第314話 上陸
日が暮れるまで特訓に明け暮れ、街の大衆食堂で晩飯を食べて皆で宿に戻った。
俺は満腹感を和らげようと、一人賑わう夜の大通りに繰り出していた。陽が落ちても喧騒鳴り止まぬ通りを東へ向かう。やがて通りの喧噪が途切れた先、リビア湖の岸辺へと辿り着いた。
広い砂浜に転がった流木に腰掛け、彼方に月の影となって浮かび上がる火龍山脈を見上げた。
空に浮かぶいくつもの月が湖面に反射し、夜だというのに辺りはそれなりに明るく感じる。岸辺には人影もなく、静かに打ち寄せる波の音だけが響いていた。エグレッタの騒がしさもここまで来るとあまり気にならない。
ぼんやりと岸部から夜景を眺めていると、後ろから誰かがやってきた。
「ナトリも食後の散歩?」
「フウカ」
彼女も宿を出てここまでやって来たようだ。
「あんまり一人で出歩かない方がいい。この辺り乱暴な連中ばっかりなんだからさ」
「あは。そうだね、気を付ける」
フウカは人並み以上に強いとはいえ、やっぱり女の子一人というのは不安なもんだ。
「綺麗なところだよね。狩人の聖地がこんなに綺麗だなんて思わなかった」
「俺もびっくりだ。海は碧くて透き通ってるし、水中のコラールは色鮮やかで綺麗だし」
「うん、気に入っちゃったかも」
なるほど、フウカはこういう南部の派手な感じが好きなのか。
俺たちは二人して、しばらくリビア湖の幻想的な夜景に見とれた。ふと思い立ち、おもむろに周囲を窺う。
『グルーミィの淡雪の恋人のことがあるから警戒するのもわかるけど、周囲に人影はない』
『そうか……』
もしかしたらグルーミィの分身体が俺たちの事を監視しているかもれない。大事な話をする時は気を使う。
幸いここは見通しのいい砂浜だし、小さな物音は波音で掻き消されて拾えないだろう。
「フウカ、今浜辺に俺たち以外の気配はないよね?」
「え、……うん、私たち以外に誰もいないと思うけど。どうかしたの」
水平線を見つめ、考える。
実のところ、ルーナリアでアンティカーネン教授と遭遇したことをフウカに話そうかずっと迷っていた。エンゲルスのこともある。あまり多くの人間にこの情報を伝えるのは得策じゃないと思うけど……。
それでもフウカにとっては他人じゃない。育ての親の話なのだ。彼女自身教授のことはかなり気になっているみたいだし、フウカにだけは言うべきなんじゃないか。
「みんなには言ってなかったことなんだけど、やっぱりフウカは知っておくべきだ。大事な話だ、聞いてくれる?」
フウカに向き直って話を切り出す。俺の真剣味が伝わったのか、彼女は黙って頷いた。少々時間はかかったが、フウカには順を追って話をした。
ルーナリア学園都市の図書館で、サンドリア・アンティカーネン教授が接触してきたこと。
フウカの実の父であるらしいレクザール・オライドスという人物のこと。
レクザールはスカイリアを手にするため、エンゲルスを使い盟約の印を集めさせていること。
そして、エル・シャーデが虚構の迷宮アルカトラの深部に眠っているらしいこと。
フウカが神兵として、戦うために生み出されたことだけは言えなかった……。今伏せたとしても、全ての記憶が戻った時にフウカはそのことを思い出すだろうか。
俺の話の全てを聞き終わったフウカは、じっと前を向いて波打ち際を見つめていた。
「よかった……、サンドラ、元気なんだね」
「フウカのことすごく心配してたよ」
「そっか」
「会いたい?」
「うん。何故だか私のお父さんだっていう人よりも、サンドラの方が会いたいな」
「父親のことは何か思い出した?」
フウカは静かに首を横に振る。
「エンゲルスを操ってるのがお父さんだったなんて……」
彼女にとってはショックな事実だ。けど、この先きっと知らないままでは危険過ぎる。
「レクザールって男が何を考えてるのか、正直よくわからない。でも、いずれ俺たちの手にある盟約の印を狙ってくるはず。スカイリアとやらを手に入れるために必要なものらしいからな」
「戦うことに……、なるのかな」
「もし、レクザールがフウカやみんなを傷つけようとするなら、俺は容赦しない。たとえフウカの父親だとしても」
「……ありがとう、ナトリ。ナトリはいつも私やみんなのことを気にかけてくれるよね」
「怖いのさ、大事なものを失うことが……」
「私はナトリのそういうところが好きだよ。サンドラのこと、話してくれてありがとね」
不安なことはたくさんある。それでも俺たちは光輝の迷宮を切り抜け、こうして二人でここににいられている。だったらこの先だって、きっと。
隣に腰掛けるフウカが距離を詰めてきた。フウカの細身の身体が俺にぴったりと寄り添い、肩に彼女の頭が預けられる。頬にフウカのお日様のような色と匂いの髪が当たり、鼻先をくすぐる。
「光輝の迷宮から戻って、また記憶が戻ったでしょ?」
「ああ」
「昔の自分を知りたいって気持ちは変わらないんだけど、少しだけ怖いんだ」
「怖い?」
「うん……」
フウカの頭が少しだけ傾きを変える。
「記憶が戻る度、この不安はちょっとずつ増してる気がする。過去の私がどんな人間だったのかを知るのが怖いのか、それとも……」
フウカは途中で言葉を切ると、俺の腕に自分の細腕を絡める。
「私の記憶が戻っても、ナトリは私と一緒にいてくれる?」
「そんなの当たり前だ。記憶が戻ったって約束がなくなるわけじゃない」
「そっか……、ありがと」
頭をこちらに預けたままフウカは笑う。その笑顔に、でも俺は少しだけ違和感を覚えた。
最近フウカはこんな風に静かに笑うことが増えたように思える。ちょっと前の彼女は……、屈託のない純粋な笑みが多かった。
少しずつ、変わっていってるのかも知れない。それはきっと良いことだ。良いことの……はずだ。
そうして二人で身を寄せ合い、お互いの体温を感じていると、親密な気持ちが湧き上がり心が安らいでいくような気がした。彼女の息遣いをとても身近に感じる。
なんだかいい雰囲気だ。
すぐ近くにあるフウカの薄紅色の瞳と視線が交差する。少しだけ朱に染まったフウカの頬が持ち上がり、彼女の艶やかな唇が————。
「ごめん」
胸の高鳴りを抑えつつ僅かに顔を逸らし前を向く。
「うん、ちゃんと分かってるよ」
「まだ自分の中で答えが出せないんだ。ごめんな、優柔不断でさ」
「私はずっと待ってるから大丈夫。キミはずっと側にいてくれるんでしょ?」
「ああ、そうだな」
二人並んでリビア湖の彼方に浮かぶ火龍山脈を見上げた。
「装備が出来上がったらいよいよ火龍山脈だ。頑張ろう」
「うん」
§
耐熱装備が仕上がるまでの間、俺たちは翌日からリビア湖での狩りと各々の特訓を交互にこなす日々を送った。
少々危険ではあるが、引き続きミノール水域でモンスターを討伐した。多くのレベル3モンスターが襲い掛かってきたが、俺たちはユニットの人数を活かし、馴れない水中戦ながらも比較的堅実に渡り合う事ができていた。
訓練日には引き続きエレメントブリンガーの制御訓練だ。リベルと刻印式を用いた制御法について検討し、なるべくシンプルに、複雑になりすぎない運用方法を模索する。
そんなこんなで六日が過ぎ、出来上がったら耐熱装備を受け取った俺たちは一日の休息日を設け、ついに火龍山脈へと向かう日がやってきた。
今日は皆戦闘用の装備を身につけてリビア湖の砂浜に立っていた。
「みんな、パームネックレスはちゃんと装備したな?」
「もちろんです」
「バッチリっすよ」
「よし、じゃあ行こうか」
湖へ押し出した舟に全員が乗り込むと、リベリオンを抜きアクアクリミナルを発動させて水中に強烈な流れを生み出す。舟は一気に速度を上げ、湖面を軽快に滑り始めた。
「ナトリくん、舟を動かすの上手になりましたね」
「うんうん。大分危なげない感じになってきたわねぇ」
「色々試行錯誤してるけど、つかめて来た気がするんだ」
リビア湖はかなりの広さがある。普通に舟を漕ぐと山脈の麓に辿り着くのに丸一日かかるそうなので、これでも結構飛ばしている方だ。
にも関わらず、頭の中に思い浮かべた回転と放出を示す刻印回路に数値を設定し、それをリベルに維持してもらう事で、俺自身はもう鼻歌を歌いながらでも船を操舵できる余裕っぷりだ。
「この速さなら昼頃に到着できそうですね」
「こんだけ速けりゃモンスター共も追いつけんやろ。楽でええな」
エグレッタから火龍山脈まではそもそも遠いし、山脈に到達してからも山頂までの道のりは長い。今回は様子見を兼ねてレベル4モンスターの討伐も目標にしている。野営しながら三日ほど滞在する予定だ。
「へっ、どんな強えモンスターが出てくんのか、今から楽しみなんだぜ」
「私は今から恐ろしいわよ……」
「ご主人様の友人である皆様は、ニムエがお守りしますのでご安心を」
「頼りにしています、ニムエさん」
風を受けてリビア湖を快走していた舟は、朝早くにエグレッタを出発し昼ごろには山脈の麓に辿り着いた。かなりの速度で飛ばして来たが本当に結構な距離があった。リビア湖はおよそ400キールもある広大な湖だから当然なんだけど。
「あれがエグレッタ側の麓か」
火龍山脈の麓は、以外にも緑が多く密林のような様相を呈していた。多分上に行けばいくほど山岳地形へと変じていくんだろうが、下層にはかなりの木々が生い茂っているように見える。
「耐熱装備を付けているはずなのに、もう熱いですね……」
「こりゃ装備なしじゃ入れないわけだなぁ。麓でこれじゃ、先が思いやられるっすね」
まだ上陸もしてないのに、皆既に熱さを感じ始めているようだ。俺は相変わらず涼しささえ感じるのだが、それは俺の持っているラグナ・アケルナルの水龍玉が耐熱装備であるパームネックレスの最上位互換だからだろう。
「ナトリの側涼し〜」
「あ、おい」
フウカはこれ幸いとばかりに俺にくっついて涼もうとする。左側に座っていたリッカも心なしか距離が近くなっていた。
「熱さに耐えられなくなったら言ってくれ。水龍玉とパームネックレスを交換するからさ」
「ありがとうございます、ナトリさん」
俺とニムエ以外は全員耐熱ネックレスを装備している。ちなみにニムエはフィルリアクターに装填された燃料エアリアの持つ属性を、周囲に拡散させることが可能な機能『波導領域「水」』を使い、周囲の熱を中和することもできるのだが、燃料効率が悪く消耗が激しいため長時間の使用には向かない。ニムエの行動も制限されてしまうため、アルベールの分もしっかりと耐熱装備を作製している。
舟を操舵し、森に囲まれた入り江となっている砂浜へ舟を進めていく。岸辺に近づくと、砂浜にはいくつかの舟が打ち上げられているのが見えてきた。
「他の人達が乗ってきた舟みたいね。見て、狩人がいるわよ」
確かに木陰に腰を下ろした狩人の姿がちらほらと見える。多分舟番だろう。ここまで乗ってきた舟が流されたり、モンスターに破壊されたりしたらエグレッタに帰る手段がなくなる。退屈そうにも見えるがかなり重要な役目なのだろう。
柔らかい白砂に舟の舳先が食い込み、舟はゆっくり停止した。全員が上陸を済ませると、リッカが星空の乙女の術で舟を小さくする段取りに入る。
作業を見守り、リッカが極小サイズとなった舟を柔らかいを布に包んで鞄に仕舞い込むと、俺たちは砂浜の出口に向かって歩き始める。
「なーんやもの言いたげな視線を感じるのォ」
「取り決めみたいなものでもあるんじゃないかしら。舟番同士で協力して舟を守るとか」
「そんなら俺らには関係ねぇんだぜ。舟持ってきてるしよ。ははっ」
俺たちは視線を感じつつも砂浜を抜け、森の中へ続く道の入り口に立った。
「ついに火龍山脈まで来たね」
「ああ。みんな、ここからが高レベルモンスターが闊歩する危険地帯、火龍山脈だ。油断するなよ」
それぞれの顔を見回して皆の意志を確かめると、森の奥へ向かって一歩を踏み出した。




