第79話 流星
隠し通路に入ってからというものの、俺達は代わり映えしない傾斜のついた通路を相変わらず歩き続けていた。
「通路に入ってからずっと一本道だ」
「迷宮の構造はまさに迷路のようだと聞いている。確かに話と違う」
「かといって今更引き返すのもありえんし、このまま進むしかないやろ」
「残されている生存報告によると、調査団が迷宮内で過ごした時間は最長で三刻程度」
「俺たちはもう人が生きて帰ってきた記録のない地点まで入り込んでるんだ」
迷宮というくらいだ、もっと迷路のようなものを想像していた。ノーフェイスも襲ってこないし、迷宮の恐ろしさは化け物よりも構造の複雑さに集約されるのだろうか。
通ってきた道を引き返せばそのまま外に出られる、という考えは楽観的に過ぎるだろう。
さらに二刻ほど進むとようやく変化があった。薄闇に包まれた通路の先に、ぽっかりとさらに濃い闇が見え始めた。
最初はなんなのか判別できなかったが、距離が近づくにつれてそれが通路の出口であることがわかった。
「この先は……」
「慎重に」
通路の出口は壁ではなく、天井に開いていた。その穴まで坂道が続き、上の階に出られるようだ。どうもこの先にはかなり広い空間が広がっているらしかった。
俺達は慎重に通路から這い出た。相変わらず遠くで規則的に何かが動いている音以外の物音はなし。
「……すげえな」
かなり広大な空間だった。暗闇のため、燈の明かりでは見通すことすら不可能だ。だが頭上には無数のフィル鉱石の光が、まるで翠色の夜空の星のように瞬いていた。
こんな不気味な場所でも見入ってしまうほど美しい光景だった。俺たち言葉を無くし、翠光の星空を見上げた。
「とりあえずまっすぐ壁まで行ってみるか」
クレイルが燈の数を増やし、周囲に散らせる。多少視界は広がったけど、それでも俺たちが確認できるのは迷宮の床面だけだ。
開けた空間は非常に危険だ。それは今までの経験で何度も思い知った。
通路であれば前後に集中して警戒すれば危機察知は早いけど、こんな場所ではそうもいかない。周囲全方向が開けた暗闇というのは、非常にリスクの高い状況である。
早いところこんな空間は脱出すべきだ。俺達は足を早めて遮るもののない暗闇を進んだ。
「まるで屋外やな……。柱一本立っとらん」
「……! 走って!」
唐突にマリアンヌが叫んだ。背後からの突然の大声に肝を冷やすが、俺とクレイルはとにかく走り出す。最後尾の彼女が何かを察知したのだ。
「後ろから来るんか?!」
「いいからっ! 走って!!」
マリアンヌの声は今まで聞いたこともないほど切迫した調子だった。いつも冷静な彼女がこんな声を出すなんて。
「マリアンヌ! 敵なのか!」
「天井のフィル鉱石のせいで感覚が阻害されているんだと思ってた……。でもこれは違う!」
「?」
クレイルを先頭に疾走する俺達の至近で大きな音が鳴った。何かが地面とぶつかるような鈍い衝突音。暗くて何が起きたのかは見えない。
その音を皮切りに、周囲で地面に何かが激突するような音が次々に響く。何かが……上から降って来ている?
「あの天井の光、あれら全てがノーフェイスなんです! 存在を知覚できなかったんじゃない……っ! あまりに数が多すぎて、個として認識できなかった!」
「あの光が全部ノーフェイスだって?! じゃあこの音は……」
「全力で走れ、通路を探すぞ!」
すぐ近く、浮遊する燈の側にまでそれは落ちてきた。
地面に激突したのは黒い塊だった。俺達と共に移動する燈の範囲からはすぐ外れたので見えたのは一瞬だったが、あの不気味な形状は間違いない。
「ノーフェイス……!」
走りながら天を仰げば、翠の軌跡を描いて無数の光が降ってきていた。
死の流星が暗闇の地平へと降り注ぐ。夢か現か、その境界すら曖昧になるほど儚く美しい光景の中を俺たちは脇目も振らずに駆け抜ける。
胸の中で急速に膨れ上がる絶望を抑え込み、それでも駆けた。
高い天井から降り注ぐノーフェイスが、地面に激突する音がさざめきのように周囲一帯で鳴る。あまりに広い空間のため、全力で走っても未だ端に到達できない。
クレイルが燈を前方に飛ばし、先の様子を探ってくれているが、俺達のすぐ側の地面にも奴らは降ってくる。
さすがに落下直後に動くことはできないようだが、すぐ追いかけて来るに違いない。この大量のノーフェイスにとり囲まれたらさすがにやばい。
進行方向から俺達に向かってくる影が見えた。クレイルが火焔で吹き飛ばすが、同時にもう一匹右手からも寄ってくる。
王冠の光をその顔面目がけてブチ込んでやる。ノーフェイスは足を止めてその場に崩れ落ちた。
「まずい、奴らどんどん集まってきてる。このままじゃ囲まれる!」
「とにかく急げ、壁まで!」
走りながらもクレイルは前方に次々現れる黒い影を波導で蹴散らしていく。撃ち漏らしや他方向から現れる奴らはそれを援護する俺とマリアンヌが対応する。
翠の流星の中、駆ける俺達を目指して集まるノーフェイスの数は次第に増えてきた。そしていつの間にか、後方からは地鳴りのような不気味な音が轟く。
天井から降って来たノーフェイスの大群が、黒波となって俺達の背後に迫っているに違いない。
「見ろ、壁や!」
先行する燈が動きを止めた。壁が照らし出されている。壁に到達した光球は二手に別れ、壁に沿って走り始める。
片方の光が停止した。照らし出された壁に通路が口を開けていた。
「あそこや!」
向かって来るノーフェイスを蹴散らしながら、俺たちはその通路に駆け込んだ。
通路の先から奴らはやってこない。それでも背後からは地響きが鳴り、無数のノーフェイスが俺たちを飲み込まんと迫っているのが伝わる。
「通路に入り込めたはええが、奴ら、足が速え!」
全力疾走しながら思わず後ろを振り返る。俺達の後を付いて追って来るノーフェイスの姿が数匹、そしてそのさらに後ろは……、振り返るんじゃなかった。
「……ここならええやろ。まとめて焼き払ったる」
クレイルが足を止めて振り返り、杖を構えて集中する。エアリアが波導の気配を宿して赤い輝きを発する。
「大地を割り、万物を飲み込む火龍の顎門——。焼き尽くせ、『獄炎』ッ!」
クレイルの杖に集束した熱気が詠唱の直後に一気に解放される。
通路を埋め尽くし、大挙して押し寄せるノーフェイスは通路を明るく照らし出す火炎の波に飲み込まれた。
元来た通路はクレイルの炎にのまれ、灼熱の地獄と化した。ノーフェイスの大群は燃え盛る炎の中に沈む。
後からやってくる新手のノーフェイスが、高温で溶けた先行者の体と癒着する。
そうして積み重なった化け物の群れは自らの体で通路を塞いでしまった。火の海の前でクレイルが高笑いする。
「カッカッカッ! 風の性質が充満しとるだけあってようけ燃えよるなァ!」
ここ、翠樹の迷宮ベインストルクは風の迷宮だと言われている。クレイルの振るう火の波導は、属性相性的にこの迷宮の中ではとても調子がいいのだろう。あまりの高温にこめかみを汗が伝う。
「大半のノーフェイスの反応は消失。残りは足止めを食らい追ってくる気配もなし」
「危機は去ったか……。ありがとクレイル。おかげで助かった」
「いいってことよ」
なんとか襲撃を乗り切って、俺たちはさらに迷宮の奥へと歩を進めた。




