第73話 ノーフェイス
森をさらに奥へ進んで行くと古代樹の間に動物達の死骸が目立つようになった。
マクミランスネークの襲撃を受けてからそれなりに進んできたが十体ほどは見た。種類は様々で、中にはモンスターの死骸も混じっていた。
死骸の種類はバラバラだったがいくつか共通する点もある。
いずれの動物も鋭い爪や牙に引き裂かれて絶命していたが、肉を食われたり、体の一部を持ち去られているような状態のものはほとんどない。
「これもだ。頭に鋭い切り傷がある」
「嫌な死骸やな。普通は食うために獲物を狩るもんやろうが。こりゃあまるで」
「殺戮が目的みたいだ」
「人間の手によるものには見えませんし、モンスターならば殺した動物を食べるでしょう」
「つまり、噂のノーフェイスって奴の仕業か」
地面に横たわるフォレストウルフの死骸を検分しながら俺たちは話す。既にこの辺りを多数のノーフェイスがうろついているとみて間違いない。
俺達はなるべく静かに速やかに森を抜けるため、さらに歩を進めた。
「マリアンヌ。翠樹の迷宮が活性化するっていうのはよくあることなの?」
薄暗くなり始めたアラウダ大森林を急ぎながらおさげ髪の少女に聞く。
「迷宮から放出される風の属性を帯びたフィルの量には決まった周期がある。今回の活性化は明らかに周期から外れた異常事態」
「異常事態」
「確かにここ最近はプリヴェーラの街からでもずっとハッキリ見えとったからな」
「迷宮の活性化が始まったのは六週ほど前。風のフィル濃度は高まり続けているそうです」
一月半前というと、丁度俺とフウカが東部に来た頃のことだ。
迷宮の異常な活性化とフウカの突然の失踪。その二つに果たして関係があるのかどうか。分からないが、嫌な予感を感じずにはいられない。
「早速おいでなすったな」
前方から黒い影が古代樹の合間を縫ってこちらに駆けてくるのが目に入る。
「あれがノーフェイスか!」
疾走する黒い生物。全身真っ黒な体躯で四足動物のような見た目だ。人間が跨がれそうなくらいには大きい。三体いる。
王冠を構えると、マリアンヌが俺たちの前に歩み出た。
「待ってください」
「なんやぁ? ワイがまとめて片付けたるから引っ込んどってもええぞ」
「また森を燃やすつもりですか。それに死骸まで燃やされると困る。手を出さないで下さい」
「カッ、後から手伝え言われても知らんからな」
そう言うとクレイルは杖を下ろした。
「マリアンヌ、本当に一人でやるのか」
「こいつかていっぱしの術士や。このくらい平気やろ。実力見せてもらおやないか」
マリアンヌは銀色をした長杖を手に取る。俺は王冠を構えたまま下がった。
ノーフェイス共は俺たちに狙いを定めたようで、真っすぐに迫ってくる。マリアンヌは集中し、杖に意識を集めている。
「彼の者の歩みをその地に縫い止めよ、『針鼠』」
マリアンヌが詠唱を刻み杖を地面に突き刺す。するとエアリアの輝きと共に地面が隆起した。
こちらに向かってくるノーフェイスに向けて、下草を突き破って次々と鋭い棘のようなものが地面から突き出し広がっていく。
構わず突っ込んでくる黒い化け物の足元にも棘は達し、その四肢を鋭く貫いた。足を貫通した棘によってノーフェイスの接近が鈍る。
「ほお、水と地の二色使いか。さすが名門出身」
「貫き穿て、『石杭』」
動きの止まった三体のノーフェイスの直下から、岩で生成された先端の尖った柱が勢い良く突き出しその胴体を串刺しにする。
石杭に体を貫かれ、完全に自由を奪われたノーフェイス達は四肢をばたつかせ、もがく。
「お見事」
「このくらい普通です」
マリアンヌは一帯の地面から突き出した棘を波導を使って崩し一旦整地すると、捕らえたノーフェイスの検分を始めた。
彼女の仕事は迷宮の調査なのでノーフェイスについても調べるつもりなんだろう。
そのために生かしたまま捕らえたのか。クレイルの波導だと炭しか残らないからな。
串刺しになったノーフェイスは間近でじっくり見ると実に薄気味悪い生物だった。
草原を駆ける獣のように長い四つ足を持ち、体は毛や皮というよりもっと繊維質な材質で構成されていた。真っ黒な木の根が寄り合い形作られているみたいにも見える。
光を吸い込むような黒い体は、しっとりと濡れたように鈍く光を反射する。積極的に触りたいとは思えない見た目だ。
その頭部は特に特徴的で、鋭い牙を剥き出しにして大きく裂けた口腔をガチガチと鳴らすが、目鼻らしきものは見当たらない。妙にのっぺりとした頭部だった。
「こいつら、全然死ぬ気配がないな」
「特に痛みを感じとる風でもねえし、不気味な奴らや」
串刺しとはいえ、獰猛さを剥き出しにして手足をばたつかせる奴らに近寄るのは危険だ。が、マリアンヌは一歩ノーフェイスを近くで観察しようと踏み出す。
途端、もっとも近くのノーフェイスの頭が予想以上に伸びて、マリアンヌを食い破ろうと大きく口を開く。
「きゃっ!」
化け物の頭が炎とともに盛大に弾ける。頭を吹き飛ばされたノーフェイスは脱力し完全に停止した。
「ったく、不用意に近寄んなよ」
クレイルは他の二体の頭部も同様に吹き飛ばして杖を下ろし、呆れたようにして言う。
死骸となった今、その体は徐々に気化しているようで、うっすらと黒い霧が吹き出している。放っておくと消滅するのか。どうりで素材が取れないわけだ。
「……せっかくのサンプルだったのに」
「頭が弱点やな。それさえわかりゃ問題ないやろ」
「むしろ、頭を破壊しない限り動き続けそうだなこいつらは。そもそも本当に生物なのか……」
こうして実体が存在するってことは波導生物の類じゃないし。
「こいつの消え方、ゲーティアーに似とるな」
「たしかに。この黒い霧みたいなの、あいつも出してた気がする」
そうだ。見た目も雰囲気の凶悪さもどこか近いものがある。霧となって消滅するのも同じ。何か関係があるのかもしれない。
マリアンヌが消え行くノーフェイスの死骸を切り開いて中を検分する。
「臓器も器官も、何も見当たりません」
「そんなの、もう生き物とはいえないじゃないか」
「刻印機械の方がまだ近いかも」
「どちらにせよ厄介な連中や。数も多そうだしな」
「…………」
「どうしたちびすけ」
「頭部もみないと、わかりません。誰かのせいで吹き飛んでしまいましたけど」
「あんなぁ、あんな顎ガチガチさせたまま解剖する気かいな。手ェなくなっても知らへんぞ」
「ま、まあ二人とも。きっとこの先もっと出て来るだろうから、機会があればまた調べようよ」
ともあれ、ノーフェイスの情報が得られたのはありがたい。
「分析に夢中になるんもええが、もう陽が暮れるぞ」
「しまった。早く里まで行かないと」
「……急ぎます」
「闇を打ち払え、『燈』」
クレイルが波導で煌々と燃える炎を灯す。炎は周囲を照らしながらクレイルの近くを付いて飛んでいく。
陽は第五層の向こうに落ちて、もう辺りは薄闇に包まれていた。
ノーフェイスの検分を終えたマリアンヌが腰を上げると、俺たちは足を早めて森を再び歩き出した。