第43話 餞別
「二人とも頑張るのよ」
「姉ちゃんもね」
「なーくん、フウカちゃん、元気で。たまには手紙を寄越してね」
泣きそうな顔で姉ちゃんは別れの言葉を紡ぐ。今生の別れでもないだろうに。
「ナトリ、プリヴェーラでもしっかりやんな。ちゃんと応援してるから。グレートアルプスといい、キュアノピカでのモンスター騒ぎといい、あんた達も中央で色々な目に遭って来たそうだしこのところ世間は妙に騒がしいね。くれぐれも用心しな」
「わかったよおばさん」
「フウカ、もし家が見つからなくてもあんたの居場所はちゃんとここにある。挫けるんじゃないよ」
「うん!」
優しく微笑む二人に見送られて俺たちは牧場の門を出た。まだ草原は薄暗く、白っぽい朝靄に包まれている。
姉ちゃんは俺たちを荷車で町まで送れないことを残念がっていた。今日は反対側の町へミルクを運ぶ日なので俺たちとは逆方向なのだ。それにしても二人にはこの一週間随分と世話になった。
「ナトリ、卵は持ってこなくてよかったの?」
「うん。持ってきても荷物になるしね……」
島を襲う脅威、グレートアルプスを退け一夜明けた。俺は今朝早くにフウカに揺り起こされて目を覚ました。
やたらと早い時間に起きたな、と思っていたらフウカは唐突にエルヒムに会ってきたと言い出した。
今朝方フウカは目を覚ますと何か予感を感じ、窓の外を見て牧場の門のあたりにクレッカ様の姿を認めた。
階段を降りて家を出て、神様に近づいて行くとしばらくこちらを見つめた後静かに去っていったらしい。そしてエルヒムの立っていた場所には緑色の大きな卵が残されていた。
「ありがとう、って私たちにお礼を言ってたよ」
「そっかぁ。エルヒムに感謝されるなんて珍しい経験だな」
俺たちは神のお告げの通りにグレートアルプスを倒した。あの卵はエルヒムの感謝の印……なんだろうか? 彼らの考えていることはよくわからない。
それは鮮やかな緑色の卵で、両手に収まりきらないサイズだった。一般的に食用にされるコカリーの卵なんかより大分大きめだ。エルヒムの羽毛と同じ色だし、産んだのだろうか。
そもそも波導生物が卵を産むのかという疑問もあるが……。卵自体はひんやりとしていて石みたいな感触だ。何かが生まれてきそうな気配は感じない。
土産を買い忘れて現地で買ったものを渡すみたいでアレだが、エルヒムの卵は二人に託した。居間の棚の上にそれは置かれた。
卵は見かけ以上に重たく流石に持ってはいけなかった。
俺たちは島に帰ってきたときと同じように朝靄の中を石塁に沿って歩いていく。途中、踏みならされた草地やグレートアルプスが粉砕した地面など昨夜の戦いの痕を見た。
モンスターの亡骸は昨夜のうちに解体され、処分されたようだった。放置しておいても動物やモンスターがまた集まって来るだけだしな。
死骸の転がっていた場所には焼け跡と炭だけが残されていた。不要な部位を焼いたんだろう。
「モンスターの素材くらいは回収しておくべきだったかなぁ」
「疲れて怪我もしてたし無理だったね」
レベル3のモンスター素材となれば結構いい値で売れたかもしれない。町の連中に横取りされてしまったか。くそ。
草原を抜けて町に入った頃には昼が近かった。町はいつも通りで、今度は誰にも会わずに済んだ。しかし町を出て港に向かう坂を降っている時後ろから声をかけられた。
「待て」
振り返ると、通りかかる時には気づかなかったが木陰で木の幹にもたれ掛かり腕を組んだイヴァがこちらを見ていた。またコイツか。
「…………」
イヴァは厳つめの鋭い目つきで俺たちを睨み、何かを投げて寄越した。
「忘れモンだ。持ってけ」
慌ててそれををキャッチする。イヴァが寄越したのは紫水晶だった。結構な大きさだ。
何か言おうとしたが、奴はもう背を向けて町の方へ去っていくところだった。その後ろ姿を見送ると俺とフウカは坂を降りきって埠頭まで来た。
「何をもらったの?」
「紫水晶」
歪んだ球状をした紫色に怪しく輝く宝石をフウカに渡す。彼女はそれを親指と人差し指でつまんで陽に透かして見た。
「キラキラしてる」
「この大きさ、多分グレートアルプスのやつだな」
紫水晶はモンスターから取れる怪しい輝きを放つ宝石だ。何故かモンスターは体内に必ずこれを生成する。
レベル1のモンスターだと砂つぶ程度の大きさでほとんど価値はないけれど、レベル3ともなるとそれなりの大きさになる。
大きくて形のいいものだと宝石としての価値も高いとか聞く。
おそらくグレートアルプスから取れる素材の中じゃ一番価値のあるものだ。モンスターから落ちたものなんて禍々しくて普通は飾りたいなんて思わないけどな。色んな愛好家が存在するのだろう。
イヴァは何故、こんな価値のある物を俺たちに渡しに来たんだろう。なんにせよ、くれてやるというなら黙って受け取っておくことにした。唯一の戦利品だ。
§
日が真上に登る頃定期船はやってきて、俺たちはそれに乗り込み島を去った。
人気のない甲板から遠ざかるクレッカを見る。
滞在した一週間の間色々なことがあったけど、相変わらずこの島のことは好きになれそうにない。
クレッカを離れることに対して俺は正直ほっとした気持ちを抱いている。
そういえば王都の配達局に勤務するために一人船に乗った半年前も、船から島を見てこんな気持ちになったものだった。
姉ちゃんもおばさんも、俺が故郷にまとわりつく過去の記憶から逃げようとするのを無理に止めようとはしない。それは二人の優しさと思いやりであり、俺自身の弱さでもあるんだろう。
胸の奥が僅かに疼きを覚える。
フウカの家探しの途中ではあるけど、クレッカに寄ったおかげでなんとか島の危機を退けることができた。
俺たちも訓練によって少しは戦う力を身につけることができたし、得たものは多かったはずだ。
今俺の隣にはフウカがいる。この子と一緒なら、そのうちもっと大事な何かを見つけられるような気がしている。自分が変わるための何かを。
それを見つけたら俺はクレッカと、そしてアメリアとちゃんと向き合えるだろうか。
仄暗い気分を心の片隅へ押しやり、俺とフウカは甲板の階段を降りて船内へと入った。