第306話 グランディス大陸
西部地域を離れ、南部を目指す旅が始まり、早くも一週間が経とうとしていた。
南西部のいくつかの地を経由し、船を乗り換えながら俺たちは”狩人の聖地”と呼ばれる火龍山脈を目指す。火龍山脈はスカイフォール南部地方、トッコ=ルルのグランディス大陸という場所にあるそうだ。
船旅は順調そのもので、時化やモンスターや空賊団の襲撃もなし、実に穏やかな空模様だった。暇を持て余した俺はなんとはなしに船外通路に出て、どこまでも続く青空を眺めていた。
『リベル』
『なんだ?』
『シャドウ・イーターのことなんだけど』
『使用は控えたほうがいい。戦力としてはアテにしない方がいいぞ』
『だよなぁ……』
シャドウ・イーター。色々と使えるようになったリベルの力の中でも特異な能力。あの使用感覚、とても忘れられるものじゃない。
体内に蓄積された魔力を消費して爪のような武装を生み出し、意のままに操る。
シャドウ・イーターの特異性は、接触した対象の魔力を削り取り我が物にできるところにあり、つまり対厄災やゲーティアーに特化している。
敵の力を削りながら自らの能力を高めることができるわけだ。しかも体感、身体能力の全てが底上げされる。色欲の厄災マモンとの戦闘では、奴のスピードを完全に上回るまでに強化されていたと思う。
だけど普通の能力と違って、明らかに体に悪影響を及ぼしていることもわかっている。まるで自分の存在が闇に染まっていくような、何かに浸食されていくような嫌な感じだ。
『マスターの体内には、いまだに厄災から奪った膨大な魔力が残留している』
自分ではあまり意識できないが、そんなに巨大な力がよく俺のようなちっぽけな存在の中にすっかり収まっているものだ。
『別に不思議じゃない。魔力って物質の性質はとにかくわけわかんないし、現にリッカだって色欲の厄災をまるごと内側に抱えているからね』
『たしかにな。まてよ、そう考えると俺はリッカと同じような状態になったわけ?』
『いや、リッカはアスモデウスと互いの存在同士が拮抗、もしくは融合している状態だけど、マスターの場合はその力だけ奪い取ったから全然違う』
到底人間に扱えるような力に思えない。出来る限り使用は避け、どうにもならない時の最後の切り札……とでも思っとくしかないか。
『使わざるを得ないような状況に陥ることは避けたいけどね』
『そのために、俺たちは火龍山脈を目指すんだ』
これに頼らずとも戦えるくらい強くなるために。あとは今まであまり意識してこなかった装備の充実。これも大きな目的にしたい。
俺たちはスターレベル4でも討伐できるくらいの実力を付けてきたつもりだ。この際、レベル4を狩って新しい星骸装備を作成し、ジェネシス全体の強化を図る狙いもある。
「おおナトリ。どしたこんなトコで」
これからの指針について思いを馳せていると、クレイルが通りかかった。
「ちょっと考え事してたんだ。クレイルは鍛錬の休憩か?」
「おう。甲板行こうや。他にも誰かしらおるやろ」
連れ立って通路を歩き、浮遊船甲板に出る。青空の下に置かれたテーブルにはアルベールが座り、側に付き従うようにしてニムエが立っていた。
「アニキ、クレイルさん」
「よう」
ニムエは上半身を折り曲げ、本職メイド顔負けの作法を見せる。なんか、前にもましてアルベールの使用人然としてきたような。
俺たちはテーブルを囲み、とりとめのない雑談を始める。途中で俺たちに同行するエルマーも加わった。
「アルはニムエをパワーアップさせたいって言ってたけど、クレイルは具体的にどう強くなりたいかとかってあるのか?」
「俺はとりあえず新術の考案やな」
クレイルがアンフェール大学にいる時に編み出した疑似生命波導術、焔狼主は迷宮で大活躍だったからな。盟約の印にはまだ隠された力が眠っているに違いない。
「あとはマモンとの戦闘で見えた課題として、継戦能力か。これはなかなか難しいとこやが、どうにかせんとな」
クレイルは厄災マモンを煉気不足で詰め切れず、敗北したことを気にしているようだ。
「煉気を増やす方法っすか……。うーん」
「そういう星骸があるって話は聞いたことある」
「それほんまか?」
「ああ。何せ星骸の能力は多岐に渡るからな」
「そろそろ俺っちも欲しいぜ。星骸」
「憧れるっすよね。良質なレベル4の星骸素材が手に入れば、みんなの刻印武器も作りたいんすけど」
「アルベール、武器作れんのかよ?」
「さすがに一人じゃ無理っすけど、鍛治師と協力すればできるかもしれないすねぇ」
「そうか、そういうのも目指していきたいよな」
装備の拡充、夢が広がるぞ。
「そういやアニキ、エイヴス王国の王子様は国に帰ったんすか?」
「レロイのことか。うん。本人は付いてきたがってたけどな……」
ルーナリアでは留学という名目があったけど、第六王子とはいえ、王家の人間ではそこまで自由に出歩けない。レイトローズは迷宮から生還した後、共にルーナリアに来ていたアールグレイ公爵にこってりと絞られたようだ。
レイトローズが迷宮にいる間、公爵は気が気でなかったろう。王子が万が一帰らぬ人にでもなれば、一緒に行動していたクリィムの責任問題になってもおかしくない。帰るなり彼女に泣きつかれて、そのままエイヴス王国へと公爵の懇願により連行されていったようだ。
「王子様も色々大変そっすねー……」
「おめぇさんも皇族だろが」
「なんか、ジェネシスって身分の高い奴ばっかり集まるんだよなぁ」
「俺とナトリもルーナリアで叙勲して一応貴族扱いやしな」
「ていうかアル、お前家出同然に出てきてるけど大丈夫なのか?」
「『双尾織』はしばらく見ないでくださいよ。ルーナリア皇主から問合せ来そうだし……」
もしかしたら既に皇家からアルベールの行方についての問い合わせが来ているかもしれない。それ対応するの俺なんだけど。
「この前はあっさり受け入れたけどよ、本当によかったんか?」
「ナトリ達がやってるのは遊びじゃねぇんだぜ」
「わかってるっすよ。でも、俺は色んなことをアニキ達にしてもらったからさ……。だから、ちょっとでもその恩を返したいなって」
「それはありがたいけど」
「それに、グルーミィさん達エンゲルスはオレのことも狙ってんすよね? だったらアニキ達と行動してた方がまだ安心かなって」
「エンゲルス襲撃の際は、ニムエがご主人様をお守りしますのでご安心を」
クールに言い放つニムエだが、頼れるのは確か。アルベールは盟約の印の継承者だ。またあいつらが刻印を狙って襲って来てもおかしくはない。皇宮にいるのと、俺たちといるのと、どっちが安全なのか……。それでも俺たちについて行くという彼の意志は固いようだった。
新たな同行者としてアルベール、ニムエ、エルマーを加えた俺たちの賑やかな旅はその後も続き、浮遊船はようやく南部地域へと入った。
トッコ=ルルの特徴は、やはり気温が高いことだろう。南の空を進むにつれ、明らかに気温が上昇していくのがわかる。比較的冷涼な気候だったルーナルアから来た俺たちは、上着を脱いで薄着となって旅を続けた。
そして二十日余りの移動を経て、俺たちはついにグランディス大陸へと到達した。
少々内陸へ入った場所に中規模のカヌスという街があり、船はそこへ降りた。プリヴェーラほどの大都市ではないが、非常に活気ある街で多くの商人や、とりわけ狩人と見受けられる装備を固めた者達が行き来している。
浮遊船発着駅の職員に訪ねたところ、火龍山脈へ行くためには、ここから更に船で河川を上って内陸に向かうのがいいという。
街中を彷徨いていると船着き場はすぐに見つかった。丁度船が出るタイミングだったので、急いで船代を支払って乗り込む。
「日が落ちる前には着くみたいだ」
「すぐに宿を探さないといけませんね」
備え付けられた簡易な腰掛けに背中を預け、俺たちは向かい合わせに座り広い船室の一角に陣取った。川を上流目指してのぼっていく機械船だが、そこまで大きな船じゃない。個室などはなく、船室内には雑多な人種が乗り込んでいるのが見てとれた。装備や立ち居振る舞いからして、ほとんどが狩人だろう。
「近づいてくると、なかなか大きいね」
「うん。あの頂上に迷宮があるみたい」
手すりから身を乗り出し、進行方向を見上げるフウカとリッカ。彼女達が見上げているのは火龍山脈だ。グランディス大陸に近づき、その威容が見えた時は驚いたものだ。
大陸中央付近から土地が大きく隆起して、二重の螺旋を描くように二つの浮遊山脈が上空へと伸びている。二つの山脈がかち合う頂点には巨大な浮遊火山が存在しており、火口からは黒煙が朦々と吹き上がっている。
話に聞いていた通りだ。南部の迷宮『凶星エンシェントカーネル』は、あの火龍山脈の頂点に位置する大火山の火口に沈んでいるのだという。そして火口には火の魔龍が棲む。
「迷宮までの道のりは、なかなかに険しそうだ」
「あそこまで、登らなきゃいけないってことよね……」
「こりゃあ腕が鳴るぜ」
あそこで俺たちを待ち受けるであろう試練を見据えるかのように、決意を新たに山脈を見上げる。
「誰も失わせないくらい強くなってやろう。絶対に」