第31話 クレッカ
もし東部以外の地域でクレッカの事を知っている人物に出会ったら俺は驚くだろう。
俺の故郷クレッカの知名度はそんなものだった。
なにしろイストミルでも南部寄りの辺境にしてド田舎。
外部からの定期船は週に一度。
オリジヴォーラのように流通が盛んだとかいうこともなく、普通わざわざ数日かけて行く用事は存在しない。
俺はクレッカが嫌いだった。閉鎖的で迷信深い住民たちの間に俺の居場所はどこにもなかったからだ。
小さな土地だ。彼らと関わることなく生きていくことなど出来ない。
そのせいで何度苦汁を舐めさせられた事か。
俺が広い外の世界に憧れたのも当然だった。
できる事なら戻りたくはない。だけど、何より大切な俺の家族もまたこの島で暮らしているのだから仕方がない。
二日前、フウカと共にオリジヴォーラで小型の定期浮遊船に乗り込んで東部の島々を巡ってきた。
今日の正午過ぎになってようやく雲の合間に見えて来たクレッカの頼りない島影を俺とフウカは船縁の手すりにもたれて眺めていた。
島が大きくなるにつれて気分は落ち込む。
オリジヴォーラの港に近づいていくときの晴れやかな気分とは全然違った。
その小さな島は、俺には陰鬱な影を落とす流刑の地のようにしか見えなかった。
§
頼りない小型浮遊船はたった一つだけ短めの埠頭が突き出した小さな港に接舷し固定された。
俺たちの他にここで乗降する者はおらず、タラップも出されない。
フウカは荷物を抱えたままふわりと飛んで石造りの埠頭に着地したが、俺はおっかなびっくりしながら意を決して甲板を蹴った。
着地の際に荷物の重みで足首を痛めたが転落は免れた。
陰気なネコの船員は俺たちが降りたのを見届けると奥へ引っ込んで、浮遊船はすぐに港を離れて小さくなっていった。
俺たちは乗客せいぜい十人程度の小型浮遊船の姿が雲間に消えるまで埠頭に突っ立っていた。
港から町へ続く道を振り返る。
「……変わってないな」
半年前とまるで変わらない風景に僅かな懐かしさと痛みを胸のうちに覚える。
隣に立つフウカはそんな俺の想いは知らず、やはりキョロキョロと物珍しそうに周りを見回していた。
「ここがナトリの育ったとこなんだ」
「うん。ここが東部の辺境クレッカだ。さ、行こう。家まで四刻くらいは歩かなきゃならない。あまりのんびりしてると日が暮れる」
俺たちは埠頭と小さな納屋があるだけの粗末な港を出て、少し傾斜のある草原の道を町の方へ歩き出した。
クレッカには町が二つしかない。俺たちの降りた港側に一つ。草原を越えた反対側にもう一つ。
俺の実家は二つの町のおおよそ中間、クレッカ中央草原の山岳地帯の麓にあった。
何故そんな町外れに家があるのかと言えば、ランドウォーカー家の稼業は牧場だからだ。
昼間町の住人は畑や森などに仕事に出ている。フウカと早足に町の通りを歩く。
土壁の民家の玄関扉の横に椅子を出して座る老婆の姿があった。
ピピルクばあさんだ。うたた寝しているように見えたので、さっさと通り過ぎようと早足でその前を通る。
「忌み子。ドドが帰って来たよ」
寝ているのかと思われたババアは片目だけを開いて、そのしわくちゃの顔に眼をぎらぎらと輝かせてこちらを睨んでいた。
起きてやがったか。留まってギャアギャア騒ぎ立てたてられるのも嫌だったので俺は何も言わずにそのまま歩き去った。
まったくいやだよドドは。挨拶もしやがらんわい、などとぶつくさ文句を垂れているのが去り際に聞こえた。
早足の俺を追うようにフウカが付いて来て、俺の顔を覗き込んだ。
「ドドって?」
「俺のことだよ。空の加護がない奴はそう呼ばれてる。嫌われ者なんだ」
「嫌われ者……?」
ピピルクばあさんに見られたら今日の夜には俺が帰って来たことは町中の人間の知るところだろう。
あの人は噂好きで有名で、暇さえあればあることないこと言いふらして回っている。
「おい、ナトリだ」
古い民家の並ぶ通りに人影はないと思っていたが屋根の上から声が降って来た。
「本当だ。もう帰って来たのかよォ」
気づかぬ振りで行き過ぎようとしたが無理だった。声の主は屋根の上から跳ぶと、俺とフウカの進む道の先に降り立った。
運が悪すぎる。会いたくない奴にことごとく会ってしまう。
こいつらはその中でも最も顔を見たくなかった連中だった。
「おい無視かよ。アイサツもなしか」
「…………」
「ちょっと見ない間にえれえ態度がでかくなったじゃねーの」
「……イヴァ」
「イヴァ”様”だろうが。ドドの分際で人間様と同格のつもりか?」
背中に嫌な汗が噴き出してくる。
吐き気のするような思い出が蘇り、気分が悪くなる。
イヴァの隣に立つ身長の低いネコ、コビィが口を挟む。
「イヴァ、こいつ生意気に女連れてやがるぜェ。中央で買ってきたのかァ?」
「……がう」
「あァ、あんだってェ? どーせもう仕事クビになってよォ。最後に女でも買って逃げ帰って来たんだろ? ケケッ」
「……違う。フウカは、そんなんじゃ……」
イヴァが地面を蹴って目にも止まらぬ速さで距離を詰めて来た。
来るのが分かっていても逃げられる筈もない。奴の拳をもろに腹に受け、思わず地面に両膝をついた。
「うっ……!」
「ナトリっ!」
「弱ぇのも相変わらずだな。一度くらい避けてみろっつの。まあできねえよなお前には」
「ったく、よーやくコイツが島から出てってせいせいしたってのによォ。どーせ外でも相手にされねーでママとねーちゃんに慰めてもらいに戻ってきたんだろォ?」
「…………」
起き上がって立ち塞がる二人を見る。だが何もできない。反抗しても無駄だってことを、俺は身体で覚えてしまっている。
「……そのカオ、気に食わねぇ。てめーは昔からそうだ。この半年分まとめて教育してやる」
「やめてよっ!」
フウカが俺の前に立ちふさがった。
「おいおいおいィ! コイツ女に庇われてるぜェ! ねーちゃんの次は年下かよォ。だっせェなあ!」
コビィが腹を抱えて笑いだした。顔は見えないが、フウカが怒っているだろうことはなんとなくわかる。
「フウカ! 手は出さないでくれ」
「でもっ!」
「……大丈夫だから。王都で刺された時の方が、数倍痛い」
「ナトリ、てめー……」
「おい、お前達何してる」
振り向くと精悍な体つきをした中年の男が俺たちを睨んでいた。確か町の自警団に入っていた男だ。騒ぎを聞きつけてやってきたのかもしれない。
「ナトリ、帰って来たのか。……ホラ、お前らサボってないでさっさと仕事に戻れ」
「ちっ、……気に食わねぇ。今度俺の前に現れたらこんなもんじゃ済まさねえ。いくぞコビィ」
二人が通りを歩き去って行くのを見届けると彼は俺に向き直る。
「……お前も行け。そして町には近付くな」
それだけいうと二人の後を追うように去って行く。
「ナトリ、怪我してない?」
「ありがとう、大丈夫だから」
俺たちは言葉少なに通りを歩き町外れへ向かった。
あまりおしゃべりしたい気分ではなかった。
フウカは肩を怒らせて歩き、明らかに怒っていたし、俺は情けなさでいたたまれなかった。
町を出ると草原に入った。青々とした若草の生える草原が続いている。
ここからは道の片側に沿って低い石塁が築かれており、緩くカーブする道が丘を越えて延々と続く風景が繰り返される。
俺たちは黙々と石塁に沿って道を歩く。
丘陵に沿って雲が流れ、緩やかに吹き抜ける風がフウカの髪を浮かせる。
真昼の太陽が照らす遠くまで続く新緑の草原はひたすらに爽やかで、草原に覆いかぶさる雲があちこちをゆっくりと流れて行く。
しばらくして隣のフウカを見やると、もうさっきのように怒ってはいないようだった。むしろ、どこか悲しげに沈んだ顔をしている。
「ひどいよ」
「……ん」
「町の人たちは、ひどいよ」
そう言うとフウカはふと道の真ん中で歩みを止めた。
上空を流れる雲が俺たち二人に陰を落とす。
立ち止まって彼女を振り返る。俯いたフウカは、悲しそうな目をして俺を見ていた。
「ナトリ、なんにも悪いことしてないじゃない」
「……ごめん」
「キミが謝る理由なんてないよっ!」
「……うん、そうだね」
「あの人達はどうしてあんなひどいことができるの?」
「俺が欠陥品だからさ」
「私にはわからないよ」
「人間は、自分と違う異質なモノを怖がり、排除したがるんだ。それは俺も同じさ。……俺だって、普通の人たちを怖いと思う時がある」
フウカは俺の言葉を聞いて目を見開き息を呑んだ。
「じゃあナトリは、私のことも……」
フウカの言葉は萎むように途中で行き場を失い、消えた。
どこか辛さの垣間見える表情で、道端の石塁へと視線を逸らす。
フウカは純粋だ。俺が意味不明な悪感情を住民達にぶつけられることに納得がいかないんだと思う。
けどそれは俺からすれば普通のことだ。
世の中とはそういうものだし、不条理で不公平だ。
記憶を失ったフウカには厳しい現実かもしれないけど、いずれ彼女もそれを受け入れなくてはいけない時がくるだろう。
そのことを思うと少し悲しくなった。
「さっきはありがとう。庇おうとしてくれたんだよね」
「……うん」
俺にはそれだけしか言えなかった。
同じように姉ちゃんに守られていた頃から何も変わってない。
――やっぱり俺は、この場所が嫌いだ。
※誤字報告感謝です!