第36話 詠唱と構築
長閑な島の日常が続いた。
俺とフウカは毎日アリュプを放牧して牧草地を周り、日の沈む前に家に帰る。
休憩の合間にフウカの波導と俺の王冠の訓練を始めた日から二日が経った。
フウカは日毎に自然に波導を出せるようになり、今ではとくに難しそうにする様子も見えない。かなり慣れてきたようだ。
俺の方も杖を手にとって触れ、その存在に慣れたことでよりイメージしやすくなり、もう心で思い描くと同時に杖を呼び出すことができるようになった。
色々試しているうちにわかったことといえば、この杖は俺が正確にイメージできる場所であればどこにでも出せるという事実だった。
軽く上を見上げて何もない空中に杖をイメージする。
離れた場所だとまだ時間がかかるけど、中空に光で結ばれた像によって現れた杖が自由落下を始める。
落ちて来た杖をキャッチ。
その杖を消し、再び空中に出す。
これを高さや角度などを変えて繰り返し行う。
突然空中に現れては繰り返し落ちてくる杖は端から見ればかなり奇妙な光景に映ることだろう。
「あはっ。面白いねそれ」
「手品みたいだろ。宴会芸とかに使えないかな」
逆に反応に困るな。
ん、待てよ? この王冠を商店に売りつけた後でこうやって回収すれば永遠に稼げるのでは……。
いやいや、変な噂が広まるだけで却って俺の身が危ない。下衆な想像をかき消す。
目の前でフウカが波導の壁を展開する。
すうっと自然に浮かび上がった波導障壁は、もう彼女の上半身を軽く覆えるくらいの大きさになっている。
その壁に手を伸ばして触れ、そのまま押し込む。
ぐに、と粘土を手で押したような感触。
そのまま手の形に壁は押され、フウカの側にチーズのように伸びた後すうっと消え去った。
「あああー!」
「柔らかいなぁ……」
出すことはできるようになった。
けどフウカの壁には見た目に伴う硬度がなかった。
触れるとぐにゃぐにゃとしていて、これじゃ攻撃を防ぐのは難しいだろう。
波導術っていうのは思っていた以上に難しいものみたいだ。
とにかく今日から訓練も第二段階に移行するつもりだ。
俺はポケットから頼みのクレイルメモを取り出した。
「フウカ、クレイル曰く術士にとって最も大切な素養は想像力らしい。えーと、なになに……? 体内の煉気を外部のフィルと混合させることにより指向性を付与、波導へと昇華する。術を構築する際に必要不可欠なもの……なんだってさ」
「あにま? しこーせい? こーちく……?!?」
いかん。フウカが混乱しかけてる。
難しいお勉強関係は控えたほうがいいかもしれない。
元々本能で使ってるんだから、感覚的に把握する方がきっとフウカには向いてるよな。
「つまり……、どんな波導を出したいのかしっかりと心に思い描くことが大事なんだと思う」
「うん」
「そこで、波導構築のイメージを助けてくれるのが詠唱。ほら、浮遊船ではみんな術を使うときに言葉を発してただろ? あれ」
「ああー、言ってたね」
術の構築に欠かせない重要な要素とされるのが「言霊」。
簡単に言えば人の発した言葉には心の力が宿るんだそうだ。
具体的にはエレメントと呼ばれるキーワードを詠唱に組み込むことで、術の強度を補完しているらしいのだ。
どんなエレメントがあるのか詳しくは知らない。
術名を声に出すだけで効果はあるらしいので、ひとまずそれを試そう。
「フウカの出してる壁は、『障壁』っていう基本的な術みたいだな。えーと……対象を外部より保護する心的領域……? まあとにかく、すごく硬い岩でできた壁なんかを思い浮かべながら、今度は詠唱を使って練習してみようか」
「よーし、やってみる!」
フウカは目の前の空間をじっと睨むと口を開いた。
「障壁!」
見た目はいつもと変わらない半透明の壁が形作られ、浮かび上がってくる。
波導の強度を確かめようと手を伸ばした。
「あっ……!」
空中に浮かび上がった障壁が、ぐらりと傾いて落ちた。
壁が地面に触れると岩が落ちるような重量感のある音がして地面にめり込む。
そのまま障壁は消えていっった。
どうやら、硬い岩のイメージで波導を作ったらその重さまで再現してしまったらしい。
これじゃ身を守る壁というより鈍器だよ……。
そりゃ術士のみんなは毎日厳しい訓練をするわけだ。
先行きが不安だな……。
§
牧草地は数日のローテーションで別の場所を巡っていく。
数日間森と山を歩き回っているけど、確かにおばさんから聞いていたようにたまに腐敗した動物の死骸を見かけた。
モンスターが増えているというのは確からしい。
クレッカにもモンスターはいる。
モンスターの特徴はその凶暴性だが、奴らにだって生存本能はある。
そうそう好んで人里に降りて来たりはしない。
普段人の来ない山や森の奥に潜んで繁殖していることが多い。
この島でもモンスターの生息地は周知されていて、よっぽど近くまで行かなければ向こうもわざわざ寄ってはこない。
ごくたまに群れからはぐれて腹を空かせた数匹が町の方に彷徨い出てくることがあるくらいだ。
そもそもクレッカにはレベル3以上のモンスターがいないから、自警団が集まれば大抵は対処できる。
今度町の方で討伐隊が組まれるということだし、そいつらがモンスターの数を減らしてくれることに期待しよう。
そんなことを考えながらその日も無事に俺たちは牧場へと帰って来た。
四人で食卓を囲むのにも慣れて来た。
フウカはすっかり家に馴染んでいる。女同士の会話は弾んでいて、三人のおしゃべりは途絶えない。
俺は会話にたまに相づちを打つ程度だ。
「次の船でガストロップスに戻るのよね?」
「うん。そのつもり」
「フウちゃんのご家族見つかるといいね。王都では見つからなかったんでしょう?」
王都であれ以上の捜索はしらみつぶしになるし、アレイルに住めなくなった以上有力情報があるプリヴェーラに向かうのを優先したい。
もしプリヴェーラでもダメだったら、なんてことはあまり考えたくはないけど。
「本当に……見つかるかな」
フウカがぽつりと不安を口にする。
「フウカ、見つからなけりゃいつでもここに帰っておいで。一人くらい増えたって問題ないさ」
「そうだよフウちゃん。だからあんまり思い詰めないでね」
二人は優しかった。俺がフウカを放っておけなかったように、二人も彼女のことを気にかけてくれている。
それは家族として少しだけ誇らしくもあった。
「アメリア、おばさん、ありがとう」
「遠慮はいらないよ。ナトリがあんたを守ろうってんなら、あたしらはもう家族みたいなもんさ」
「家族かあ、えへへ」
フウカは嬉しそうに微笑む。
フウカにだって両親がちゃんといるはずだ。そして今はどこかできっと彼女のことを探している。
早く会わせてやりたいな。




