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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
八章 炎龍帝と水の巫女
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第336話 温泉

 

「あー……、染みる」


 熱い湯の中に体を沈める。遠征で疲労をため込んだ体がほどけるような心地良さだ。


「遠征後の温泉は極楽やなァ」

「全くなんだぜ」


 クレイルとエルマーも俺の隣で湯に浸かり体を弛緩させている。


 俺たちのいる温泉はエグレッタの街にある公衆浴場だ。リビア湖に面した露天風呂で、石を敷き詰めて作られた広々とした湯舟の向こうには、火龍山脈の壮大な夜景が広がる。


 グランディス大陸は火のフィル鉱石の埋蔵量が多いこともあって、気温が高く温泉も多く湧き出す、とどこかで聞いた。


 この公衆温泉は以前コルベットの狩人に教えてもらったのだが、狩りの疲れを癒すには最高の施設だ。今後も是非通いたい。


「次は上層まで行きたいよな。頂上までもう少しだ」

「ちびすけの装備も強化されたし、リィロの星骸も作れそうやし、強化は順調やろ」

「だな」

「俺っちもそろそろ装備を変えてぇな」

「鎧が摩耗してきたのか? エルマー」


 俺たちの目前を背泳ぎしながら通り過ぎていくエルマー。


「それもあるけどよ、この先もっとやべえ攻撃をする奴が出てくんだろ? もちっと頑丈な鎧が欲しいと思ったんだぜ」

「頑丈な鎧かぁ」

「買えなくはねぇやろうが、上層に行けば固いモンスターの素材も手に入るかもしれんぜ」

「だよなぁ。それにもしうまいこと俺っちに合う星骸素材を手に入れられりゃあ、せっかく買い替えた装備が無駄になっちまう」

「そいつは悩ましいな」


 実のところ、現状俺たちはあまり装備を更新していない。


 ジェネシス内における前衛らしい前衛はエルマーとニムエだけだ。

 ニムエは全身が装甲みたいなもんなので、アルベールのメンテナンスさえ欠かさなければ大丈夫。


 動きの制限される重たい鎧は、術士には向かないしな。


 アルベールやリィロにはもう少し頑丈な防具を装備してもらうべきだろうが、戦闘慣れしてない二人に重しをつけて山脈を歩かせるのも少し不安だ。


 今はニムエやマリアンヌが二人を守ってくれているから大丈夫だが……、またガクルクス戦のように非戦闘員が狙われないとも限らない。


 みんなの装備について考えを巡らしていると、エルマーが口を開く。


「にしてもよ、フーカもクレイルもほんとにつえーよな」


 フウカとクレイルは特にモンスターを多く倒してくれている。


「二人とも攻撃が担当だしな」

「俺らはエルマーが敵を食い止めるから攻撃に専念できるんや」

「まあ、そうなんだけどよ……」

「なんだよエルマー、もっと戦いたいのか」


 エルマーは基本的に仏頂面のため、意外と考えが読み取れず、普段考えていることが分かりにくい。


「南部にきてこっち、ナトリ達ジェネシスと一緒に狩りしてわかったけどよ。おめぇさんらは強い」


「正直俺っちじゃあ、ついていくのがやっとって感じなんだぜ」

「なんだよ、そんなこと考えてたのか。らしくないって」

「実際強ぇよ。おめぇさんらは」


 エルマーは繰り返すようにひとりごちる。


「俺っちも、もっと強くなんねぇとな……」

「エルマーも相当強くなったと思うけどなぁ」


 一緒に寝起きするようになってわかったことだが、エルマーはかなりの努力家だ。


 訓練の時間もさることながら、朝晩の鍛錬も欠かさない。気功や技を磨いている時間は、俺たちの中でもダントツだと思う。


 それにその成果はすでに表れている。気功を磨きつつあるエルマーは、以前エイヴス王国の拳闘武会で見た時とは比べ物にならない実力を身につけている。


「硬気功を極めりゃあ、相当強くなるやろ」

「そうだな。置いてかれねえように気合いれるんだぜ」


 皆、火龍山脈を攻略しながら色々と考えている。そして、その手の課題は俺にもたくさん残っているんだ。少しずつでも、打開策を見つけていかなくちゃな……。




「ナトリ、俺ら先に宿に戻っとるからな」

「ああ、わかった」


 黙って一人で考えを巡らせていると、クレイルとエルマーは先に湯から上がっていった。


 温泉にはいつの間にか他に狩人の姿は見当たらない。すでに真夜中近くだろうからこんなものか。


 貸し切りみたいで気分がいい。両手足を存分に伸ばし、星空を見上げて目を閉じた。



 しばらくすると後ろからぺたぺたと敷石を踏む音が聞こえる。


 気配が近づいてくると、ちゃぷんと思いのほか近くで水音がした。


「?」


 湯舟には相当な広さがあるのにわざわざ俺の隣に入ってくるということは知り合いだろう。


 アルベールかウォルトか、コルベットの狩人でもやってきたのかと目を開けて隣を見た。


「温泉とはなかなか良いものじゃな」

「ぶはっ?!」

「よせ小僧。せっかくの湯がお前の唾液で汚れるではないか」


 すぐ脇で湯に浸かっていたのはリッカだった。いや、この喋り方はアスモデウスか。

 よく確かめなくても頭から黒い角が生えている。


 急いで周囲を見回したが、俺とアスモデウス以外には誰もいない。


「おい! ここ男湯!」

「別によいではないか。妾は一緒でよいと思うがな。その方が楽しいであろうが」


 思わず口をあんぐりと開いてしまう。

 アスモデウスになっている時のリッカは、普段の状態からは考えられないほどぶっ飛んだ貞操観になる。


 俺はもっとリッカ自身の危機について考えるべきなのか? いや、まあ、いらないお節介である可能性だってあるのだけど……。


 ……やっぱダメだ。好きな子が男食い荒らしてる場面に遭遇するとか、俺には耐えられそうもないよ。


「そうか……、しばらくお前は出てきてなかったな。今夜は出られる日だったのか」

「察しがよくて助かる。繁華街へ男漁りに出てもよかったのだがな」

「そういうのは絶対に止めろ……。リッカのためにも、俺のためにも」

「くふふっ」


 アスモデウスが俺の肩に自分の肩を合わせるようにぴったりと密着してきた。白濁した湯舟に浮かぶ巨大な胸が眩しい。


「そう思うなら、尚のこと妾を満足させるのはお前の役目であろう。主様(このからだ)は強くお前を求めておるからの。わざわざ来てやったというに」

「…………」


 リッカのしっとりとした柔肌が腕に密着する。


「お前は妾に借りがあったはずじゃな?」

「!」

「前回は有耶無耶となったが……、いい加減に返してもらわねばな」


 覚えてやがったか。


「どうせ、次出てくる頃には忘れてるだろ、なんて考えとったんじゃなかろう?」

「ぐっ」

「これ以上先延ばしにされでもすると、この街の人間は残らず時空間の深淵へと消え果てるやもしれぬ」

「エグレッタの住民を人質に取るつもりか」


 アスモデウスは弓なりに口を曲げ嗜虐的な笑顔を作る。


「人聞きの悪いことを言うでない。お前が約束を守らぬのが悪い」


 その時、脱衣場の方から人の声がした。数人が軽口を叩きながら服を脱いでいるらしい。


「うわっ、誰か来る……!」


 立ち上がり、アスモデウスの腕を掴むと湯舟の中をざぶざぶと進む。湖岸に近い縁の方にはちょっとした岩場がある。


 湯舟から突き出している岩の裏にアスモデウスを押し込み、自らも隠れる。


「何を気にしておるんじゃ?」

「お前は平気かもしれないけどな、リッカの裸を見ず知らずの野郎どもの前に晒すわけにいかねえだろが……!」


 アスモデウスの豊満な肉体から目を逸らしながら彼女の両肩に手を置き、温泉に沈める。


 こんな暴力的な肉体を目の前に冷静に話ができるか。


 岩の向こうで男たちが次々と温泉に浸かり始める気配があった。なんとかバレずにやり過ごすしかない。


「くふふっ、妾はもう我慢ならん」

「——んがっ」


 来客の様子を窺おうとしていたところへ、両頬にほっそりとした手が添えられた。


 ぐいとアスモデウスの方を向かされる。

 妖しげな紫光を宿し、濃い情欲を浮かべる瞳が真っ直ぐに俺を見つめていた。


 有無を言わさず唇が押し付けられる。


「————っ!」


 抵抗を試みたものの、人外の強靭な腕力で抑え込まれる。


 長い舌が口内に差し込まれ、意志を持つ生物のようにねっとりと這い回る。


 脳内を甘い痺れが駆け抜ける。

 抵抗の意志も、そのための力も、するりと解けていく。


 このまま身体を本能に委ねてしまいたい。


 長い接吻が終わると俺はようやく解放された。


「はぁ、はぁ……」


 全力疾走した後みたいな倦怠感を感じて、くったりと背後の岩に寄りかかる。

 アスモデウスがしなだれ掛かるように覆い被さってきた。


「ナトリくん……、すき」

「俺も、だ……」

「お願い。今日は他のこと全部忘れて、二人きりで————」


 ……なんだかどうでも良くなってきた。

 実際、ここで我慢する必要なんて、あるのか。


 リッカの滑らかな背中から腰に指を這わせると、切なげな声と湿った呼気が首筋に当たる。


「ナトリくんのここ、すごく熱くなってます」


 膨張した肉塊がリッカの腹部に触れている。

 これ以上はまずいと思いつつも、身体は火がついたかのように火照ってきていた。


 絡みつくように身体を密着させ、リッカは自身の大きな胸を押しつけてくる。

 ウルルンのように丸みのある柔な質量が俺の腹に押し当てられ、下品にその形を潰している。


 彼女は微笑みながら、膨張した俺自身に手を伸ばす。


「…………」


 フウカの顔が脳裏を掠めた。

 気がつくとリッカの手を掴んでいた。


「……どうしたの? 私に全部委ねてください」

「……だめだ。これ以上は」


 アスモデウスの瞳の光が燃えるように増す。


「まだ抵抗の意思が残っておるとはな。お前も頑なよな」

「口なら好きにしろ。……リッカの身の安全を守れるなら、それでいい」


 厄災に暴れられるのは困る。でも中途半端な気持ちでフウカのことは裏切れない。

 かといってリッカへの気持ちも偽りじゃない。


 アスモデウスが吸精に満足するまで、俺が理性を保てばいいってことだ。


「くふふふっ、では存分に吸わせてもらおうかの」

「たのむから節度を弁えてくれ。二人きりじゃないんだ」

「色欲の権化ともいうべき存在にかける言葉ではないな」


 返事を待つまでもなく、アスモデウスは手をひっこめると再度口づけを始めた。

 口内粘膜を残らず舐めとるような、丹念で粘着質な接吻だった。


「あぁ、よいのぅ。美味い。妾の肉体が反応しておるのがわかるかの? これぞ色欲の糧。実に美味よ」

「頼むからもう少し声を押さえろ……」


 アスモデウスは再び俺の唇を吸い始めた。


「ん……」


 半端じゃない気怠さに身動きもできず、とにかく気を紛らわせるために話をする。


「……お前たちは、何者なんだ。スカイフォールの生き物、じゃないだろ」

「妾のことについて知りたいか? ふん、まあよい。今日は気分が良いからな」


 実際のところ厄災やゲーティアーが何者なのかよくわかってない。この世界の生き物とは明らかに違う感じがするってことくらいだ。


「妾たちは、“イリスフィア”からこのスカイフォールへ来ておる。ニンゲン共を根絶やしにするためにな」

「イリスフィア?」

「妾の生まれ故郷よ。それはそれは美しい場所じゃ」


 厄災やゲーティアーが美しく感じる場所……、だいぶやばそうなところだな。


 でも、やっぱりこいつらはこことは別の場所から来ていたのか……。

 死後の世界である、セフィロトとも異なる世界。魔力の満ちる世界イリスフィア、か。



「……なんでお前達厄災は頑なに世界を破壊しようとする。俺達がイリスフィアの奴らに何かしたのか」

「さあな」

「さあなって……!」

「妾はクロエ様の意思に従うのみ。理由なぞ考えたこともない。強いていうなら本能じゃ」

「…………」

「我らイリスの眷属はクロエ様により生み出された。あのお方こそ、イリスの全てを治める女王。我らはあのお方のために在る」


 イリスの女王、クロエ……。そいつが全ての元凶なのか。


 厄災とゲーティアーを生み出し、神話の時代にこの世界を破壊し尽くした。


「お前は疑問を抱かないのか」

「疑問じゃと?」

「そのクロエ様とやらを盲信して、スカイフォールの人間を虐殺して……、それでなんとも思わないのか」

「意味が分からぬな。我らが女王がそれを望んでおられる。それだけで十分であろう」


 そんな事はない。俺にはそう思えてならない。


「お前はリッカと融合している。今のお前には人の気持ちが理解できるはずなんだよ。現に、滅ぼすべき対象である俺とこうして意思の疎通ができてる」

「…………」

「もし、女王クロエがお前達をただ人を殺すための道具として生み出したなら、それは哀しいことだ。残酷過ぎるよ」


 鎖骨の隙間に舌を這わせていたアスモデウスの肩を掴み、正面を向かせる。


「お前は『色欲の厄災』なんて呼ばれてるけど、今はちゃんと人らしい感情を持ってるだろ」

「妾が、ニンゲン如きと同じだと言うのか。笑わせる」

「同情や憐れみ、愛だって持ってるはずだ。本当は伝わってるはずだろ、リッカの悲しみも」


 アスモデウスは目を細めて俺を見つめる。


「お前は厄災だけど、今やリッカでもある。リッカを好きな気持ちに偽りはない。だったら、俺はお前の事も受け入れたいと思う」


 アスモデウスは色欲の厄災だ。リッカはアスモデウスと深く結びつきすぎてしまっている。

 二人は不可分であり、同一の存在になりつつある。


 ずっとリッカを見てきて、俺はそう考えるようになっていた。


 二人を切り離すのは容易なことではない。

 いや……、もしかしたらリッカにとっても、それはあまりいいことではないのかもしれない。


「……はっ、たかがニンゲンが言いよるの。だったらどうするというのだ? 妾を娶ろうとでもいうのか」


 目の前で髪から湯を滴らせるのは美しい女性だ。

 普段のリッカとは明らかに雰囲気が異なり、とても妖艶で大人っぽく、性的な魅力でむせ返るようだ。


 仄かに紫光の宿った瞳を覗き込む。その奥に、僅かな感情の片鱗が、リッカのまなざしに見る親密さが、ほんの一瞬過ぎる。


「アスモデウス。知っといて欲しいんだけど……。俺はお前のことも好きだよ。きっとお前自身に罪はない。お前は本来、もっと純粋な存在なんだろ」


 こんな哀れな存在を産み落としたイリスの女王が悪い。


 アスモデウスの紫炎の灯る瞳がじっと俺を見つめている。


「……俺は優柔不断だから、フウカとリッカ、どちらに尽くして、どちらを切り捨てるかいまだに選べてない。時空迷宮マグノリアから出た時、俺は二人を同じくらい好きになってたから混乱したよ」

「全く……、贅沢な悩みじゃな」

「本当だよな……。でも、もしリッカを選んだときは、お前のことも愛したいし、共に過ごしたいと思うよ」

「愛する……この妾をか」


 性格はともかく、この超美人で超ナイスバディで超エロい女を好きにならない方が男としてどうかしてるだろう。


 リッカに厄災が宿ったばかりの頃、こんな感情は持てなかった。しかし、魔神化したリッカと会話を重ねる事で分かってきた。


 容姿も変わっている。性格も全然違う。考えも過激だ。


 それでも、アスモデウスは疑いようもなくリッカと同一の存在なのだ。ふとした瞬間、それを感じる。



 受け入れていないのは、俺の方だった。



「フン……、お前は何もわかっておらん。妾は厄災であるぞ。人の罪を体現した存在じゃ。この妾に罪がないと申すか」

「人の欲望が罪だっていうなら、お前はそれを背負わされただけだよ」

「…………」


 訝しげに眉を顰め、理解できないものを見定めようとするように俺の顔を凝視する。


「色欲なぞ微塵もなく……。気に食わん。そして、卑怯極まる愛の告白も気に食わぬ」

「本当にすみません」


 めちゃくちゃ卑怯なのは自覚してるさ。それに関しちゃ申し開きもない。


 アスモデウスは俺の胸板に顔を伏せ、何事か考えているようだった。



「神を殺すのもよいが――、一度子を身籠ってみるというのも面白いやもしれぬな」

「……はっ?」

「今日のところはこれで勘弁して遣わす。最低限じゃが不足した分を満たせたしな」

「頼むから、勝手に男を漁ったりしないでくれよ……」


「ふふん、嫉妬か? 安心せい。妾はお前から徹底的に搾り取ると決めたのじゃ。次は覚悟しておけよ――――、旦那様?」


 唐突にそれだけ言い残すと、彼女の黒い角と翼は霧散した。


 ……旦那様? これでリッカの貞操は守れるのかもしれないが……、次はどう乗り切ったものか。



「……えっ?」

「あ」


 正気に帰ったリッカが悲鳴を上げる直前で、俺は咄嗟に彼女の口を手で塞いだ。



 狩人達が風呂から上がり、人がいなくなるまで俺とリッカは息を潜めて、ちょっと気まずいような、少しだけ嬉しいような時間を過ごした。



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