第32話 アメリアとグレイス
俺たちは再び道を歩き始めた。空気を変えたくて無理矢理にフウカに話を振る。
クレッカに住む動物たちや、食べ物のことなんかを。話しながら歩いているうちに暗い気分も次第に和らいでいった。
一刻ほど草原の道を歩いた後、並んで道端の石塁に腰を下ろした。
船で買っておいたパンの包みを開き、休憩がてら昼食にする。
草原の向こう、森の奥に広がる山々に被さる雲を眺めながらパンをちぎっては口へ運ぶ。
「静かだね。風と、鳥の声だけ」
「退屈?」
「ううん。景色もきれいだし、楽しいよ」
「そうかぁ」
俺もこの草原の風景は嫌いじゃない。昔はよく道から外れた草原の真ん中で寝転がってただ空を眺めたり、丘の上を移動していく雲の塊を見て過ごしたりした。
ここは嫌いだったけど、ここにある自然を観察するのは好きだった。
石塁の続く草原を吹き渡る風、険しく聳え立つ山岳と幽邃な渓流、そして山間に咲き誇る花畑を見るためによく一人で出かけたものだった。
町の子供たちに相手にされなかったので、子供の頃は島を探検して回った。
島の風景は常に俺の幼い記憶と共にある。
その後も歩き続けるうちに太陽の位置も変わり、いくつかの丘を越えるとついに分かれ道にたどり着く。
左、石塁が柵へと変わる道を選ぶ。二人で遠くの山を正面に見据えながら草原を進むと、やがて山麓に広がる森とその前に立つ赤い屋根の風車塔が見えてくる。そして付近の草原に点々と散らばるアリュプの姿。
さらに進むと柵で囲まれた農場に着く。道を塞ぐ古びた木の門扉を開き、簡素な門をくぐる。
「ナトリのお家って広いんだねぇ。もこもこした動物がいっぱいいる」
「牧場だからね。家自体はそんなに大きくないけど」
家へと続く道を進み、二階建ての古い家屋の前に着いた。ようやく帰って来た。懐かしい我が家だ。
王都を出て五日。オリジヴォーラからはそこまで遠くないからこそ、こうして帰ることもできる。
フウカと並んで木造の家を見上げる。俺がこの島でほとんど唯一安らげる場所。
何も変わっていなくてほんの少し安心する。
ガン、と家の隣の畜舎の方から何か落ちるような音がした。
振り向くと姉ちゃんが立っていた。手に持っていたバケツを地面に落として、手を口にあててひどく驚いた顔をしている。
「な」
「な?」
「なーくんだああ〜!」
そう叫びながら俺に抱きついて来る。
「わっ!」
「会いたかったよぅ〜!」
「ただいま……アメリア姉ちゃん」
大声で叫び俺の体にがっりとしがみつきながら姉ちゃんは泣きそうになっている。そこまでか?
隣にいたフウカはあっけにとられたように姉ちゃんを見ている。続けて板階段の上の玄関扉がバン、と勢い良く開いた。
「うっさいよメリー! 一人で何を騒いでんの!」
姉ちゃん以上の大声と共に家の中から出て来たおばさんは、俺と姉ちゃん、隣に立つフウカを見ると驚いた顔になる。
「ナトリじゃないか! 帰って来たんだねえ!」
グレイスおばさんは元気そうだ。声がでかいのも相変わらず。
「うん、ただいま」
「こんなところに突っ立ってないで早く家に入んな。メリー、いつまでそうしてんの! そこのお嬢さんも遠慮しないで」
久しぶりの家族との再会はやはり騒がしかった。姉ちゃんは俺がエイヴス王国へ発つ時もこんな調子だった。感情表現がいちいち大げさなのだ。
しがみつく姉ちゃんを体から引き剥がし、突っ立っているフウカを促して俺たちは家へ入った。
半年ぶりの家族との再会は嬉しくもあったが、今の状況を考えるとどうにも後ろめたさを感じずにはいられない。
§
アメリア・ランドウォーカー。俺は孤児なので血の繋がりはないけど、俺の姉だ。
従って容姿は全く似ていない。身長はフウカより低く、一般的な女性よりも小柄。ふさふさとして量が多く、癖の強いしなやかな金髪に、目は澄んだ空色。
エアルに多い実にポピュラーな容姿だ。女性的でふくよかな体つきの通り優しい性格で、昔は俺のことをいつも気にかけ、町の子供達からよく庇ってくれていた。
町の子供は姉ちゃんのことをデブだとか言ってバカにしていたが、幼い俺はそれにも怖くて言い返せなかったことを何度悔しく思ったことだろうか。
丸テーブルを挟んで向こう側に座る姉ちゃんは柔和な表情をニコニコとさせて大層機嫌が良さそうだ。
テーブルの上に乗っかる大きな胸も健在、むしろさらに大きくなった気がする。
懐かしい香りのする欅材のテーブルにグレイスおばさんが淹れてくれたお茶が置かれる。
おばさんも席に付き、それを一口啜ると口を開いた。
「しかしナトリが中央からこんなきれいな子を連れて帰って来るとはねえ」
フウカをしげしげと眺めながら言う。
「お名前は?」
姉ちゃんが優しくフウカに問う。
「フウカ」
「私はアメリア。ナトリのお姉ちゃんよ。こっちはお母さんのグレイス。よろしくねフウカちゃん」
「うん。……よろしく」
「しばらく前から王都のアパートに居候させてたんだ。……色々あって」
俺はフウカと出会った経緯を簡単に二人に話す。
「そんなことが……。王都ってのは怖いところだねえ。この辺りじゃそんな悪人はいないから安心しな」
「うん、こんなところまで追いかけてきたりしないよ絶対」
二人はフウカに同情し、身を案じてくれる。ありがたいことだ。
「記憶を無くして……そう……。手掛かりになるようなものはないかもしれないけど、ここは平和な土地だからゆっくりしていってね」
「ありがとう」
「あたしゃてっきりナトリが嫁さんを連れて帰ってきたのかと思ったよ。よかったじゃないかメリー」
「な、何がっ?」
実際のところそんなのとは全然違う理由で帰ってきたんだけど。それを二人に言わなきゃいけないと思うと少々胃が痛む。
「それで突然帰ってきたのはどういうわけなんだい?」
二人が答えを待つように俺の顔を見る。対する俺は真顔になった。
「それは……配達局の仕事、辞めたんだ。だから」
居間に暫しの沈黙が降りる。俺は情けなくて二人の顔をまともに見られない。
「そうかい」
「……なーくん」
この二人にくどくど言い訳はしない。余計に惨めになるだけだ。
「とにかく長旅で疲れたろう? もう少ししたら夕食にするから休んでるといいよ」
二人は仕事のことで俺を責めたり、苦言を呈すようなことはなかった。分かってはいたことだけど、そんな二人の優しさと甘さが少し胸に刺さる。
晩御飯は賑やかになった食卓を四人で囲んで久しぶりにおばさんの手料理を堪能した。
フウカは相変わらずよく食べたが、おばさんの料理は量が多いので彼女も満足できたようだった。
姉ちゃんもぽっちゃりするわけだよな。姉ちゃんはフウカの食べっぷりに感心し、おばさんも満足げだった。
仕事を辞めた経緯について詳しく話すと二人はやはりすんなりと納得してくれた。
「こっちで何か変わったことは?」
「そうだねぇ、これといって何もないけど、山の方で少しモンスターが増えてるみたいなんだよ。たまに動物の死骸を見るようになったし、町の方じゃ今度討伐隊を組んで山に入るって話さ」
「この前町で、隣島のキュアノピカでドンガルムが村人を襲ったって聞いたわ」
「それは怖いね。あれが町に降りてくるなんて」
確かドンガルムはスターレベル2のモンスターだ。普通の人間が数人がかりでようやく対処できる。
けど獣人のような見た目のガルム種は力が強くて、分類の中でも強いモンスターという認識だ。あいつが町で暴れたなら、キュアノピカでは死人が出た可能性もある。
順番に入浴した後、早めに寝る準備をする。牧場の朝は早い。
フウカには空き部屋を自分の部屋として寝起きしてもらうことになった。突然連れて来てしまったフウカだけど、二人とも自然に受け入れてくれるからありがたい。
風呂から上がったフウカを、元々おじさんの部屋だった二階の空き部屋に案内し、おやすみを言って扉を閉めた。
その後隣の自室に入り、久しぶりに自分の寝台に寝転がった。
フウカとはずっと同じ部屋で寝ていたからこういう風に一人になるのは久し振りな気がする。
部屋の懐かしい板張り天井の模様を眺めて昼間のことを思い出す。今日はフウカに情けないところを見られてしまった。
次第に自己嫌悪に陥り始めたところで頭を振り払い、そのことはもう忘れて寝支度をすることにした。
「まだ起きてる?」
部屋の扉ごしにアメリア姉ちゃんの声がする。
「うん」
体を起こして寝台横に足を下ろして座る。扉を開けて姉ちゃんが入ってきた。
「どうしたの?」
「もう少しなーくんと話したくてね」
姉ちゃんは俺の隣に並んで座った。
「中央は大変だったでしょ」
「うん、いろんなものが忙しなく動いてて、クレッカとは大違いだった。……ここはのんびりしてていいよ」
「仕事、どうだったの?」
「結構頑張ってたつもり」
「そっかあ。なーくんは頑張り屋さんだものね。えらい、えらい」
そう言って俺の頭を撫でようとするので、軽く身を捩ってその手を躱す。
「姉ちゃん、俺もう子供じゃないよ」
風呂上がりの姉ちゃんからは少しいい匂いがした。優しく陽のあたる草原のような香りでちょっとだけ安心する。
「……ずっと、うちにいてもいいんだよ。お姉ちゃん、なーくんが帰って来てくれてすごく嬉しいもの。お母さんと二人だけだとやっぱり寂しいから。また昔みたいに牧場を手伝ってよ」
「ありがとう姉ちゃん。でも俺は諦めたわけじゃない。フウカの家も探してやりたいし……、次の船でまたガストロップスに渡ろうと思ってるんだ」
「そう……なんだ」
部屋に沈黙が降りた。開いた窓からほのかな夜風に乗って、ほぅほぅと夜鳥の鳴く声が聞こえて来る。
「……長旅で疲れてるものね。今日はゆっくりおやすみなさい」
「うん。おやすみ」
やっぱり姉ちゃんは優しい。その優しさに酬いるためにも、明日からは牧場の仕事を手伝おう。
姉ちゃんが出て行った後そう思って立ち上がり窓を閉め、寝台に横たわって目を閉じた。




