第294話 人型刻印兵機
「…………」
目前に横たわる、鋼鉄のボディを持った人型の機械をじっと見守る。オレの理解が正しければ、これできっと起動する。
普通の機械なら起動すれば騒々しい駆動音などが鳴り始めるだろうが、目の前のこれはそういった刻印機械とは一線を画す代物だ。その起動は実に静かに行われる。
ぱち、と瞼が開き、動力炉から供給されるフィルの輝きを示す青い光を宿した瞳が開かれる。一体どんな材質構成なのか、身体は金属なのに顔のパーツや質感は実際の肌のように妙に柔らかく、きめが細かい。
頭部、普通の人間であれば髪の毛が生えている部分に、フィルの供給を示す光のラインが流れ、そしてあろうことか実際に水色の髪の毛が生え、急激に伸び始める。
砂の上に広がるようにふぁさと広がった長髪は、遥か古代の遺物とは思えないほどに艶やかで実際の人間とまるで遜色のないものだった。
「か、髪が生えたぁ?! なんだこの機能……。でもすっげえや……!」
ヴァーミリオン先輩もオートマターに起きた変化に思わず立ち上がり、側へ駆け寄ってくる。
「ニムエ、起動」
オートマターの口から透き通るように硬質な声が発される。
「神経回路、正常値。視界深度を再設定中…………設定完了。フィルリアクター稼働確認、躯体出力36.8%……許容値、正常稼働中」
覗き込むように見下ろすオレに、『彼女』が青い瞳を合わせる。
「あ……。起動、できたのか……?」
「ラジエルの刻印を検知。所有者を再設定……、完了。ニムエに命令を、ご主人様」
「ご、ご主人様さま?!」
「…………」
先輩はオートマターの言葉に首を傾げる。
「え、と……、ご主人様って言った?」
「はい、ご主人様。なんなりと」
このオートマターはオレの事を自分の所有者だと認識してるらしい。そうか、……やっぱりコード:ラジエルにはオートマターを起動するための認証装置の役割もあるのか。
コイツに聞きたい事や、確かめたい事は山ほどある。でも今大事な事は一つだ。
「さっき、ニムエ……って言ったよな。戦えるか? 厄災と」
「はい。先程は損傷を受け一時機能停止に追い込まれましたが、戦闘継続に支障はありません」
ニムエの中では太古の厄災との戦いから完全に時が止まっているようだ。
「そっか……、なら」
隣に立つ先輩を見上げる。
「ヴァーミリオン先輩、オレたちも行きましょう、厄災の元へ」
「君は戦うんだな。そのオートマターと共に」
「そのつもりっす。アニキ達に任せて祈ってるだけなんて、オレは無理です」
「私の護衛はもう必要なさそうだ。行くといい」
「先輩は行かないんすか?」
先輩は少し寂しそうな顔で自嘲気味に呟く。
「私も彼等と共に戦いたいとは思うが、話を聞くに力にはなれそうになくてな」
「そうっすか……」
「だが、そのオートマターならば厄災とも渡り合えるのだろう? 頼むアルベール、不甲斐ない私の代わりに……」
「先輩は十分強いっすよ。みんな、これまでずっと先輩に助けられましたから」
先輩は少し目を閉じて首を振ると、決意の籠った瞳でオレを見る。
「拠点のことが少々気がかりだ。私は戻ろうと思う」
「……了解っす。お互い、生きてここを出ましょうね」
オートマターの再起動に成功したオレたちは、二手に分かれて行動を開始することに決めた。それぞれに、迫り来る刻限を見据えて。
♢
影の巨人と化した厄災マモンの巻き起こす砂嵐は、次第に激しさを増し、クレイルの呼び出した炎の霊獣も流砂の攻撃を捌ききれなくなってきていた。
俺とフウカはコアを破壊するため何度かアタックを試みたが、厄災の守りは堅く、易々と近寄れない。
戦況は膠着状態にあったが、いずれ均衡は崩れるであろうことは容易に想像できた。各々の煉気に依存する俺たちの力は有限だが、厄災は無限に近い魔力をその身に宿す。
「どうにかして……」
その時、嵐の中を猛然とこちらに向かって突き進んでくる青い光が見えた。それは俺たちの頭上で急停止すると、聞き馴染みのある声が降ってくる。
「アニキー! 加勢にきたっすよ!」
「アルっ?! なんでここに……、っていうか、なん……誰だ? その人」
アルベールは、何故か見知らぬ女性に抱えられた状態で浮遊していた。輝くような青い髪と目を持つその女性は、よく見ると体自体からフィルエネルギーを噴射して飛行しているようだった。
「こいつはオートマター、いや……、”対厄災・人型刻印兵機ニムエ”っす。オートマターを修理して再起動することに成功したっすよ!」
「マジかよ!」
二人が俺たちの近くに着地し、腕から解放されたアルベールが駆け寄ってくる。あのぶっ壊れたオートマターをアルベールが修理したのにも驚きだが、まさか再び起動するなんて。
「ご主人様、ニムエに命令を」
「ご主人様……? アル、お前……」
「アニキ、その手の文句は開発者に言ってください。俺の責任じゃないっす」
オートマターに早速ご主人様呼びをさせていることに少々引いたが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「……それは置いといて。頼むニムエ、アニキたちを助けつつ、厄災と戦うぞ」
「了解。命令を実行します」
「これ、本当に刻印機械なんですか……?」
「人間みたい……」
俺もびっくりだ。喋り方は少し特徴的だけど、普通に動いて自分で考え、喋っているようにみえる。
「————ニムエ、危ない!」
オートマターの背後から、クレイルの焔狼主の防御をすり抜けた黒い流砂が襲いかかる。
リッカが慌てて波導を行使しようとするが、動き出したニムエの動きは機敏だった。
彼女は地面を蹴って流砂に向かって軽く跳躍すると、空中でスラスターを噴射させながら、身体を捻るように回転させて鋭い回し蹴りを放つ。靡く青い長髪も相まってか、それは見惚れるほどに華麗な動作だった。
流砂に向けて放たれた蹴りは青い光を纏い、蹴りに付随して発生した衝撃波が完全に流砂を弾き、ただの砂塵へと帰す。
「すっごぃ……」
「エリアルアーツの達人みてェな動きやな」
「へへっ、これが対厄災刻印兵機であるニムエの兵装、『魔力中和障壁』っすよ」
「ようわからんけど、厄災と戦えるってことでええんか?」
「その通りっす!」
「そうか、それなら! えっと……ニムエ。俺たちが厄災のコアを攻撃するから、援護頼めるか?」
「承諾しました」
「私たちもサポートします!」
「よし。フウカ、もう一度飛ぶぞ」
「うん!」
焔狼主の尾がマモンの腕を食い止め、それをすり抜けるようにしてフウカが胸部を目指す。
ソニックレイジで流砂を散らし、捌ききれないものにはニムエの蹴りが炸裂し、粉砕してくれる。胸部へ到達し、フウカが風でマモンの胸部を抉ろうと腕を伸ばすが、その前にニムエが割り込む。
「ここはニムエにお任せを」
彼女の背中にあるブースターが、フィルリアクターによって生み出されるエネルギーを示す青い燐光を撒き散らすようにして光を吹かす。
ニムエは厄災に突っ込むと、両の拳を振るい強打の嵐を見舞う。かすかに残像すら見える連打は、到底人間技ではない。
そのまま厄災の肉体を粉砕しつつ奥へと侵入し、俺たちはニムエを先頭にしてコアの輝きまで辿り着く。
「『魔力中和障壁』、展開」
ニムエが自身の体から迸るように光の障壁を発生させると、周囲から襲い来る影の触手が弾かれ消滅する。
再びジャッジメント・スピアを放とうと構えるが、目前のコアが移動を始めた。
厄災の身体は砂と影により構成されており、自在に操作ができる。素直にその場に留まってばかりいてくれるわけもない。
「逃がすかよっ!」
フウカが動き出したコアを追尾して飛び始める。妨害のために大量の流砂が飛んでくるが、その全てをニムエが拳と蹴りで粉砕する。
黒い嵐の中、紫光に輝くコア追って飛行する俺たちにむけて影の濁流が襲い掛かる。だがニムエがその都度迎撃し、進路を開いてくれる。
マモンの胸部を逃げ惑うコアの行く手にリッカが回り込み、術を発動させた。
「マリアンヌちゃんのためにも、逃がしはしません! ――停滞せよ、『馬上の射手』!」
リッカが放った波導の矢がコアに突き刺さる、その動きは急激に鈍くなり、黒い砂の上をカタカタと這うように振動する。
わずかでもコアの動きを止められるのなら、後は俺たちが。
「「うおおおおおおおおおおおおっ!」」
射程へと入った瞬間、トリガーを引きジャッジメント・スピアを放つ。コアは青光の濁流に飲み込まれ、光の彼方へ跡形もなく消え去った。
「やった!!」
厄災を振り仰ぐと、その動きは止まっていた。
「とまっ……た?」
「いや……。厄災が消えない」
「お前ら! まだ終わっとらん! 気ィ抜くな!!」
「————クハハッ。面白、い。面白い泡、だ」
「……まさかッ!」
嘲るようにくぐもった声で厄災が呟く。
ジャッジメント・スピアで吹き飛ばしたマモンの体の一部が、どろりと形状を変える。どこかで見た……、まさか、アレは……!
……さっき破壊したコアは、マリアンヌのアイン・ソピアル『泡幻鏡』によって作りだされた幻影か!
「くそっ!」
よりにもよってマリアンヌの泡石ノ剣でコアへの攻撃を妨害したマモンの悪辣さに奥噛みする。
ニムエと共に流砂攻撃を吹き飛ばし、マモンから離れクレイルと焔狼主の元へ戻る。
「無駄だ。塵芥共」
「!」
砂嵐の向こうに、何かが見えた。
黒い砂塵越し、遠方に砂の壁がせり上がってくるのが見える。そしてそれは動きだし、巨大な砂津波となって押し寄せてきた。
あまりにも巨大な……、あんなのに飲まれたら大都市が一つ壊滅するってレベルだ。
「早くこいつに乗れ!」
「クレイル!」
俺たちが焔狼主の背に飛び乗ると、炎の獣は砂漠を駆け出し、押し寄せる津波から遠ざかるように疾走を始める。
「大きすぎる……、ナトリ、これじゃあ飛び越えるのも間に合わないよ!」
「迷宮全てが、敵……!」
強欲の厄災マモンの強大さを思い知らされ、迫る砂津波を見上げながら俺たちは戦慄する。