第334話 ダイビング
火龍山脈中層に位置する高原エリアを、俺たちは三日ほどかけて登っていった。
行く先を迷わないという一点において、高原エリアは非常に攻略しやすい階層だ。
しかし中層に踏み出した初目と、二日目は野営に適した場所をついに見つけられず。
そのためだだっ広い山肌の斜面で眠ることになり、夜の間に四度もモンスターの襲撃を受けることになった。
見通しが良いというのは攻略側はもちろんだが、それを阻む側にとっても好条件ということになる。
三日目の朝、行軍の準備をする俺たちは溜まった疲労のためにほとんど無言になってしまった。
この場所は思ったよりも辛い。遠征六日目だが、宿の柔らかいベッドが恋しい。
言葉少なに斜面を登る一行の顔を見回しつつ、俺たちは少々急ぎすぎているのかもしれないとも思ってしまう。
けど、そうでもしないと厄災を止めることなどできそうもない。奴らがこぞって復活し始める前に、一体でも数を減らすべきなんだろう……。
昼を過ぎたころ、上方に濃い霧のかかる森が見え始めた。
その森は切り立った地形の間に存在し、俺たちの行く手を塞ぐようにして広がっていた。
「あれが『枯れた森』か?」
「そうみたいですね」
ローズ達から話は聞いている。火龍山脈中層と上層の間には枯れた森と呼ばれるエリアが広がっていると。つまりようやく見晴らしのいい高原エリアを踏破したというわけだ。
「枯れた森、ってことは……」
「腐敗種のモンスターが出るんでしたっけ?」
枯れた森は難所とされ、ここを越えられるか否かはユニットの格を見る上で重要視されるらしい。
理由はいくつかあるのだが、主な点は二つ。一つは非常に道に迷いやすいこと。二つ目はモンスターの中でも特に厄介な腐敗種がわんさか湧くことだ。
上層へ至るため勇み足で入っていき、二度と出てこなかった狩人達は掃いて捨てるほどいるらしい。
コルベットの連中にはチビるなよなどと散々脅かされたが、俺たちに止まるつもりはない。
「ルーナリアには腐敗種いなかったんで、どんな奴かちょっと楽しみっすねオレは」
「楽しいわけないでしょうが! 死体みたいなのがわらわら寄ってくんのよ?!」
「…………」
枯れた森に近づくにつれ、リィロはやたらとナーバスになっていた。腐敗種をかなり恐れているらしい。マリアンヌも若干顔が青ざめているように見える。
「腐敗種か。そういえば俺も戦ったことないな。プリヴェーラ周辺にも出なかったし」
「私も見たことないです。クレイルさんは見たことあります?」
「ああ、あんぜ」
「ど、どんなモンスターだった……?」
「あれは確か3年ほど前やったか……」
何やら語り始める。またか、と妙にノリ始めたクレイルを少し呆れ気味に見遣る。こいつは意外と怪談の類が好きなのだ。
昔請け負った仕事で行ったという、イストミル東部の地にある古城で腐敗種に遭遇した話を、雰囲気たっぷりに語って聞かせる。
「俺は崩れた壁から月明りの差し込む廊下を一人で歩いとった。深い森の中に長年放置されたやたらと暗い廃墟でなァ……。月明かりがなけりゃ一寸先も見えんような、闇と静寂の支配する古城やったわ」
なんでわざわざ夜にそんなとこ行った? 照らす系の波導術は得意分野だろと突っ込みたくなる気持ちをあえて抑えて聞く。
「真っ暗な廊下の先にな、こう、ぼうっと白い影が浮かび上がるんや」
「……!」
「捜索対象の女や思て追いかけたんやけどな、ソイツは何故か足音もなく、幻影の如くスゥーーッっと廊下を移動しよる」
「追いかけてどんづまりまで来たが、そこは一切光の差さん聖堂やった。祭壇の前に後ろ向きに、ソイツはじっと床を睨みながら立っとった」
リィロがごくりと生唾を飲み込む。フウカは既に両手で耳を塞いでいる。
「依頼人から聞いとった特徴と一致しとったからな。俺は女に近寄り、声をかけてその肩を掴んだ。待て、俺はお前を救助にきたんやぞと」
「そしたら、女はさっとこっちを振り向いてな。無表情の、普通のエアルやった。けどな……、次の瞬間、クワっと目ぇ開いた思たら、片目がこう、ぼろんっと……」
「「ギャーーーー!!」」
捜索対象の女性は、モンスターに既にやられてしまっていたのだと。
腐敗種には殺した生物の骸を自らの配下に加え、命を持たぬ殺戮人形に変えるモンスターもいると聞く。
騒ぎまわるフウカとリィロを傍目に、青ざめたマリアンヌが提案する。
「あの、今回の遠征もそれなりに日数を経てますし、枯れた森にも到達したことですし、そろそろエグレッタへ戻りませんか……?」
「お、ビビったんか?」
面白がるクレイルはともかく、マリアンヌの提案は現実的だ。難所ということだし、正直疲労の溜まった状態で挑みたくはない。
今回の探索ではめでたくレベル4も狩ることができた。俺もここらで今回の探索は打ち切るのがよさそうな気がしてきた。
「アルベールは怖くねぇのかよ?」
「オレはむしろ、腐敗種の配下になった死体がどういう原理で動いてんのかって方が気になる」
「なぁるほどな」
エルマーとアルベールのいまいち要領を得ないやりとりを聞きながらクレイルを窘める。
「その辺にしとけよクレイル。お前もわかってるだろ?」
「カカッ、悪ぃ悪ぃ。さすがに俺も今が引き時やと思うぜ」
「もうっ、わかってるなら煽らないでくださいよ」
「カッカッカッ」
「それにしても、ここからまた麓まで下るのは骨が折れますよね」
山脈中層の後半に広がる枯れた森。エグレッタから出発してここまで登るのに俺たちは五日かけている。
高原エリアを下り、第一中継地点を通り、登山道エリアを抜けて密林エリアを通り抜け、エグレッタに戻るのにももちろん同じだけかかる。
資金が潤沢だったり、安定的に強敵を狩れるような大所帯であれば、中継地点の砦を拠点にして、納入するモンスター素材の減額や高額な宿泊費や補給物資を意に介すことなくとどまることもあると聞くが……。
多分エグレッタに戻るほどの休息は得られない。
だけど、時間がかかるというのは普通に山脈を下った場合の話だ。
「今回は別の方法で帰ってみよう」
「別の方法って?」
§
一刻半ほどかけ、俺たちは枯れた森に沿って高原エリアを横断した。
火龍山脈は大きな浮遊陸地だ。横断するように進めばいずれは端にたどり着く。
突端の切り立った地形の崖際まで来ると、一気に空が開けた。
「こうしてみると、高いっすねぇー」
「うん。一番上まで登れば、グランディス大陸全部が見渡せそうだね」
眼下には碧く輝く透き通ったリビア湖が広がり、点在する島々が見渡せる。
「遠くてよくわからないけど、あの辺りがエグレッタかしらね?」
さすがに湖岸にあるエグレッタの街までは遠すぎて視認できないが。
「ナトリさん。もしかして、別の帰還方法というのは……」
「うん。ここから麓に向かって飛び降りるんだよ」
歩けば五日だが、落ちれば多分一瞬だ。
「着地はなんとかなるでしょうけど、確か火龍山脈の空域って……」
「竜が飛ぶから危険、って話じゃなかった?」
フウカの言う通り、山脈を含む空域はとくに強力な竜種の縄張りだ。
浮遊船で頂上を目指せば楽じゃないかと思うが、話はそう簡単ではない。
空中なんて動きの制限される状況で、ワイバニアやドラグニカの大群に襲われると相当危険だ。
「上昇する時には危険やが、落下なら一瞬。リスクも少ねえ。そういう話か?」
「そういうこと。実際腕に自信のあるユニットはみんなこの方法で帰還するらしい」
「さすが狩人です……。大胆というか、向こう見ずというか」
もちろん竜種との遭遇確率はゼロじゃない。それを撥ね退けられる力がある者だけが選べる帰還方法だ。
「面白ぇ。いい加減歩き疲れたしよ。とっとと飛び込むんだぜ」
「お、やる気だなエルマー。みんなはどうする?」
「なんとなく予想はしてたけど、やっぱりそんな感じね。五日歩いて戻るよりはいいかなぁ……。まあ、私は襲われても何もできないんだけど。……ちゃんと守ってくれるよね?」
「私は飛び降りたいです。できるだけ早く帰って、お風呂に入りたい……」
「ま、なんとかなるっすよ!」
反対意見もないので、俺たちは飛び降り帰還を敢行することに決めた。
「あはっ、ナトリもこういうの、結構慣れてきたんじゃない?」
「いや全然。めっちゃ怖い」
空中に放り出されるのはいつだって怖い。常に死を覚悟する。
「でも今はフウカがいてくれるから。頼むよ」
「任せなさい。絶対にナトリを落としたりしないから」
フウカの手を取り、俺たちは同時に崖端を蹴って大空に身を躍らせた。
「――――うおおおおおっ!!」
景色が回転し、頭上にリビア湖が広がる。バタバタと風が全身を包み込む。
「あははははっ!」
フウカは実に楽しそうに体を回転させ、落下しながら俺を振り回す。こっちはそれどころじゃないんだが。
「――ギャオオオンッ!」
「!」
振り向けば、上空からこちらに向かって急降下してくるワイバニアの姿。運悪く補足されたか。
群れはなく、単独飛行らしい。一匹ならむしろ幸運と思うべきだろうか?
ワイバニアは翼を折りたたみ空気抵抗を減らし、一気に距離を詰めてくる。
俺の足元まで迫ると、かっと大顎を開いた。
「切り裂け、『黒裂風刃』」
「――グ、ギャ」
遠心力で俺と位置を入れ替えたフウカが即座に詠唱する。
薄っすらと黒いオーラを纏った風の刃がワイバニアの腹部に撃ち込まれ、その体を真っ二つに切り裂く。黒波導を纏った風の刃は岩だって切断する。
二つに分かれたモンスターの亡骸は風に吹き飛ばされて散っていった。
「――助かった!! ありがとフウカちゃん~!」
「さすがの腕前だよ」
「あは、どういたしまして~」
真っ青な空と輝くような碧い湖面の間を、風を全身で受けながら急降下していく。
中層の空域を抜ければもう脅威度の高い敵は来ないだろう。
すぐにリビア湖の湖面が近づき、迫ってくる。
「みんなー、いくよーっ!!」
周囲を同様に落下していたみんなが俺とフウカの周囲に集まる。
「『スカーレットウイング』」
その背に緋色の翼を浮かび上がらせたフウカが湖面にまっすぐ右手を向ける。スカーレットウイングの発光が強まり、強烈な力の気配が渦巻く。
「――リッカ直伝! 『浮揚域』」
空間が捻じれるような奇妙な感覚を味わった直後、まるでやわらかい木の葉の塊に突っ込んだように下降速度が弱まっていく。
リッカがやるのと同じ、物体が落ちる力を軽減する術。しかしフウカのそれは範囲も威力も桁違いのようだ。
全員の落下速度が急速に緩和され、俺たちは湖面上空数十メイル辺りをふわりと漂う。
フウカは俺を両手にぶら下げたまま湖面を目指して下降していった。
「来たれ、『泡の精』」
マリアンヌが落下しながら下に向けて泡を放射、水面を覆っていく。俺たちは全員彼女が作り出した泡の陸地の上に軟着地した。
「ふーっ、なかなか爽快っすね」
「降りるのはすぐだったな。こりゃあ楽ちんなんだぜ」
ニムエに小脇に抱えられたアルベールとエルマーが愉快そうに呟く。
「ではみなさん。このまま舟のある浜辺まで泡の精に泳いでもらいます」
「お願い、マリアンヌちゃん」
みんな無事にリビア湖まで戻ってこれたな。
こうして俺たちは復路五日分をショートカットし、その日の日暮れ前にはエグレッタに即日帰還した。