第301話 新しい朝
何故生きている? 何故笑っている? 何故楽しそうにしている?
――何故? 何故? 何故?
憎い。
人が、憎い。世界が、憎い。全てが、憎い。
全部、全部全部消えて、なくなれ。
♢♢♢
「はっ?! ……はっ、はぁ」
目を覚ますと全身に汗をかいていた。
何か嫌な夢だ。身体から噴き出した黒い影に飲み込まれ、ありったけの負の感情が俺の中に入り込んでくる、そんな感触。
煮詰められ、ドロドロに凝り固まった感情は窒息しそうなほどに濃い密度だ。
『大丈夫か、マスター?』
『これってやっぱシャドウ・イーターのせいなのかな』
厄災からあれだけの魔力を吸い取ったんだ。冷静に考えると影響がない方がおかしい気がする。
『マスターの体内には、確かに大量の魔力が残留してるね。普通の人間がそんなものを浴びたらとっくに発狂してると思う。……だから、本当はシャドウ・イーターを使って欲しくなかった。マスターはドドだから辛うじて正気を保てているのかもしれないけどさ』
身に余る力は己を滅ぼすのか。リベルや俺の体質のおかげで抑え込めているけど、いつか俺自身が厄災になってしまうとかいうのはやめてほしい。
『魔力って……何なんだろう。あのマモンの力が全部俺の中にあるなんて、普段はそこまで感じないもんだけど』
『影の軍勢が生み出す未知のエネルギー。摩訶不思議な力としかいえないよ』
以前アールグレイ公爵が言っていたように、奴らはそれを何倍にも増幅させて魔法としている。
だがその力の源泉はなんだ? スカイフォールにはない。奴らの言う、「イリス」とかいう場所のことか?
『量は問題じゃないのかもしれない。おそらく単純な"量"とか"空間"で計れるモノじゃない』
『やっぱりよくわからんな』
シャドウ・イーターが魔力を溜め込むのだとしても、飲み込まれたくはないな。
上のベッドからはクレイルの寝息が聞こえてくる。
寮の窓から見える外はまだ暗い。俺は身体を震わせ、毛布を被って再び眠りについた。
§
大きな物音で目が覚めた。何やら部屋の中が騒々しい。
「君たち〜? お疲れのところ悪いんだけど伝言聞いてくれない?」
「はぁ……」
のそりと寝台の上に体を起こすと、横から寮母さんが俺を覗き込んでいた。
ちょっとアリスさんに雰囲気が似ているネコのおばちゃんだ。どうやらドアを叩いても俺たちが起きないからそのまま入ってきたらしい。
ちなみにクレイルはまだ上で爆睡中のようだ。昨日はとにかく疲れたし……、俺達はほぼ死にかけたからな。
「おはよぅ……ござぃます」
「うん、おはよ」
半開きの目で挨拶すると朗らかに挨拶を返してくれた。今皇都ルーナリアは結構な騒動になってるはずだけど、この人のテンションの変化の無さはありがたい。
「さっき皇都警備隊の人がやって来て、迷宮からの帰還者に聞き取り調査をしたいから学校に来てくれってさ」
「分かりました」
それだけ伝えると寮母さんは部屋を出て行った。
既に日は高いようだ。
「ねむ……」
もう少し惰眠を貪ろうと体をベッドに沈めると、今度は窓が開いた。
「ナトリ、クレイル! おはよーっ」
「……おはよう」
フウカはこんな時でも寝覚めがいいようだ。
俺は男子寮に侵入してきたフウカに起こされ、腹いせにクレイルも起こしてやった。ついでに隣室のアルベールも起こし女子寮にいるみんなと合流すると、口数少なに動く歩道に乗って学校へと向かう。
「改めて見ると、この格好ちょっと恥ずかしいです……」
リッカの言うことは最もだ。何せ俺たちは一ヶ月も砂漠でサバイバルした直後。水術士の浄化で最低限の汚れは落としてもらっていたが、激しい戦闘に晒された者ほどボロボロになってくたびれている。
ダメージを負いまくった制服を来て街中を歩く一団は、ルーナリアの小奇麗な住民達からすればなかなか奇異に映るかもしれない。
学校に到着すると、エントランスに聞き取り調査に関する看板が立っていた。
ルーナリア軍皇都警備隊は今朝から大忙しだろうな。迷宮帰還者達の現状把握と聞き取り調査に加え、強欲の芽被害者の扱いにも困っている頃だ。
アンフェール大学は今日から後期の日程が始まるはずだが、どうやらその気配はない。何せ何百人という学生達が一度に姿を消し、戻って来たのだから。学園都市は大混乱、事態を受けて学期開始を延期するのもやむなしというもの。
俺達は大規模調査に協力すべく、指定の教室へと向かった。
§
「あのっ、ランドウォーカーさん!」
「はい?」
「ありがとうございましたっ!」
学内食堂に向かっていると女子学生の団体から声をかけられ、礼を言われた。
砂漠の拠点で見た覚えのある子がいた。黒波の襲撃から生き残れたのだろう。
食堂に入っていくと早速注文し、クレイルとアルベールのいるテーブルに向かった。
「二人とも早いな」
「おつかれっすアニキ」
二人とも目の前に盛られた山盛りの料理に夢中だ。
久しぶりにありつけたまともな食事。そのありがたみは俺もまさに実感しているところだ。
意識してみると食堂にはそれなりに人がいるはずなのに、妙な静けさがあった。きっとみんな食うのに夢中で話す余裕もないのだろう。
「今日学校に来てるのはほとんどが生還者みたいっす」
「そうだな、いろんなところで学生同士の再会っぽいのを見た」
「……生きて帰れなかったヤツも結構いるって話です」
迷宮の中でも、何人もの死体を目にした。わかってはいたけど、キツイな。
「本当に、大事件だったんだなぁ」
一ヶ月前、学園都市上空に出現した迷宮デザイア。迷宮の出現と時を同じくして、多数の学園都市の住民が姿を消した。
目撃者の証言により、失踪者達は迷宮から伸びた"根"によって連れ去られた、という認識自体は共有されたものの。場所が場所だけに救助も敵わず、都の者達は経過を見守ることしかできなかった。
迷宮デザイアからの生還者はこれまでゼロだった。二次遭難確実なので救助がないのも致し方ないことだろう。
一体どれほどの犠牲者が出たのか……。それはこれから徐々に明らかになることだろう。そのことを思うと気分が塞いでくるな。
「アニキ達は……、もうルーナリアから出ていっちまうんすか?」
「ま、当初から俺らの目的は厄災の討伐なわけやしな」
「そっか……。寂しくなるっすね」
「すぐにとはいかないけどな。今回は本当に疲れた……もう少し休みたい」
でも体を休めたら、次の迷宮のことを考えなければならない。……なかなかしんどいな。こんなことをあとどれだけ続けなくてはいけないのか。少なくとも今は忘れたい気分だ。
「オレ、アニキらの役に立てたのかな」
「……アル?」
「厄災はアニキたちが倒してくれたけど、オレはやられて、ニムエだって壊れちまって……」
「盟約の印がありゃあ、厄災ともやりあえると思っとったが……。それでもまだ甘い考えやったな」
厄災を倒し、俺たちは迷宮デザイアから生還した。しかし、それを素直に喜べるほど華々しい勝利というわけにはいかなかった。ユニット壊滅寸前、いや実際壊滅していた。
「俺だって同じさ。マモンに勝てたのはまぐれみたいなものだった」
大学講義外での修行中、偶然発現した『シャドウ・イーター』。明らかに危険そうというリベルの助言に従って封印していたこいつを開放しなければどうなっていたか。
口にはしなかったが、クレイルだって思っていると思う。今のままじゃ、この先命がいくつあっても足りないと。
「みなさん早いですね」
微妙に重苦しい空気を破るようにして、聞き取りを終えた女性陣がテーブルに加わる。
「ナトリくんは、どんなことを聞かれました?」
「わりと当たり障りのないことを。中の様子とか、どうやって生活してたか、とか」
「やっぱりそういう感じよね」
「?」
「やっぱりグルーミィはいないね」
「戻って来た直後、消えたみたいだからな」
結局取り逃してしまった。彼女の能力のおかげで迷宮脱出は叶ったようなものだが、肝心のエンゲルスという犯罪組織については十分な情報を吐かせたとはいえない。
隣に座ったフウカが妙に静かでいることに気がつく。
「どうしたフウカ。何か気になることでも?」
「……うん、まあ。みんなにも聞いてほしいんだけど」
「どうしたの? フウカちゃん」
「また記憶、戻ったみたいなんだよね」
「マジか」
「フウカさんの……記憶って?」
「そういえばアルには言ってなかったか」
アルベールに、フウカには一年前より昔の記憶がないことを説明する。
フウカの記憶が戻るのは、決まって迷宮に入って厄災と遭遇した後だった。
「で、今回は何を思い出したんや?」
「サンドラと王宮の屋敷で暮らしていた昔の記憶。それから……、実験の記憶」
「実験……ですか?」
「うん」
フウカの表情はどうにも優れない。あまりいい思い出じゃないのだろうか。
「私ね、昔王宮で何かの実験を受けてたの。すごい痛くて……、苦しいやつ。サンドラは、私がその実験を受けなくていいようにしてくれて、それで私はあの人と一緒に暮らすようになった」
「そうだったのか……」
フウカはまだ自分の父親、レクザール・オライドスという男の事を知らない。
以前奴の部下であったというサンドリア・アンティカーネン教授もおそらくその実験とやらの関係者だ。
フウカの記憶から推察するに実験の主導者はレクザールだ。娘を放っておいてその生死すら関知しない野郎なんだから、娘を対象に人体実験だって平気でやるだろう。
教授はレクザールの元部下でありながら現在は敵対しているようだし、きっとフウカの実験が原因で仲違いした……と。彼女がレクザールの手駒であるエンゲルスに追われていることからもまあ間違いない。
詳細は分からないが、そういう事情でフウカは教授に引き取られたわけか。
「色々なことを思い出したよ。主にサンドラとの暮らしをね。とっても優しくて、いい人なんだ。私のお母さんみたいな感じだね」
教授のことを話すフウカは穏やかに微笑み、当時の楽しかった思い出が甦ったことを感じさせる。
「そっか。よかったな。大切なもの、また取り戻せて」
「うん……、本当に。この記憶は私の宝物だから」
「フウカちゃん……」
「あ、それとね、これ見て」
そう言うとフウカは手のひらを差し出す。見ていると、そこに波導によって白い石が生成され、手のひらにぱらぱらと転がっていく。
「地の波導、使えるようになったみたいなの」
「…………」
これには皆が呆然とその光景を見るほかなかった。
「つまりフウカちゃん、二色使いから三色使いになったっちゅうことか?」
「そんなことってあるの?!」
「聞いた事ないっすけど……」
確かに、後天的に使える属性が増えるなんて謎過ぎるな。
「前から不思議だったんですが……、フウカさんはどうして厄災に出会うと記憶が戻ったり使える属性が増えたりするんでしょうか」
何らかの出来事がトリガーとなり、フウカの記憶の封印が部分的に解除されていることは確かだが。
「厄災じゃなくて、迷宮ってことはないの? 迷宮はどこも強力な地場を持ってるから、その影響とか」
「多分だけど、厄災と接触する事で記憶や感覚が戻ったりしてる気がする。波導についても、もしかしたら使えるのが増えてるんじゃなく、元々使えていたものが使えるようになったのかもね」
「…………」
これは、フウカの父親がしていた“実験”とやらと関係することなのか?
一体奴はフウカを使って何をしようとしていたのか。あまりいい感じはしないが。
フウカは記憶を取り戻す事を願っているが、それは本当に正しい事なのだろうか……。どうにも一抹の不安が拭えない。
アンティカーネンとの約束で、俺は彼女と会った事を口外できない。今は、フウカを見守ることしかできない。




