第29話 迷宮
東部最大の浮遊大陸、ガストロップス。大陸の大部分を占めるのは広大な草原の続くなだらかな丘陵地帯。草原、川辺、森や山脈に多くの動植物とモンスターが生息する豊かな大地だ。
大陸の西の端に位置するのが、エイヴス王国との交流が盛んなオリジヴォーラ港だ。ここにはガストロップスで収穫された農産物や家畜が集められ王国へと輸出されていく。活気に満ちた港街である。
俺たちはオリジヴォーラで船を降り、船を乗り継いで俺の故郷クレッカに向かう予定だ。
クレッカへ寄る定期便は週に一度しかない。その船は明日この港へ寄ることになっている。この定期船に間に合わせるために王都で慌ただしく引越しの準備をしたというわけだ。
近づいてくるオリジヴォーラの港はガストロップス大陸の断崖に張り付くように縦横に広がっている。
断崖壁面から突き出したいくつもの桟橋と、そこに停泊する浮遊船。
壁に張り巡らされた通路や階段の多さは、さすが王国との取引の多い東部最大の港街なだけのことはある。壁面にくり抜かれたいくつもの洞窟の内部に浮かぶ様々な浮遊船が目に入る。
港の中央には深い谷のような亀裂がある。俺たちの船は速度を落とし、そこから港へと入港していった。
船べりからフウカと並んで谷の壁面に見える発着場や船のドックを動く人々を眺めた。人々は足を止め、俺たちの船を見ているようだ。
手を振って俺たちを見送るネコの子供にフウカが手を振り返して応える。
「やっぱりこの港は大きいなぁ」
「いろんな形の船がたくさんあるね」
俺たちの船は明らかに衆目を集めていた。船体は昨夜のゲーティアーの襲撃によって著しく損壊した状態だから、何者かによる襲撃を受けたのは一目見ただけではっきりとわかるだろう。
やがて船は港の奥の壁面に横付けに接岸した。
俺たちは急いで船室へと戻り、荷物を持ってタラップを降りて下船する乗客の列に加わった。
谷沿いの洞窟内に造られた発着場は、出迎えの人数が明らかに多かった。おそらく多数の野次馬が加わっているんだろう。オリジヴォーラの地面に降り立ったところで、船員らしき男に声を掛けられた。
「あんたたち、この後少し時間はあるか。船長が礼をしたいそうだ」
特に急ぎの用もないので厚意に甘えることにした。俺たちは言われた通りに船の側で待ち、乗客たちが降りていくのを見送った。
先ほど食堂でフウカに礼を言いにきたラクーンの親子がこちらに気づいて、頭を下げてから洞窟の奥へ去っていった。その後クレイルと、ガルガンティア波導術士協会の一行も船員に声を掛けられ、俺たちと合流した。
最後に現れた船長による自己紹介と感謝の言葉の後、彼に続いて俺たちも一団となって洞窟の奥へ進む。
洞窟内に設けられた階段を登り、通路をそれなりに長く歩いて進んでいくと券売所のある大きなロビーに出る。そこで洞窟は終わり、鉄骨の柱と屋根で組まれた浮遊船待合ロビーとなる。建物の外はもうオリジヴォーラの街だった。
街はすり鉢状に窪んだ地形をしており、中心部分に鉄道駅がある。港とは地下洞窟を通して接続される構造になっている。
街の中央から外に向けて坂に沿うように民家や施設の建物が立ち並び、周囲を建造物に取り囲まれているような感覚に圧倒される。街の一番低い場所にある駅前広場は人で賑わっていて、俺たちは行き交う人の間を抜けて坂の通りを進む。
「なんやうまいもんでも食わしてくれるんかァ?」
「俺は普通に金がいい。引越しと船代で結構やばいから……」
「カッカッ。差し迫っとるのう。まあ俺も何かもらえんやったら金がええわな」
俺の手持ちは銀貨二枚ほどしか残っていない。今日の宿代に、クレッカ行き二人分の船代を使ったら大層心元ない。今更ながらプリヴェーラに行くための旅費すら調達できるか不安だ。
そんな俺の不安をよそに、隣できらきらと輝かせた目をあちこちにやって見慣れぬ街をせわしなく見回すフウカを見て、切実なため息をつく。
やがて船長は坂の途中にある立派な屋敷の前で止まり、玄関口の階段を登って両開きの立派な扉を開いた。玄関の上には「オールリ商会」という看板が掲げられている。このオールリ商会が俺たちの乗って来た浮遊船を運用しているわけだ。俺たちは船長に促されて屋敷の中へと入った。
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「銀貨五枚か、ちょいと安い気もするがまあええやろ」
「めちゃくちゃありがてぇ……」
「お前さんら、腹に穴空けられとんのやぞ? 到底釣り合う額には思われんがなァ。俺なら文句いっとる」
「でも二人なら十枚だもんね」
「そうだよな!」
「あのなァ……、まあエエか」
屋敷で応接室に通された俺たちは、船長と商会の偉い人に船と乗客を救ってくれた礼を述べられ、一人エイン銀貨五枚の謝礼を受け取った。話自体はほとんどエレナに任せて俺たちは座っていただけだった。
屋敷を出ると記者らしき人物が待ち構えており、術士協会の三人にしきりに質問を投げかけてきた。
俺達とクレイルはそこで協会の三人と別れて街へ繰り出すことにした。エレナは俺たちに何か言いたげにも見えたが、記者の質問攻めにあって身動きがとれないようだった。他の二人はあまり口を開かないし、なんだか苦労してそうな人だなと少し同情する。
オリジヴォーラの街は人の往き来が多い。往来を絶えず商人や旅人が行き交い、露店屋台からは商品を宣伝する声が響いてくる。目についた料理店に入り、3日ぶりの陸の食事にありついた。
「いや〜、久々のイストミルの味。やっぱこれやな。パサついた船内食とはちゃうわ」
「このお肉、すっごく美味しい!」
フウカは体型こそ痩せ型だけどかなりの大食いである。実は普段でも食事量は俺より多い。今も脂の乗った肉にご執心のようだ。
クレイルの方もなかなか豪快な食いっぷりで、よっぽど船の食事に飽きていたらしい。
「ところでよナトリ。気になっとったんやがあのゲーティアー吹き飛ばしたごっつい光、あれはなんやったん?」
「ああ、あれは……」
王冠のことをクレイルに言うべきか。こいつのことを信頼してないわけじゃないんだけど、あまり言いふらすことでもないような気がする。
「攻撃のガワだけみたら滅茶苦茶派手やったが、それと裏腹にフィルの流れを全く感じんかった。しかもそれがあの厄介な障壁をものともせずに溶解しおったからな」
「悪い。事情があって詳しくは言えないんだ」
「……そーか。しっかしフウカちゃんの治癒波導といい、本当お前らは不思議な奴らやなァ」
「えへへ」
クレイルはあっさり引き下がった。彼は一見お調子者で傍若無人に振舞っているように見えるが、どこか窺い知れないところがある。まあ昨日知り合ったばかりだしわからなくて当然か。
東部料理で腹を満たした俺たちは、賑わう午後の街をぶらぶらと歩きながら店を冷やかして回った。
クレイルの行き先はプリヴェーラだが、夜に出る列車に乗るまですることもないため俺たちに付き合い時間を潰すそうだ。俺たちも今日はもうすることがない。
クレイルの提案で街の一番高いところまで登ってみようということになった。オリジヴォーラは円形の街で、中心から離れるほど地形が高くなる。とりわけ高いところまで登れば街の全景も、街の外に広がるガストロップスの広大な草原も見渡せるはずだ。
通りの坂道を町外れの方へまっすぐに歩いて登り、峠を越える。
少し先に柵が巡らしてあり、ぐるりと街を囲んでいるようだった。街の端は猛獣やモンスターが街に進入するのを防ぐ高い壁の断崖になっている。
そこからはかなり遠くまで丘陵地帯を見渡すことができた。草原から来るそよ風が気持ちいい。
「わあーいい景色」
「せやろ」
「うん。ガストロップス大陸の広大さが感じられるな」
「あら、あなた達もここへ?」
透き通るような声に振り向くと、そこには銀髪に薄青の瞳の波導術士エレナが立っていた。
「また会いましたね」
「そういえばちゃんと名乗ってなかったわね。私はエレナ・コールヘイゲン。ガルガンティア波導術士協会で会長秘書を務めさせてもらっているわ」
エレナはそう名乗ると、よろしくね、と微笑んだ。
船の上では術士がよく身につける協会揃いの旅用ローブ姿だったが、今はオフなのか白いブラウスにタイトなスカートというかなりラフな格好に着替えている。
結われていた髪も開放され、長い銀髪が背中に流れている。本人の美しさもあって大人の魅力が溢れ出す魅力的なスタイルだ。
会長秘書役ということだけど、年はせいぜい二十歳過ぎぐらいにしか見えないので相当な実力者なのだろう。彼女に合わせて俺たちもそれぞれ簡単に名乗った。
「さっきは大変そうでしたね」
「もう質問攻めよ。明日の新聞に載るみたいね。あなた達のこともちゃんと伝えておいたから」
エレナは少々疲れたように言った。
「どうせほとんど協会の手柄として書かれるんやろな」
「まあまあ。謝礼も貰えたしいいじゃないか」
ふと、会話に加わらずどこか別の方向をじっと見ているフウカに気がつく。彼女は微動だにせず、まるで目が離せないといった様子で、遠く、遥か彼方に薄っすらと見える巨大な影へと視線を注いでいた。
遠方に聳えた立つ巨大な影に釘付けのようになっているフウカの視線に気づいたエレナが呟く。
「『翠樹の迷宮ベインストルク』。システィコオラ大陸の迷宮ね」
「今日は晴れとるから、こっからでもよう見えるな」
「私もあれを見にきたの。スカイフォール各地に存在する『迷宮』……。いまだにその建造目的や時期、内部構造は謎に包まれた部分が多い。ガルガンティア協会にも定期的に術士を調査団に派遣して欲しいという依頼があってね。
このところ迷宮が活性化の兆しを見せ始めていて、また誰かを派遣しなくちゃいけなくなりそうなのよ」
遥か彼方に見える曲がりくねった巨大な塔のシルエット。それはあまりにも天高く、スカイフォールの限界高度の上まで伸びているという話もある。
風に鮮やかな橙色の髪を靡かせ、迷宮にじっと視線を注いだまま動かないフウカが妙に印象的だった。
※誤字報告ありがとうございました!