第38話 神の泉
俺たちが近づいていくと派手な鳥は森の奥へ引っ込んだ。アリュプ達のことを気にしながらも俺たちは森に入り後を追うことにした。
鳥は一定の距離を保ちながら、俺たちが付いて来るのを待つように時折立ち止まりながら進む。
この辺りは人の全く踏み込まない場所だ。危険度の高いモンスターが潜んでいる可能性もあるが、不思議と危険な雰囲気は感じなかった。
道なき道を進む。太い木の根や大きな岩を超えていかねばならない。フウカは軽くそれらを飛び越していくが、俺には無理なのでよじ登ったり迂回しながら森の奥を目指す。
鮮やかな緑色の羽毛を持つ大きな鳥だった。
折りたたまれた羽は先端に行くほど青い。立派な鶏冠を頭に載せているが、一番特徴的なのは黄色や赤の毛色が混じる鮮やかな尾羽だ。
後ろから見ると鳥の体を覆い隠すほどに大きく扇状に広がり、非常に目立つ。
俺たちを見ても襲い掛かってこないことからモンスターではない。しかしあんな種類の鳥はクレッカで見たことも聞いたこともない。
クレッカには古くから守り神の存在が言い伝えとして残っている。
それは人の入らない山々の奥にひっそりと暮らしており、森の動物と島の人間に大いなる恵みと均衡をもたらしているのだと。
その守り神は言い伝えによると女神が壮麗な鳥に姿を変えた神鳥だと言われていた。
「まさか、クレッカのエルヒム……なのか?」
森に入ってそう長い距離を進んだわけではないと思う。しかし、花畑にまっすぐ戻れるかは少し不安になる距離。置いてきたアリュプが心配になってきた。
やがて高い木々の生い茂る森の奥に、葉の合間から陽の光が降り注ぐ神秘的に開けた空間が現れた。
こんな場所に泉があるなんて。
古い木々に囲まれた泉には波紋一つ立たない。気がつくと森は静まり返り、濃密な森の緑が辺りを覆う。
鳥はまっすぐ泉の上を羽ばたいて渡り、中央にある下草の生えた小島の上に舞い降りた。
泉の前までやって来た俺たちを振り返って座り込む。そのまま宝玉のように深遠な光を湛える瞳をじっとこちらに向けていた。
俺とフウカは長いことただ鳥と向かい合っていた。やがて鳥は立ち上がり羽を広げて優雅に泉を渡りきると、森のさらに奥へと木々の合間を飛び去って行った。
それを見送った俺たちは元来た方へと引き返した。花畑には迷うことなく、思っていたよりも随分と早く戻って来れた。見慣れた花畑の向こうに先ほどと同じくアリュプ達が草を食んでいる景色が見える。
「神域、か」
「しんいき?」
「うん。エルヒムのおわす場所。特別な領域なんだ」
「あの鳥さん、エルヒムだったんだね」
実際にエルヒムの姿を見たのはこれが初めてだった。彼らは動物とも人間とも異なる神と呼ばれる存在だ。
エルヒムの存在は広く認知されている。商いの三女神なんかは誰でも知っているし、それぞれが流通する貨幣の名前にもなっているくらいだ。
三姉妹のエルヒムで長女のドーラ様は、王都エイヴス四番街にあるドーラ宮に住み着く変わった神で有名だ。あそこは商人の巡礼地みたいになっているらしい。
エルヒムは人間達の信仰によって生まれ、ただそこに存在するようになる。
大きな街など大きな人の集団からは高確率で発生するらしい。
彼らは特定の個人に肩入れすることはほとんどないらしい。不特定多数の信仰から生まれるんだから当たり前だけど。俺たち人間とは違う基準で物事を捉えているんだろう。その神が、俺たちに一体なんの用だったのか。
「助けてほしいって言ってた」
「え?」
「クレッカが危ないって」
「フウカ、もしかしてエルヒムの声が聞こえたの?」
「声は聞こえないけど、神様が思ってることは伝わって来たよ」
フウカによれば俺たちを神域に導いたクレッカ様は心に直接語りかけて来たそうだ。俺には全くわからなかった。多分、空の加護がないからだろうな。
エルヒムが言うには、クレッカに生きる全ての命に終焉が迫っているのだという。
漆黒の脅威——、それが今にも牙を剥いて島の命を食らい尽くそうとしていて、このままでは多くの生命が失われる、と。
エルヒムが俺たちの前に現れたのはそのことを伝え、クレッカを守って欲しいと助けを求めたからなのだろうか。
「クレッカを……守れだって?」
エルヒムから託宣を受け、島の命運を任されるなんて。
俺とフウカが神域へ招かれたのはそれを託すに足る者だと判断されたってことなのか。
考えてみれば、一応俺たちはバラムとウェパールのゲーティアーを二度撃退している。まともに戦うことのできる術士などいないこの島では、少なくとも波導の使えるフウカの方は島で最も戦う力を有する存在だと言えるだろう。
それにしてもフウカから聞くエルヒムの言葉はやけに抽象的で要領を得ない。
人間が動物と意思疎通しようとするみたいなものだからな。フィルとの親和性の高いフウカだからこそエルヒムの御心に触れることができたんだろう。
「ねえナトリ、私たちでなんとかできないかな」
「うーん……。その話が本当なら、町の人間だけじゃなくクレッカ全体、おばさんや姉ちゃんだって危ないってことになる。俺も神様の力になりたいって思うけど……」
漆黒の脅威。その正体がわかれば対策のしようもあるかもしれない。だが……。それを退けることができなければ多くの島の命が失われるという。
そんな恐ろしいものに俺たち二人だけで立ち向かえるのか?
「……やるしか、ないのか。このことを知ってるのは俺たちだけで、多分なんとかできるのも俺たちだけだ。俺たちがやらないと、クレッカが」
「アメリアやおばさん、アリュプ達を守らなきゃ!」
「そうだね……。むしろ、今俺たちがこの島にいてよかったと思うべきなんだろうな」
しかし、脅威の正体もそれがいつやってくるのかもわからない。どう対処すれば。
小さく遠くに見える町の方を見下ろす。正直言って町の人間を守りたいとは思えなかった。けど家族や家畜達は別だ。牧場だけはなんとしても守りたい。
腕を組んで花畑を歩き回りながら迫る脅威の正体について考えるが、見当もつかない。
「神様はもうすぐそこまで迫ってるって言ってた。黒くて大きな……。ナトリ、山で見た死んだ動物達もそれのせいなんじゃない?」
「そういえば……、このところ動物達の死骸をよく見かけた。モンスターが増えてることと関係があるのか」
モンスターが普段より多く繁殖しその数を増やすのはたまにあることだ。その度に増えすぎたモンスターを皆で討伐して数を減らし、人間の強さを見せつけることで人里に降りてこないようにする必要がある。
奴らが数を増やす要因は無数にあって、生態のはっきりしない状態じゃ原因を特定するのは難しい。
だがこの状況で守り神が指し示す脅威、それとモンスターの増殖が無関係とは言い切れない。むしろ、その脅威がモンスター増殖の原因である可能性は十分ある。
だとすれば、脅威の正体はモンスターなのか?
一瞬脳裏に屍のような頭骨と、黯い眼窩が過ぎる。
まさか、この島にもゲーティアーが? 流石にそれはないと思いたい。奴らは怪しげな力を使うから、モンスターを増殖させていても不思議はないが……。
「とにかく急いで牧場に帰ろう。二人が心配だ」
「うん!」
アメリア姉ちゃんもおばさんも、俺たちが守らなくては。
俺とフウカは、アリュプを集めると急く気持ちを抑えつつ山を下った。




