第41話 守りの波導
「ううぅぅああぁぁーっ!!」
最早避けることは叶わない凶刃の前に、フウカが悲鳴のような叫びを上げて障壁を展開する。
波導障壁はほんの一瞬グレートアルプスの角の勢いを抑えたように見えた。
けどそれも一瞬だ。障壁は粉々に砕け散り、黒い猛威が俺たちを襲う。
角のインパクトが生み出す衝撃波によって、俺とフウカは弾き飛ばされた。全身を強烈な衝撃が襲い、骨が軋み意識が飛びかける。星の川が一瞬視界を覆った。
繋いだフウカの手を引き寄せる。真っ逆さまに落下しながら、脱力した彼女の体を守るように抱きかかえた。
地面に激突する寸前に、フウカの力で生まれた柔らかい空気の塊に突っ込む。それがクッションとなって落下の速度が緩和された。
俺の体は彼女を抱えたまま空中で一度跳ね、草地に落下して転がった。
「生きて……るか、フウカ」
「う、ん……。なんとか……」
角の攻撃で弾き飛ばされた俺たちが落ちたのは背の高い草むらだった。俺たちの姿を草が覆い隠し、グレートアルプスは一時的にこっちを見失っている。地響きは近づいてこない。
「うう……いたっ……」
フウカの波導で直撃こそ防いだが、俺たちは全身を負傷していた。衣服はところどころ破れ、傷口からは血が流れ出している。胸の辺りに軋むような痛みを感じる。あばらの一本や二本は折れているかもしれない。
「ありがと……ナトリ」
「俺は何も。それより」
フウカの細い体をそっと離し、うつ伏せになって軋みをあげる上体を持ち上げる。草の合間から周囲の状況を窺う。
アルノーの群れとグレートアルプスは少し離れた位置にいた。二つの地響きが別の方角から伝わって来る。
奴らはじきに俺とフウカの居場所を嗅ぎつけるはずだ。グレートアルプスの狂気に満ちた恐ろしい眼光——、俺たちを逃すつもりなんて欠片もない。
周囲を見回すと、遠く町の方角に灯りが揺れるのが見えた。一つ、二つ、三つ。
……あれは何だ。じっと目を凝らして確認する。人間だった。手に持ったランプに照らされた数人の集団がこっちへ向かって歩いてくる。
「こんなところに町の人間……? 殺されるぞ……!」
モンスター達はもう灯りに気づいているはずだ。さっきの雄叫びか、それとも地響きの正体を見定めるために町から出てきたのか?
……余計なことを。あいつには誰も敵わない。この島は蹂躙され尽くされる……。
「ナトリ、あの人たち……」
フウカも腕を庇いながら低い態勢で起き上がった。地響きが移動しているのを感じる。モンスターは明かりの方に狙いを定めたようだ。
村人を囮に使えばグレートアルプスの不意をつけるだろうか……。
「……っ、いや……」
「ナトリ」
「フウカ、モンスターの先回りをして町の人間とグレートアルプスの間に割り込む。迎え撃つんだ」
「うん、わかった」
「反対しないの? かなり無茶なこと言ってると思うけど」
「……しないよ。ナトリの言うことはいつも正しいもん」
そう言ってフウカは痛みを堪えながら少しだけ笑う。彼女の笑顔にはいつも救われる。それだけで気分が楽になる。
正しいことばかりじゃない。現に波導の訓練ではフウカに間違ったやり方を勧めてしまった。それでも俺のことを信じて付き合ってくれるというのなら引き下がるわけにはいかないだろう。
彼女は自身と、俺の胸に手を伸ばし当てる。フウカの瞳が薄紅色に輝き、胸の痛みが引いていくのがわかった。フウカの治癒波導のおかげでなんとか動くことはできそうだ。
「俺たちはエルヒムにクレッカの命運を託された。それはあいつらの命だって含んでる……。同じなんだ、きっと。姉ちゃんやおばさんを守ることと、クレッカや住民を守ることは。どっちもやらなきゃ意味がない」
「そうだね」
クレッカのあるべき姿。それを破壊しようとする漆黒の脅威。それを打ち倒すことが全てを守ることに繋がっている。
俺たちは草むらから立ち上がった。離れた場所を灯りに向かって疾走する二つの黒い塊が見える。グレートアルプスと、アルノーの群れ。
俺の手を握ったフウカは素早く飛び上がり、灯りの方へ向かって飛ぶ。
「フウカ! なんとしてもここであいつを止めるぞ!」
「うん!」
「ほんの少しでいい。グレートアルプスの突進を受け止めてほしいんだ。……できる?」
「わからない……。だけど、失敗したらみんなを守れないんだよね?」
フウカは真剣な顔で真っ直ぐ前を見て言う。
「ナトリは私が絶対に守る。死なせたりなんかしないんだから!」
「……頼む。信じてる」
フウカは素直な性格だから、何を考えているのかストレートに伝わって来る。心の底から俺を守りたいと思ってくれていることが伝わり、俺は確信する。フウカが守ると言ったのなら、足止めは出来る。その意志を信頼し、命を託す。
町の人間達の灯りに向かって一直線に驀進するモンスターを追い越し、いち早く灯りの元へ追いつく。
すでに町人達は巨大なモンスターに怖気づいて町へ向かって逃げ始めていた。彼らの飛ぶ速度はフウカほどではなく、簡単に追いつくことができた。
最後尾でランプを揺らしながら逃げ惑う小柄な影が、飛ぶのに失敗したのか無様に地面に転がった。
他の村人はそれに気づいてもおらず悲鳴をあげながら町の方へ逃げていく。ただ一人、転げた人物を助け起こそうと戻って来る一名を除いては。
俺たちは灯りのすぐ近くに降り立つ。転がったランプの側で頭を抱えて、がくがくと震え蹲っていたのはネコのコビィだった。恐ろしさのあまりクリーム色の尻尾の毛が逆立ったまま硬直している。コビィを助け起こすべく戻ってきた村人の顔が灯りに照らされる。
「イヴァ……」
「あ?! お前ナトリか? なんでこんなとこに……!」
もしかして、討伐隊か。町でそういう話が持ち上がっていたはずだ。
山でモンスターを討伐した帰りなのか、異変を感じて町からやってきたか。どっちでもいいけど今こいつらに構っている余裕はない。
無視してモンスター達の方へ向き直る。グレートアルプスの漆黒の巨体はもうすぐそこまで迫っていた。フウカの背後に回り込んで彼女の肩に手を置く。
「頼むフウカ……! 島を、クレッカを、俺達を守ってくれ……!」
「止めてみせる。もうナトリに怪我はさせないよ」
肩から手を離し、フウカの隣に一歩下がって立つ。下ろした両手の中に王冠を現し、しっかりと握る。
作戦は至ってシンプルだ。フウカが障壁でグレートアルプスの突進を食い止める。フウカが奴を食い止めている間に俺が王冠で攻撃を放ち怪物の息の根を止める。
シンプルだけど失敗したら今度は死ぬかもしれない。俺たちが死ねばクレッカの住民もかなり死ぬだろう。フウカがグレートアルプスの突進に耐えられなければ失敗。俺の王冠で奴を仕留め損なっても失敗だ。
勝算は低いように見える。だけどクレイルも言っていたように波導にとって大切なのは強い意志の力だ。それは必ず俺たちの活路を開いてくれると信じている。守らなければならないものを強く心に思い描く。
「……おい、おめーら! 死ぬぞ!」
雑音は最早耳に入らない。グレートアルプスは前傾姿勢をとった。二度も見た突進の構え。怪物の後ろ足付近が爆発し、巨大な岩石のような黒塊が驚異的な速度で駆け抜けてくる。
風が渦巻き、フウカの周辺の空気が揺れ動くように震える。視界を覆い尽くす暴力の化身はすぐ目の前に迫る。
「ごめんね。でもあなたの好きにさせちゃいけないの……!
みんなを守って――――! 『障壁』!!」
フウカが伸ばした手の先に眩しい光の盾が現れる。光は空中で目まぐるしく回転し、大きさを増していく。そしてさらに、それに重なるようにもう一枚の障壁が生みだされた。
彼女の覚悟がこもった詠唱に呼応するように現れたのは、二重の波導障壁だった。
「これは……っ!」
おそらく障壁の上位術、重障壁。
重なり合う二つの障壁は、漆黒の全身砲弾と化したグレートアルプスの激突を真正面から受け止めた。
島中に響き渡るような轟音が衝撃波となって足元を駆け抜ける。
フウカの波導は激しい火花を散らしてグレートアルプスの突進を確かに食い止めた。
バキン、と重い音が響く。突進の衝撃に耐えきれず一枚目の障壁が粉砕した。
だが、この一瞬の時間さえ稼げればそれでいい。フウカに望んだのはそれだけだ。後は俺の役目。
波導障壁がグレートアルプスを受け止めた瞬間、薄紅色に輝く瞳でモンスターを見上げるフウカと障壁の間に割り込む。聳え立つ巨体を仰ぎ見るように両手で王冠を構えた。
この巨大なモンスターにも急所はあるはずだ。例えば全身に活力の源である血液を送り出すための心臓。クレッカで暮らす者として、そこに生息するモンスターの知識はある程度持っている。
アルノーの場合は胴体胸郭内部、左寄りの胸の位置に心臓が存在する。それは、上位種であるグレートアルプスだって同じであるはず。
「うおおおおおおおっっ!!!!」
気持ちを、覚悟を、守る意志を、心の力である煉気に変えてありったけ王冠に注ぎ込む。
やり方なんてわからない。それでも杖は、まるで俺の体内から力を根こそぎ引きずり出すように吸い取っていく。そのまま俺は引き金を引いた。
王冠から青白く太い光の奔流が放たれた。光はフウカの障壁の脇から、グレートアルプスの厚い胸板に突き刺さる。胴体を抉り貫き、夜空へ伸びた青光の柱は引き金から指を離すと消え去った。
フウカの二重障壁も燐光に還って消滅し、後には胸に大きな風穴の開いたグレートアルプスの巨躯が俺たちを凝視しながら立ち尽くしていた。
やがてそれはぐらりと大きく傾き、草原に大きな音を立てて倒れ込んだ。
月明かりの中、倒れた群れの長の姿を認めたアルノー達が蜘蛛の子を散らすように森や山へ駆け戻っていくのが見える。
俺はこれ以上体を支えることができずに座り込んだ。
「やっ……た」
「ナトリ!」
駆け寄るフウカを見上げて笑う。
「やった、な……フウカ!」
「守ったよ。島も、みんなのことも!」
「俺は、疲れた……。牧場に戻ろう。悪いけど、引きずっていってくれ、ないか。もう一歩も動け、ない……」
フウカの手に掴まってよろめきながら立ち上がる。膝がガクガクして立ち上がるので精一杯だ。バランスを崩せばすぐにでも転倒する。まだ意識があるのは特訓の賜物か……。
「お、おい……! 今のは……」
笑う膝に力を入れてイヴァとコビィの方を向く。信じられないものを見たような顔だ。こいつらのこんなに間抜けな顔、初めて見たな。コビィは尻餅をついたまま放心している。
「……行こう」
「うん」
奴らを置いて、俺たちは物言わぬ死骸となったグレートアルプスの傍らから飛び去った。
手に力は入らないけど今はフウカがしっかり俺を掴まえていてくれる。
彼女に任せて体の力を抜いても大丈夫だろう。
草原に転がったフィルランプに照らされる二人と、グレートアルプスの亡骸は次第に遠のいていった。