第340話 黒紫の剣
リッカが探り当てた、アルニラムが集めた力が流れ込む空間座標への転移に成功した。
しかし、リベリオンで切り開いた、時空間の亀裂を通った先は足場がなかった。
俺とリッカの体は、気絶したアルベールとエルマーを抱えたまま空中に放り出され、突如急降下を始めた。
「うわっ?! 落ち――!」
「落ち着いてナトリくん! 私に任せて!」
驚きのあまり、思わず手放しそうになったアルベールの体をしっかり抱えなおした。
浮遊感の中、恐怖心を抑えてリッカを見る。
「星よ。その御手により我が身を掬い上げ給え……。『星掌』」
リッカは突然の落下にも集中を乱すことなく詠唱を遂行し、発動した重力軽減の術により落下速度はすぐに緩くなった。
ゆっくりと下降しながら転移した先の様子を探る。
暗いが、様子がわからないというわけじゃない。何せこの空間でもそこら中をアルニラム達が舞っているからだ。
壁に止まって羽根を休める黒蝶は淡い紫の光を放ち、この大きな竪穴の広がりがなんとなく把握できる。
さっきまでいた場所よりも広く、したがってモンスターの数もかなり多い。しかも、高度が下がるに従い紫光は強まり、アルニラムの密度も更に増していく。
「間違いないですね。この下に力が集まっていってます」
「一体何が……」
下で何が待ち受けていようと、この騒ぎの元凶がいるに違いない。さっさと事態を収束させてこんなことを終わらせなくては。
「?!」
しばらく下ると強い光が下からこっちに向かって登ってくるのが見えた。アルニラムの群れだ。
密集しすぎて紫に輝く発光体のようになって見える。とにかく触れれば体に風穴が空くのは間違いない。
「来い、受け止めてやる! 反逆の盾、『アブソリュート・イージス』」
リッカを背後に庇い、真下に向けて光の盾を展開する。
登ってくる紫光と正面からぶつかると、激しい不協和音と光を散らしながらアルニラム達は消滅していく。
さらに他にもアルニラムの群れが見え始め、あらゆる方向から俺たちに向かって蝶が襲い掛かってくる。
「天翔ける王獅子の爪よ、『黄金の獅子』!」
リッカの影の黒翼が大きく広がり、束となって襲ってくるアルニラムを迎撃するように振るわれた。
翼に沿って大きな空間の歪みが発生し、突っ込んできたアルニラムはばらばらに引き裂かれた。
『黄金の獅子』は最近リッカが修行の結果使えるようになった、黒波導には珍しい攻撃特化の波導だ。正確には普通の黒波導ではなく、リッカの盟約の印(黒の刻印)が持っていた固有能力のようだが。
今のリッカは厄災アスモデウスの力を引き出している状態なのもあり、訓練の時に見た倍以上の範囲と威力でもって、俺の手が回らないアルニラムを迎え撃つ。
「リッカ、底が見えてきたぞ! 煉気は大丈夫か」
「はい、まだアスモデウスの力は使えます」
薄暗い竪穴の底に、ようやく足がついた。
俺たちはアルベールとエルマーを足元に下ろし、背中合わせとなって四方八方より襲いくるアルニラムの群れを迎撃する。
多数の蝶達が黒紫の塊となって、不規則な軌道を描きながら突進を敢行する。
それをアブソリュート・イージスで受け止めると、反対方向から今度は二つの群れが別々に向かってくる。
リッカの黒翼が伸び、空間に対する範囲攻撃として放たれる黄金の獅子が、テンポよく二つの群れを引き裂く。
力の集まる場所はどこだ。
盾を構え、アルニラムを防ぎながら周囲の空間に目を走らせる。
紫色の光で満ちた地底窟のような空間。ぼんやりとした光の向こうで、何か大きなものが蠢いた。
大量のアルニラムが飛び立つ。その下から現れたのは、遠目にもかなりの巨体を持つ特殊なアルニラムだった。
『女王アルニラムだ』
「あれが、この大量発生の原因か」
「なんて大きさ……、それにこんな数のアルニラムを従えているなんて」
多分、この異空間に隠れ潜みながら狩人達を襲い、養分として自らの力を蓄え、配下となる強化されたアルニラムを大量に生み出していたんだろう。
間違いなくレベル4の化け物。放っておけば被害は拡大し、枯れた森中のモンスターがこいつの養分になっただろう。
しかしどう切り抜けたものか。今この場には俺とリッカしか戦える者が存在せず、直接触れればおしまいの何千、何万匹ものアルニラムが異空間の洞窟を埋め尽くしている。
「やりましょうナトリくん。私たちならきっとできます」
「そうだな。俺たちが今ここでこいつを止めなきゃ、フウカ達だって危ない」
たった二人でも、今回出直すという選択肢は選ばない。またいつ会えるかわからないし、考えようによっては黒属性に親和性のある俺達は、討伐には適任とも言える。
「何をしてくるかわからない。油断するなよリッカ」
「はい……!」
女王アルニラムは高い鳴き声を上げたかと思うと、羽根をはためかせながら舞い上がった。
薄暗闇を優雅に舞う巨大な黒蝶は、優雅に羽ばたきながら飛び始める。
アルニラムの猛攻を凌ぐ合間、瞬間的にリベリオンを銃に変え、アンチレイで遠くから女王を狙撃する。
が、あろうことか光弾はアルニラムの体を何事もなく通過してしまった。
「?!」
さっきのは確かに命中した。けど奴は無傷だ。どうなってる?
「チッ……!」
相も変わらず女王蝶は空間遊泳を続け、俺達は防戦一方を余儀なくされる。
「ナトリくん、隙を作ります! 別属性の攻撃を!」
「わかった!」
「天翔ける猛き獣、遥かなる星霜の果てより来たれ。今ここに顕現し、周く衆人の首を垂らしめよ『黒角の牡牛』」
リッカの術により、周囲に漂っていたアルニラム達が広範囲に渡って地面に墜落していく。
黒角の牡牛によって開かれた道を駆け抜け、女王に近づく。
「エレメントブリンガー、燃え散れ、『ギルティブレイザー』!」
リベリオンを火属性に変化、刀身から燃え立つ炎の気配を感じながら、火に変換した周囲のフィルを斬撃に込めて放つ。
「なにっ?!」
女王の飛行速度自体は大したことがない。攻撃はよっぽど遅くないこの距離なら外しようはない。
……が、炎の斬撃は女王の身体をすり抜けていった。
「これならどうだ――、『ソニックレイジ』」
今度は響属性に変えて、響斬撃を放つ。しかしそれも結果は同じだった。
「っ! 『アブソリュート・イージス』!」
これ以上続けさせるかと言わんばかりに群れの猛攻が襲い掛かり、盾を展開しながら後退を余儀なくされる。
「攻撃が当たってない……のか?」
属性に関わらず、あれは実体じゃないってことなのか。だったらなんだ。なんらかのトリック、もしくは幻覚か。
「幻影の類には思えません……、確かな反応はあるんです」
「実在する幻影……、でもそこに実体はない? そんなことが」
攻撃が当たらなければ、倒すことはできない。
群れによる絶え間ない攻撃により消耗を強いられ、いずれ俺達もあいつの養分にされる。
「何か、あいつに攻撃を届かせる方法は……!」
盾で群れを受け止めながら、恨めし気に優雅に舞う女王を睨む。
「多分あれは、女王アルニラムの投影なんです」
「投、影……」
「でも本体はあそこにいない、ううん、正確には、空間次元がずれて……」
「わかるのか、リッカ?」
リッカが頷く。
あれが女王の影だとすれば、いくら攻撃してもダメージを受けないわけだ。
「おそらく女王本体は、隠匿された時空間断層に潜んでます」
『リベル、意味わかるか?』
『空間座標は同じ。だけど存在している次元は違うってことだ。おそらく女王アルニラムの能力は、次元階層を自在に行き来できる力』
『……マジか』
『簡単に言えば、この世界に重なる別の世界を小規模ながら作り出して、そこに身を隠してるってことさ。あそこに見えてるのは幽霊とか、残像みたいなものだよ。たかがモンスターのくせに、極めて強力な力だ。時空に干渉する術を持たない者にとっては無敵だからな』
「普通に倒すのは無理ってことはわかったが……」
「別次元からの攻撃では、手の打ちようがないです……」
アルニラムの数は増殖を続け、空間に開いた穴から続々と現れる。
俺とリッカは苛烈になる蝶たちの猛攻に対処するが、この先に待ち受けるのは物理的に圧殺される未来だった。
「姿は、見えてるってのに……!」
「アスモデウスに頼って時空迷宮を発動させたところで、そもそも次元階層が異なるのでおそらく女王には干渉できません……」
奴には時空迷宮すら効かないってのか。
『リベル、次元を超える方法は』
『簡単に言うなよ。アトラクタブレードも現時空間の移動が関の山だ。次元すら異なるとなると……。そもそも女王はどうやってそれを実現している。どんな力で、どうやって?』
リベルの思考が急速に回転するのが伝わる。
『マスター、属性学の資料に、黒の属性は引力や斥力といったものと関連があるって研究があったのを覚えているか』
『ああ……なんとなく。それにリッカの波導にもそういう感じのものってあるしな』
『この世界、スカイフォールが安定した形で存在するために、黒の属性は不可欠だ。時間と空間を繋ぎ留め、引力と斥力の調和を司っている』
『それが何か関係あるのか』
『つまり。逆に言えば、黒の性質に負荷を掛けることでその調和を破壊することも可能。そして、それこそが黒波導のキモだろう』
時空間のバランスを崩すことで起きる現象を利用するのが黒波導ってことか。
『次元に対してもそのバランスを著しく崩してやれば、もしかしたら?』
『うん。たとえば私たちの存在する次元に穴を開けたり、激しく損なうことで世界はバランスを取ろうとする。そうすれば、女王アルニラムをこっちの次元へと引きずり出すことができるかも』
そんなことで、本当にこの窮地を打開できる保証はない。だが、他に打つ手もないのだ。
『なんのことはない。時空間そのものに穴を開けるような、強力な攻撃を叩きこんでやればいいってわけ』
『簡単に言うけどさぁ……!』
リッカに声を掛ける。
「あいつのいる場所に、次元を割るような威力の力を叩き込めば攻撃が届かないか?」
「可能化はあります。だけど、厄災の力を以てしても、時空間を破壊するような力が引き出せるかどうか……」
必要なのは、それこそこの世の理を破壊するような力だ。そんなもの、そう簡単に使えるわけがない。
「くそっ、他の方法を考えるしか……」
『忘れてないかマスター。ここにこの世の理を破壊する力があるぞ』
そうか、リベリオン。迷宮の壁すら壊し、あらゆる物質を消滅させる理外の力。
『早く言ってくれ!』
『できないなんて言ってないだろ?』
俺にようやくもわかってきた。リベリオンにはその力がある。
だけど一つ問題がある。それは、俺がまだその力を引き出せていないということだ。
「…………」
アルニラムの群れを打ち払いながら逡巡する。
「私はナトリくんを信じてます。――ナトリくんはいつも、意志の力で道を切り開いてくれました」
一瞬の逡巡を見抜いたかのようにリッカが俺の目を見た。
エレメントブリンガーなら、性質上黒属性を扱うことはできる。
だが、これまでの訓練で一度も成功していない。俺は何故か黒属性を使うことができなかった。
多分だけど、原因は俺の黒属性に対する理解が足りていないことだろう。
ルーナリアで受けた講義で、属性については一通り学んだつもりだ。でも黒属性は難しすぎて、本当には理解しきれなかった。
『やるしかない。マスターならできるはずなんだ』
「リッカ、リベル……」
二人とも俺の力を信じ、体を張ってくれている。
そんなの、期待に応えないわけにいかない。
リッカを見つめると、彼女は理解したと言わんばかりに心強く頷いてくれた。
「周く衆人の首を垂らしめよ、『黒角の牡牛』――」
リッカが残り少ない煉気を使い、周囲のアルニラムを一気に潰す。
女王と俺達との間にぽっかりと空間の猶予ができた。ほんの一瞬しか持たないだろうが。
おそらく最後のチャンス。失敗すれば、死。
「リッカ、力を貸してくれ」
「はい。私はどんなときも、ずっとナトリくんを支えます」
リッカは術の詠唱を中断して無防備になると、俺に寄り添うようにして身を寄せる。
こんな、生き死にの瀬戸際みたいな状況であるにも関わらず思わず笑みがこぼれた。心強い。
俺はやっぱり好きだな。この子のこと。
リベリオンを高く掲げた俺の右手に、リッカの左手が添えられる。
「あなたならきっと大丈夫。時空間も、次元も。ナトリくんは時空迷宮マグノリアの中で、私を助けに来てくれました。時空間を超えた想いによって、私と繋がってくれました。記憶は、心は、魂は、時空間すら超越した道しるべになる。あの刻、絡まり縺れた時空の迷宮の中で、私たちが結び付いたみたいに――」
――そういうことか。今なら……、今ならちょっとは理解できる気がする。時空間と黒波導。黒の属性のなんたるか。
フィルに備わる黒属性としての性質。それは、そこに在ること。そこにおける想いとは、感情とは、存在の差位を示す変数だ。
無防備な態勢を晒す俺達に向かって、周囲の空間を埋め尽くすアルニラムが全方位から押し寄せる。
「エレメントブリンガー、――『グラビィティストライフ』」
二人で掲げたリベリオンの刀身が、強い黒色の輝きを放ちながら急激に巨大化していく。
リッカの影の翼が靄となり、刀身へ吸い込まれると、刃はさらに光と長さを増し、暗い竪穴を貫いて天を衝くほどに巨大な光の柱と化す。
厄災の魔力が加わり、時空間が振動し始めるほどの力が渦巻く。
「終わらせるぞ、リッカ」
「はい……!」
「『ディメンション・バスター』……!」
時空間そのものを引き裂く光刃が振り下ろされ、女王の影は、舞うアルニラムの大群ごと一瞬で光の中に飲み込まれていった。