第45話 清流の都プリヴェーラ
「おはよーナトリ」
目の前の座席に座るフウカの笑顔が目に入る。
「……おはよ」
俺の隣には既に起きていたクロウニーが座っているが、ディレーヌの姿はなかった。
「朝の身支度中さ。女の子は色々大変らしいから」
あくびをかみ殺して寝ぼけ眼をこする。窓の外に目をやるともうすっかり明るい陽が草原を鮮やかに照らしていた。
「あれがトレト運河かー……」
「そう、あれがガストロップスで最も大きな河川と言われるトレト運河だ」
鉄道はプリヴェーラまでこの運河に沿って走るそうだ。プリヴェーラは河の中にある一風変わった都市として東部では有名な町だ。またの名を清流の都。東部人が憧れる都会で、美しいと評判の街。
「プリヴェーラではエアリア精錬が盛んだって聞いたことがある」
「イストミルでも水の属性を持つエアリアの質は最高水準さ。街中いたるところに工房があると聞くし、エアリアを仕入れるためにプリヴェーラへ来る者も多いんだ」
クレイルもプリヴェーラを拠点にしていると言っていた。浮遊船でお世話になったガルガンティア波導術士協会もここにあるみたいだし、術士にとってフィルに色濃い属性が含まれる土地は恩恵が多いんだろうか。
「エアリアに興味があるのかい? この列車にもプリヴェーラ製の特殊なエアリアが使われているんだよ」
「エアリアってなに?」
フウカが質問を挟む。彼女の髪はところどころ跳ねていたので、網棚に乗せた鞄を探ってアメリア姉ちゃんからフウカ用に受け取った櫛を取り出す。クロウニーの話を聞く体勢でいるフウカの、寝乱れた髪を梳かしてやる。
「そうしていると、本当の兄弟みたいだね」
一連の流れを見てクロウニーは可笑しそうにしていたが、フウカが興味津々なのを見て取り語り始めた。
「エアリアというのは、発掘される鉱石などから精錬によって不純物を取り除き、フィルの純度や属性の性質を高めたものだよ。君も一度くらい見たことあるだろう?」
エアリアは工房で職人の手によって作られる。フィルには色々な属性が備わっていて、精製することによってその性質を引き出したり組み合わせたりできる、らしい。
術士の使う杖には大体エアリアが嵌っているし、クレイルの持っていた杖にも波導を増幅するための真っ赤な火のエアリアが使われていたっけな。
エアリアは日常生活にも使われている道具だ。高い出力を必要とする刻印機械などには動力としてエアリアを使う。エアリア式焜炉みたいな専門的な調理器具や、俺が王都で使っていた空輪機などはスロットにエアリアを装填してエネルギーとしている。
クロウニーはわかりやすくエアリアについてフウカに講義していた。
「エアリアと刻印回路の発見は世界に技術革命をもたらしたけど、それを利用して作られる刻印機械は兵器として戦争に使われるようにもなった。暮らしを豊かにするはずの発明が世界を灼き、人々を死に至らしめたんだ。……皮肉なものだね」
どこもかしこも戦乱の絶えなかったという旧世紀の話か。
フウカは神妙に頷いていた。暗い話題になりそうなところにディレーヌが通路から現れた。
「おかえりデリィ」
「あなた達も起きたのね。おはよう。……なにしてるの?」
俺はさっきからクロウニーの話を聞くフウカの髪を梳かしている。フウカはされるがままだ。
「何って、髪を梳かしてるんだ。おばさんにも身なりに気を使えって言われてるのに自分じゃ全然やろうとしないんだよ」
「そう……勿体無いわね。すごく可愛いのに」
ディレーヌはボソッと呟いて座席に落ち着いた。俺たちは揃って朝ごはんを取り出して食べ始める。
日が昇り、トレト河の川面に陽の光がきらきらと照り映え始めるころ、河向こうにうっすらと小さく建物の影が見え始めた。いや、河向こうというより河のど真ん中か。
ガストロップスの大地を流れるトレト運河。いくつもの流れがここプリヴェーラ上流で一つに合流する。河を下って船で運ばれた物資は直接街へと運び込まれる。運河は多くの船が行き交い、交易で賑わう大都市の雰囲気を感じさせる。
列車は次第に向こう岸すら見えない巨大河川に近付いてゆく、岩石を削り出して作られたような石組みの白い架橋が見え、列車はその上を走ってゆく。俺とフウカは窓から身を乗り出すようにして流れていく風景から目が離せない。
「すごーい! 水の上を走ってる!」
フウカが興奮した声を上げる。
「街が見えてきたね」
橋の上を突き進む列車の先に、青空と清流をバックに立ち並ぶ白い街並が見えてくる。今風の民家や商店に混じって屋根の尖った高い塔やドーム屋根の大きな建物も見える。
それらは河に沈んでいたり、浮いていたりもする。列車が街に近づくにつれ、付近の川面を並走する貨物船や商船の姿が増えてきた。
「皆、この先の水路から街に入ろうと船を進めているんだ。大水門が見えてきたろ?」
進行方向に、河中に建つ白く大きな門が見える。古びた建造物だが凝った装飾が施され、なかなかに迫力がある。何隻もの船が同時に通れるほどの巨大さだ。
列車はそこにまっすぐ続く高架の上を走り、アーチをくぐって列車用に拵えられたトンネルに入っていく。辺りが暗くなり、橋の両脇に立ち並ぶ白い像が灯に照らされたトンネル内部を進んでいく。
トンネルを抜けると視界が光で満たされた。街の大水門を抜けた先には白く美しい街並みが広がっていた。
「わあー……!」
列車は幅の広い大水路の真ん中に敷かれた高架の上を走っていた。見下ろせば、色とりどりの貨物船や商船、人を乗せた小型の舟が行き交う。水路沿いにならぶ白い建物は歴史を感じさせる古めかしく凝った造りが多い。大水路から小さな水路へといくつも枝分かれしていく様は、街の複雑さを窺わせる。
「プリヴェーラはトレト運河の上にある街だから、移動するためにも水路が使われるんだ。暮らしと共に水がある。清流の都と云われる所以さ。デリィも気に入った?」
「もちろん。憧れの街ですもの」
確かにこの街には水が多い。浮遊街区や木の生い茂る空中庭園が無数に浮かんでいるのが見えるけど、そこからとめどなく水が溢れる滝のような水の柱が見える。多分あそこにはトレト河から産出した巨大な水のフィル結晶が据え付けてあるのだろう。他の街では見られない独特の景観だ。
中でも街の中心部に浮かぶ大きな街区の上、街の一番高いところにある巨大な水の結晶はとても象徴的でぼんやりと青い光を放っている。その巨大結晶を伝って大量の水が下の街区へと流れ落ちている。
あの結晶から直接溢れ出した、水の属性を多量に含んだ清水を使ってエアリアを精錬しているんだろうか。
「ナトリ、あれ見て!」
「ん、……なんだあれ?」
巨大結晶の周囲を回遊するみたいに、浮遊街区の上空をゆったりと飛んでいく白い龍の姿が目に入る。とても大きい。
「モンスター?!」
「ぷっ」
斜向かいに座るディレーヌが吹き出した。俺は虚を突かれたような顔になる。
「ははは。ナトリ、あれはモンスターじゃない。ここプリヴェーラのエルヒムだよ」
「え、エルヒム?」
二人に笑われどことなく居心地が悪い。不満げな顔をしているとクロウニーが説明してくれた。
ここプリヴェーラでは街の神様は常に結晶の近く、街の上空を浮遊していることが多いらしい。フラウ・ジャブ様という立派な名前も持っていて、高い場所からいつも街の人間達を見守ってくださるそうだ。
同じ土地神様でも、人前に姿を現さない恥ずかしがり屋のクレッカ様とは随分違う。エルヒムにも色々いるんだなぁ。
「フウカ、スカイフォールは広いな」
「ほんとにね」
列車は徐々に速度を落とし、街の中心にある白い石造りのきれいな駅に到着した。荷物を持って色ガラスのはめ込まれた窓が並ぶホームへ降りる。四人でエントランスホールまで歩き、二人とはそこで別れた。
別れ際も爽やかなクロウニーは、さっさと先に行ってしまった今朝も微妙に不機嫌な彼女のご機嫌を取ろうと慌てて後を追って行った。
ディレーヌはずっと機嫌が悪そうにむくれていた。もう少し愛想が良ければもっと魅力的に見られるだろうに。
「さあ、俺たちも行こうか。とりあえず今晩泊まる場所を確保して荷物を下ろそう」
「うん!」
プリヴェーラの街中に降り立った俺たちは、明るく輝く水音の響く駅前通りへと足を踏み出した。




