………」
目の前に浮かぶ燈は青く優しい光を放っている。旧地下水路で見たエレナの燈に近い感じがする。
マリアンヌだって、きっとエレナや家族に愛されているはずなのだ。
プリヴェーラの鉄道駅でマリアンヌを見送りに来ていたエレナは、心から妹の身を案じていたように見えた。
「だから死ぬなよ、マリアンヌ。一体何が君を縛り付けてるのか知らないけど、生きることを諦めちゃいけない。自分のことを思ってくれる人がいる限り」
「やっぱり、変な人」
ちょっと喋り過ぎたな。俺もどこかセンチメンタルな気分になっているんだろうか。半分は自分に言い聞かせるように話していた気がする。
「私には誰もいません。誰も、いない……」
俯くマリアンヌの青白い横顔を見て、小さなため息をつく。彼女にこんなことを話をしてしまったのは、きっとこの子の中に昔の自分、生きるのを諦めようとした頃の俺に似たものを見つけたからだろう。
こんな話をしてどうなるというのか。俺はマリアンヌの境遇について何一つ知りはしないのに。マリアンヌの悩みや痛みは、彼女にしかわからない。俺自身がそのことを一番よくわかっているつもりだ。
それでも俺は、言わずにはいられない。
「そんなことはない。少なくとも俺は、マリアンヌに生きていてほしい」
やがて目を覚ましたクレイルの代わりに、今度はマリアンヌが小さく体を抱え込むように横になって目を閉じた。
迷宮内での二日目が終わろうとしていた。
 




