第58話 旧地下水路の闇
プリヴェーラ旧地下水路は上層よりもさらにじめじめとして、トンネル内には濃厚な水の気配が漂っていた。俺には感じられないが、水の属性を含んだフィルというのはこういう系統の感触がするものなのだろうか。
水路の先は一寸先も見えない真の闇。心なしか上層よりも闇が濃くなったように感じられる。気の抜けない場所であることを肌で感じ取り、警戒感を強める。
「ちっ、上とは比べ物になんねぇカビ臭さだぜ。まともに鼻がききゃしねえ」
この場所ではエルマーの索敵能力も頼りにできなさそうだ。
俺たちは周囲を注意深く警戒しながら半刻以上歩いて進んだが、ウーパスの影も形もない。とんだ肩透かしだった。
歩けど歩けどモンスターの気配は一切なし。いい加減徒労感を覚え始めた頃、クロウニーが突然立ち止まった。
「引き返そう」
クロウニーの呟きが空っぽの水路の闇へと吸い込まれていく。
「まだモンスターに会ってもいねぇぜ?」
「いやエルマー、これは確かにちょっと変だぞ」
「プリヴェーラ旧地下水路は大量発生したウーパスの巣窟になっていると予想されていたはずなんだ」
「上から降りてきた連中が全部倒しちまったのんじゃねーのか?」
「だけどあまりに静かすぎる」
いるはずのモンスターが一匹も見えない。水路は不気味に静まり返っている。偶然出会わなかった……とは思えない。奴らは俺たちを感知すれば襲ってくるはずだから。
ウーパス達はどこへ消えた? 他の狩人達は? どこまでいっても静かな水音の他には静寂が支配するだけの地下水路は答えを返してはくれない。
「とにかくすぐに引き返そう。あまりにモンスターの姿が見えないせいで深入りし過ぎてる。これ以上は危険だ」
クロウニーの判断に従い俺たちは元来た道を引き返し始めた。
「ったく拍子抜けだぜ。ウーパスはどこ行ったん……」
愚痴を中断してエルマーは取り出した光石を発光させ素早く前方へ放った。硬い音を立てて転がる石が帰りの通路を先の方まで照らしていく。何もない。
唐突に寒気を感じた。とても嫌な感じだ。見られている。暗闇の向こうから俺たちを見るものがいる。二人もそれを感じ取ったらしい。立ち止まり、光石の照らす先の闇を無言で睨む。
ざわ、と暗闇が蠢いた気がした。……気のせいじゃない。闇そのものが、まるで生きているかのような。その正体に気がついた時、全身総毛立つ。
闇の奥に、何十体ものウーパスがひしめいていた。10体以上はいる。いくつもの小さな目玉がこちらを窺っている。
何体いるんだ。……そして一体いつから————。
隣のクロウニーが、エルマーの光石が消える前に別の石をさらに奥へと投げ込む。それが戦闘開始の合図となった。
王冠を現し、光石の奥へ向かって威嚇するように光を放つ。落ち着け。焦らず、心を乱すな。込める煉気量を抑えろ。
光石に照らされたウーパスは壁、天井、床といたるところに張り付いていた。威嚇射撃によって少しだけ後退する。そこへすかさずエルマーが爆裂エアリアを投げ込んだ。
カンッと硬い音が床に跳ねた直後、爆音と共に眩い炎が水路の内壁を舐める。爆風が吹き寄せ、それが過ぎ去ると通路の先には燃え盛るウーパスの死骸が散乱した。天井や壁から剥がれ落ち、ぼとぼとと湿り気を帯びた地面に落下していく。
爆裂エアリアは強い衝撃を与えると爆発する扱いに注意が必要なエアリアだ。俺には危険すぎて持ち運べない。モンスターに使うと素材もろとも爆散してしまうので、ほとんど緊急用だ。今は素材なんて気にしていられる状況ではない。
「クソ、どんだけいんだよ……」
爆炎によって俄かに明るく照らし出された水路内、続々と現れるウーパス達めがけて、俺とクロウニーは衝撃波と火矢を浴びせかける。数が疎らになったところにエルマーが突っ込み、飛び交う酸液を躱しながら一体ずつ叩き潰していく。
暗所に住むモンスターは光に弱い。奴らは普段見慣れない眩しい光に怯え、少しだけ怯んで動きを止める。しかし見えるだけでも水路の先にはまだまだ大量のウーパスが潜んでいる。きりがない。
エルマーは頭を潰したウーパスの尻尾を掴み、まだ生きている奴に向かってぶん投げたり、死骸を盾にしたりと前線で大暴れを始める。俺とクロウニーはそれを援護する形だ。
攻撃を加え続け、何匹ものウーパスを仕留める。奴らの数がようやく減って来たと思われた頃、やけに動きが速く体の大きな個体が目に入った。
「マッドウーパスだッ!」
「飛べナトリっ!」
マッドウーパスが口を開けるのを見た瞬間俺は思いきり地面を蹴って横ざまへ飛ぶ。後方で大きな水音が弾ける。一際大きな蜥蜴魚が大量の酸液を噴射し直線上を薙ぎ払っていく。
エルマーがマッドウーパスに死骸を投げつけ行動を妨害している。その巨体を狙い、移動しながら王冠を放つ。やはり巨大なモンスターとなると一二発当てる程度では全然効きやしない。
「あいつを最優先で狙う! マッドウーパスを放置するとまずいっ!」
「おぉっ!」
「わかった!」
エルマーは持ち前の怪力に任せた直線的な高速機動で酸液を避けながら壁を伝うマッドウーパスを翻弄し、攻撃を加えようとする。俺もエルマーを援護するためその巨体に狙いを定める。モンスターの手足を光が打ち抜き、動きを一瞬だけ鈍らせる。エルマーはその隙を逃さない。
「ぜああッ!!」
壁に張り付くマッドウーパスの脇腹に強烈なパンチを叩き込み、地面へと引き摺り下ろした。だが床にひっくり返った蜥蜴魚はじたばたと激しく暴れ、さらなる追撃を加えようと飛びかかったエルマーを弾き飛ばす。
「ぐおっ!?」
頭部を狙い王冠を放つが、陸に上がった魚のように跳ね回る頭を捉えることができない。起き上がったマッドウーパスが首を擡げ、こちらを向く。
すかさずエルマーが横合いから加速をつけた頭突きをその横っ面にお見舞いし、怯んだ隙に背中に飛び乗ったエルマーが強打のラッシュを叩き込んでいく。
「くたばりやがれってんだッ!!!」
背中に叩き込まれるエルマーの怪力連打に呼吸が止まったのか、マッドウーパスの体は仰け反るようにして動きを止める。息の根を止めるならここしかない。
人差し指で王冠の引き金を押さえたまま固定。炎のように揺らぐ光が杖から溢れ出す。それを構え、マッドウーパスの頭部に向かって一直線に駆ける。
「これで終わりだッ!」
地面を抉る程に長く伸びた光を発する王冠を、マッドウーパスの大顎に向かって掬うように振り上げる。眩く青い閃光が扇状の軌跡を描いて奴の巨大な頭部を鋭く切り裂いた。
四肢から力の抜けた蜥蜴魚は、首まで真っ二つになり汚水を床へとぶちまけながら地面に転がった。
息をつく前に、胴体に腕が回され強引に引っ張られる。一瞬体が浮いた。
「うぐっ!」
声を発したのは俺を抱えて飛び退いたクロウニーだった。抱えた俺の体を放すと、屈んだまま矢を番て壁面のウーパスを射る。
「クロウ!」
エルマーの猛攻とクロウニーの矢によって、ほとんどのウーパスは討伐され、わずかな残党は後退していった。なんとか群れを撃退できたようだった。
だがクロウニーは煉気を放出して力の抜けた俺を、ウーパスの攻撃から庇った際に左足に酸液を浴びて負傷してしまった。動かすことはできるようだが、いつもの涼しげな顔は苦悶の表情に歪んでいる。
ポーチから治癒エアリアを取り出し、衣服が破れ露出した患部にふりかける。
「悪い……! 俺のせいで」
「気にしないでくれよ。ナトリがあいつを倒してくれなきゃみんなが危険だったさ……」
「大丈夫かよクロウ、ナトリ。素材は勿体ねぇが、長居は危険みてぇだ。二人とも動けっか」
俺とクロウニーはすかさず立ち上がる。
「大丈夫」
「俺もだ。……早く行こう」
王冠の力を解放したせいでふらつく足を無理やり立たせ、水路を出口の方へと撤退する。三人で交互に光石を投げながら視界を確保していく。
折角倒したマッドウーパスだが、こうなっては仕方がない。俺たちの考えが甘かった。ウーパスが気配を断って束になり襲ってくるなんて……。音の反響する水路を走りながらエルマーが口を開く。
「ヤツら、徒党を組んで襲ってきやがる。どういうわけだよ」
「モンスターが集団行動を取る原因に多いのは上位種の存在。しかしマッドウーパスにそんな力はなかったはずだよ。まさか……」
嫌な想像ばかりが膨らんでくる。今はとにかく出口に向かうことだけを考えた。水路をまっすぐ走ればじきに上層への梯子のある部屋まで戻れるはずだ。
「っ!」
水路の先に放った光石が大量のウーパスの群れを照らし出した。飛来する光石と照らされる範囲から逃げるように、モンスターの群れがざわりと引いた。
「オイオイオイ……! どんだけ出てくりゃ気が済むんだぜ」
クロウニーが素早く矢を番えて弦を弾く。火矢は水路の先を埋めつくさんばかりのウーパスの大群に着弾し、ぱっと赤い炎が上がった。
「来るッ! 散開だ!」
今度の群れは明かりや火にひるむことなく進軍してくる。辺りに水音が弾ける音がし、酸液の塊が飛来する。数が多すぎる。
俺たちは後退し、十字路になる場所まで走って左右の通路に退避した。エルマーとクロウニーは反対側の通路に隠れた。通路の角から顔を出し、群れに向かって威嚇のつもりで数回王冠を放つが最早焼け石に水だ。
「くそっ! 奴ら死ぬのが怖くないのかよ」
これだけ多いとまっすぐここを突破して入り口に戻るのは無理だ。迂回するしかない。
今や水路には進行してくるウーパスの群れが放つ酸液が雨のように降り注いでいる。通路へ飛び出してのクロウニー達との合流は危険すぎた。分断されてしまった形だ。
向こうの通路の角に退避している二人に向かって叫ぶ。
「クロウ、エルマー! 二手に別れて迂回しよう! こっちは一人で何とかするっ!」
「仕方がない……! ナトリ、出口で合流だ!」
「死ぬんじゃねぇぞ!」
向こうの二人と目を合わせる。頷き、俺達は通路を走り出した。後ろは振り返らない。
「はぁ、はぁ……っ」
煉気を大量に使ったせいで体と頭が重い。
旧地下水路に降りてから俺たちは水路をまっすぐ進んで来た。そして大体同じ距離間隔で十字路を通過した。施設の性質上、そんな複雑な構造はしてないはず。なんとなく、上層と同様に規則正しい網の目状になっているんじゃないかと推察する。
俺たちが退避したのは出口から進んで確か四箇所目の十字路だった。一ブロック隣の水路まで迂回し、再び出口方面へ向かって走れば群れを迂回できる。
「二人とも……、無事でいてくれ」
杖を構えて駆けながら目の前の暗闇を睨んだ。