第44話 不安
クレッカで浮遊船に乗って二日目の後、俺たちは夕暮れのオリジヴォーラ港の騒がしい街中に立っていた。
今回はゆっくり滞在している暇はない。降り立ったその足で俺たちは人の行き交う中央広場を進み、反対側にある大階段を登った先に建つ大きな建物の前にやってきた。
「これが鉄道駅かぁ」
「鉄道って?」
「地面に鉄のレールを敷いて、その上を箱型の乗り物がすごい速さで走るんだよ。場所によっては浮遊船より速く、大量に物を運べるらしいんだ」
「それに乗るんだね。楽しみ!」
浮遊船は重くなると航行速度が落ちる。ガストロップス大陸の主要な都市には鉄道が張り巡らされ、物資を大量かつ迅速に輸送できるようになっている。
イストミルのガストロップ鉄道は有名だ。比較的平坦な地形の多い東部ならではともいえる。高低差や浮遊島の多い地域ではこうはいかない。俺も鉄道に乗るのは初めてなので、とても楽しみにしていた。
広場正面にどっしりと構える、くすんだ深緑の屋根を乗せた駅舎は古くて大きな建物だった。建築様式もオリジヴォーラの町並みの中では格調高く、時代を感じさせる。
アーチ屋根が付いた入場口通路の上にはガストロップス鉄道オリジヴォーラ駅と書かれた看板が掲げられている。街の中でも場所を取り、ひときわ目を引く建造物だ。
入り口通路のアーチをくぐって通路を歩く。ホールに足を踏み入れると、大きな空間は土産物や切符販売所、大きな荷物を抱え列車の到着を待つ人々で賑わっていた。
俺はフウカをベンチに座らせ券売所でプリヴェーラまでの切符二人分を買う。列車がホームに到着するまでしばらく時間があった。
天井に開いた円形の窓から夕刻の光が降り注ぎホールを淡く染めている。隣に座るフウカはキョロキョロと興味深そうに駅構内を観察していた。
フウカはどこへいってもこんな調子でいる。俺と出会う前のことを何一つ思い出せないというから、彼女にとっては何もかもが初めて見るものなのだ。
彼女と出会って三週間ほどが経っていた。今までこの子の境遇について何度か考えを巡らせてきたけど、俺は最近どうしても一つの考えが頭を離れない。
王都五番街アレイルの街で出会ったとき、彼女はちゃんとした服を着ていたし身なりは清潔だった。朝起きて服を着替えたり、前日の夜はきちんと湯浴みしていたのだ。
エイヴスは情報の行き交う街だ。役所や図書館に赴けば全ての街区で共有している情報を得られるし、おおよその住民情報を調べることだって可能だ。
彼女の家族なり関係者なりがフウカについて少しでも気にかけていれば、俺たちはすぐに治安部隊の詰め所で捜索人情報を得ることができた。
なのに王都にはフウカに関する情報がなさすぎた。だからこそ地方であることを疑い始めたわけだが、どうしても釈然としない部分は残る。
……あまり考えたくはないが、この子は意図的にアレイルの街に置いていかれたんじゃないのか。それももしかすると、記憶を消された上で。
波導などを使って意図的に人間の記憶を消すことが可能なのか俺は知らない。
だがもしそうだったとしたら、彼女は家族に捨てられたということになる。そうなるともうこの先関係者を見つけるのは絶望的だ。
その可能性を考えるたびに俺は胸が張り裂けそうになる。フウカには言えない。そうと決まったわけじゃないから憶測でショックを与える意味はない。
しかし俺はどうしても、彼女を取り巻く現状に言い表しようのない違和感を感じずにはいられないのだった。
俯いてじっと石畳の床を見つめていると背中にフウカの手が触れた。顔を上げる。
「どうしたの? どこか痛い? 治そうか?」
「ああごめん。なんでもない。ちょっと船旅で疲れてただけ」
「そう? ナトリが歩けなくなったら私が運んであげる」
そういってフウカは屈託なく笑う。彼女の笑顔は出会った時から変わらない。嫌な事も辛いことも風のように吹き飛ばしてしまうのだ。
「あれ、結構怖いんだよ」
「あはっ」
今はプリヴェーラへ向かおう。たとえ俺の想像の通りだったとしてもそれがなんだ。子供を気にもかけない家族の元になんて戻る必要はない。フウカにはもう姉ちゃんも、おばさんも、師匠やアリスさんだっているんだ。
俺が暗くなるとフウカにまで心配をかける。不安なことは尽きないけど、今は前を向こう。
ホールに鐘の音が鳴り響いた。列車が到着するらしい。俺たちは立ち上がると荷物を持って移動を始めた人の波に加わった。
§
鉄道列車はガストロップスの大地を夜風を掻き分けて突き進んでいた。俺とフウカはその速さと力強さに驚き、しばし窓の外から目が離せなかった。日はとうに沈んでいたが、列車は平原を疾走し、丘を越え草原を力強く進んでいく。
ガストロップス大陸はその多くが丘陵地帯となっている。多くの野生動物とモンスターが生息しているが、ひらけた草地には滅多に危険なモンスターはいない。そもそもこんな猛スピードで走る金属の塊に近寄ってはこないから安心だ。
オリジヴォーラからプリヴェーラまでは直通となる。ノンストップで走り続けて明日の朝到着の予定である。
窓に面する向かい合った二人掛けの座席に陣取った俺たちは、初めて乗った鉄道列車の興奮冷めやらず周りを気にせずはしゃいでいた。俺たちと相席となった男女が俺たちの事をじっと見ているのに気がついたのは、ようやく多少落ち着きが戻ってきた頃だった。
「君達もプリヴェーラかい?」
男の方が声をかけてきた。エメラルドがかった瞳が印象的な、爽やかな感じのする好青年といった風貌。一緒にいる女性も綺麗だし、お似合いカップルって感じだ。
「そうですよ。そっちも?」
「うん。鉄道列車は初めてかな? 随分盛り上がっていたからさ」
田舎者っぽかったか。少々恥ずかしい。
「すごいよね。こんなに重そうなのにこんなに速いなんて!」
フウカはまだ興奮している。
「はは、そうだろう。最初は驚くよね。プリヴェーラ産のエアリアと最新の刻印技術の賜物だよ」
「鉄道に詳しいんですね」
「ああ。列車にはたまに乗ってたし、好きだから」
「ちょっとクロ、何楽しそうに話してんのよ」
女性の方がむっとしたような顔で言った。
「ごめんごめん。鉄道に興味がありそうだったから、つい」
「もう、列車のことばっかりなんだから」
俺たちはなんとなく会話し始めた。男の名はクロウニー、女性はディレーヌといった。二人は婚約しており、女性の方のプリヴェーラで暮らしたいという願望を叶える為、二人で街へ向かう途中だそうだ。
クロウニーは親しみやすく、紳士的な男だった。しかしディレーヌはなんとなく機嫌が悪そうに見える。しかしそれは俺たちに対してというよりクロウニーに向けられている感情のようだ。わりと辛口な人だが、嫌味っぽいのとは違う。
「君達も恋人同士か。街には観光で?」
「はは、違うよ。街には仕事探しと、所用でね」
付き合っていることを否定するとディレーヌがちょっと意外だという顔をする。
「すごく仲が良さそうだから恋人かと思った」
「友達……というよりは家族みたいなもんかな」
まだディレーヌは怪訝な顔をしている。
「なんだかあなた達って不思議な組み合わせよね」
「確かに。二人ともエアル……なんだよね?」
俺はフウカと目を見合わせる。
「そうだけど? そんなに浮いてるかな俺たち」
「目立つことには違いないね。橙と深緑の髪色のエアルなんて僕は初めて見たな」
「私も」
外の景色も闇に包まれよく見えなくなると、車内でやることもなくなってくる。年が近かったせいか、その後も俺たちは適当にお互いのことを話したりプリヴェーラについて語って過ごした。
持参した弁当や食べ物を出して夕飯とし、時刻も遅くなった頃にそれぞれ座席で眠りにつく。
§
列車の振動もあってか、あまりしっかりと眠ることはできなかった。たまに浅い眠りから意識が戻ってくると、それぞれ外套やローブにくるまってぐっすりと寝ている三人の姿が目に入る。
俺は首だけを巡らして窓の外を見た。外は暗いが雲が晴れて月が出て、青白い光がガストロップスの草原を照らしている。
草原の先に月の光を反射するものが見えた。大河だ。眠っている間に列車は河の側を走り始めたようだった。
対岸が見えないほどに河川は幅広い。中空に浮かぶ白い月が広々とした川面に映り込んでいる。
浮かぶ月と河面に映り込む月、大小六つの月に照らされた地平線を遮るものはない。
俺はその非日常的な光景に心打たれ、自然にまぶたが落ちてくるまで物思いに沈みながらじっと流れ行く車窓の景色を眺めていた。