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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
三章 翠樹の迷宮
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第68話 理由

 


「今の迷宮は危険ですけど」


 発着場内の待合椅子に座り、膝に置いた書物に目を落としていたマリアンヌが呟く。


「聞いてるよ」

「此度の迷宮調査員の増員は、アラウダの領主から協会にやってきた依頼によるものです」

「アラウダっちゅうことは、迷宮周辺の地域を治めとる領主か。迷宮の調査なんぞいつ打ち切られてもおかしないと思っとったが増員とはな」

「領主の使者によれば、最近は迷宮の活性化に伴って周辺地域にも被害が出始めているそうです」

「被害?」


 マリアンヌは、何も知らないのかというような冷めた目で俺を見る。


「ノーフェイスのことです。迷宮周辺のアラウダ大森林で相次いで目撃されているそうです」

「迷宮の外で、かァ?」


 ノーフェイス。初めて聞いた。各地の迷宮内部にのみ生息する謎の多い生物らしい。


 迷宮の調査が難航しているのは、調査の傍ら際限なく湧き出すノーフェイスにも対処しなければいけないというのが理由の一つだと彼女は言う。


「そいつらの数が増えて迷宮から溢れ出してるってことか」


 そんな危険な化け物がうろつく場所にフウカは行こうとしているのか。


「そんでちびすけが新たに派遣されるちゅうわけか。しかしなんともまあ、よう受けよ思たな。ガルガンティア協会も酷やの」

「ところでその癇に障る呼び方やめてくれませんか。体内の水を沸騰させますよ」


 マリアンヌはクレイルの呼び方が本気で気に入らないらしい。全く冗談の気配がない。本当に波導を使いそうだ。


「どうしてそんな危険な任務に就くことになったんだ?」

「別に……、協会への依頼には危険なものだって多いんです。これくらい普通です」


 マリアンヌはそれきり再び書物に目を落とし、それ以上の会話を拒んだ。



 船の準備が完了し、俺達は浮遊船に搭乗した。

 風向きは時間によっても変わるらしく、大陸側に吹き付けていた強風はいつのまにかシスティコオラ向きの追い風となっていた。


 船は強烈な風に押されてガビアの地を離れ、瞬く間にガストロップス大陸は見えなくなった。





 §





 夕方にガビアを出港した船は安定した速度で、雲の合間を滑るように航行していた。

 俺は船体前部の屋上に設置された甲板の手すりに持たれて、進行方向に見える翠樹の迷宮と雲の群れを眺めていた。


 既に陽は落ちて空は暗い。部屋で波導の訓練をするクレイルを置いて気分転換に外に出てきた。


 もう八の月だ。周囲を見回せば、全方位から大小合わせて八つの月が夜空に輝いている。月の光に照らされた雲海はどこまでも続いているかに見える。船尾のフィンが規則正しく風を打つ音以外、物音もなく静かな夜だった。


 強風の吹き荒れるシスティコオラ周辺の空域にも、凪の時間帯というものは存在するらしい。



 フウカはもうシスティコオラに渡ってるはずだ。一人きりでどうしているだろう。

 俺は彼女が一人で遠出するなんて考えもしなかった。俺の中でフウカは、今だに切符の買い方もわからない記憶喪失の少女のままだったから。


 プリヴェーラを出てから、フウカの抱えていたものについてずっと考えていた。目下のところ、彼女が突然出奔したことに直接結びつきそうな理由はやはり記憶に関することだと思っている。


 区役所に頼んでいる調査結果は水質汚染の騒動でまだ出ていないはずだ。

 俺の与り知らないところで、何か自分の出自に関する情報を掴んだのか。



 考えに沈んでいると、人影のないデッキに足音が鳴った。


「マリアンヌか。外は冷えるよ」

「波導の膜で身体を覆ってるので寒くありません」

「便利だね。術士ってのは」


 マリアンヌは少し離れた場所に立って柵に手を載せ、俺と同じように浮遊船の進路の先を見る。


 雲に覆われた暗い空の先、薄っすらと翠色に発光し、曲がりくねりながら天へと伸びる塔のシルエットが夜空に浮かび上がっている。


 まだかなりの距離があるけど、その巨大な遺跡が放つ怪しい輝きはここからでも見える。幻想的な光景だった。


「迷宮調査、断る事も出来たんだろう? エレナさんも心配していたようにみえた」


 迷宮が活性化しノーフェイスとかいう化け物がうろつき始めた危険な土地に、こんな年端もいかない少女を一人で行かせるようなことを彼女がするだろうか。


「自分から志願したんです。お姉さまは反対していました」


 マリアンヌは遠い迷宮に視線を注いだまま無感情に言った。


 プリヴェーラから離れたシスティコオラの地で、進展のない迷宮調査に従事するなんて、よっぽどの物好きでもなければ進んでやろうとは思わない仕事なんじゃないかという気がする。


「私の任務は迷宮の異常活性の原因の究明ですが、依頼主が期待しているのはノーフェイスの駆除でしょうね」


 ガルガンティア波導術士協会に調査員増員の依頼を持ってきた領主は、どうやら周辺各地の別の協会からも術士を集めているらしい。領地を守り、迷宮の化け物に対抗するためだろうか。


 ガルガンティア協会にきた依頼が迷宮調査の名目なのは、依頼料をケチるためだろうとマリアンヌは睨んでいるそうだ。


 術士界隈でも戦闘が想定される依頼は危険が伴うため、高くつく傾向にあるのだとか。とにかく術士を集めて戦闘要員を確保したいという狙いか。


「……よくわからないな。危険な任務とわかっていながら行くなんて」


 マリアンヌからの返事は返ってこない。しばし互いに無言で迷宮を眺めた。しばらく経つと彼女は無言で船内へと戻って行った。


 彼女もまた、迷宮に対する何か特別な思いでも抱えているのかもしれない。

 ぶるりと体の冷えを感じたので、俺もそそくさと階段を降りて闇夜の甲板を後にした。




 §




 ぐるぐると目まぐるしく回転する巨大な二つの黒い眼球がすぐ目の前にあって、白く小さな瞳孔が俺を見下ろしている。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ」


 体が動かない。今すぐこの場を逃げ出したいのに、俺は釘付けされたようにアグリィラケルタスの真っ黒な巨体に見下ろされ硬直している。


 大蜥蜴が大顎を開き、そこから粘性の液体が溢れ出してくる。酸液が俺の肩や胸に降り注ぎ煙を上げる。


「あ……あ゛あ゛っ、ぐううッ!」


 硬直する体を鋭い痛みが貫き、皮膚と筋肉を溶かした酸液が体内に染み込んでいくのを目を剥いて見下ろす。体が、溶ける。


 頭に被った酸液で右目の視界が失われる。動かない体で金縛りを脱しようと必死にもがく。


 残った左目で最後に見たのは、アグリィラケルタスが振り上げた尻尾が俺に向かって真っ直ぐ叩き下されるところだった。


「うわああぁぁっ!!」


 がばりと寝台の上に起き上がり、右腕に触れる。全身汗濡れだった。背を丸め、右腕をギュッと掴む。……大丈夫だ。ちゃんと、ある。


 また、この夢だ。あの日から、アグリィラケルタスに全身を溶かされる夢を見るようになった。


 まだ朝早い時間だったが、起き上がり顔を洗うためにクレイルを起こさないようにして俺は船室を静かに出た。



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