第281話 アラクネ
「寄せ付けないよ、『風刃旋空咲』!」
フウカの詠唱により俺たちの周囲を広範囲に渡って風が渦巻き、暴風が影蜘蛛を切り刻んでいく。
風の波導は谷間の空間を蹂躙し、影蜘蛛を粘糸もろとも細切れにしていく。
「動けるようになった!」
再び飛行を再開し、敵の包囲から逃れる。
「さっきは見えない何かに捕まっちゃった」
「見えない何かか。蜘蛛の粘糸なのか……?」
「そんな気がする。風で切れたしね」
もしかして、谷間に見えない糸が張り巡らされてる?
「フウカ、気をつけ――うおっ!」
「また糸! それならもう一度、きゃ!」
フウカの姿勢が空中で不自然に固まる。見えない粘糸が張り巡らされたものだけとは限らない。俺たちを狙って放たれたものだ。
こういう気配には敏感なフウカだが、見えない糸なんて存在感も質量もないとさすがに察知は難しいようだ。
「こんな糸!」
フウカの瞳と緋色の翼の光が強まると、俺たちを取り囲むように薄く光を放つ球体が出現した。波導障壁のような役割を果たす翼の力だ。
フウカが発動させたバリアは粘糸を防いだが、影蜘蛛たちから次から次へと吐きつけられる粘糸がバリアに付着し俺たちの視界を覆っていく。
「うっ、糸は防いだけどこれじゃ動けないっ! それに、少しずつ下に引きずり下ろされてる」
このままだと谷底に引きずり下ろされて数で圧殺されちまう。
一体一体は雑魚なのに、集まるとこうも厄介か……! おまけに見えない粘糸のせいで逃走も覚束ない。
「影蜘蛛に取り囲まれたら詰みだ。どうする……」
『マスター、響属性だ!』
『響? でもフウカの壁の内側にいる状況じゃ……、そうか!』
「フウカ、この緋色の障壁を解除してくれ!」
「でも、そんなことしたら……!」
今や視界はまとわりつく黒い粘糸によって完全に塞がれ、暗闇の中バリアが発する緋色の光のみが互いの顔を照らしていた。
俺たちは障壁ごと、完全に糸によって捕われている状態だ。が、だからこそ効果的な方法がある。
「これだけガチガチに固められれば、むしろ糸は少しの間俺たちを守ってくれる。上半分だけ残して、障壁を消してくれ」
「わかった……、ナトリを信じるね」
緋色のバリアが上半球分を残し消滅する。思った通り、すぐに粘糸が俺たちに届くことはない。障壁が消えた部分の糸束、にリベリオンの刃を迷わず差し込んだ。
「弱点属性、存分に喰らいやがれ! 『ソニックレイジ』、全開だ!」
リベリオンに煉気を流し込むと、白く輝く刀身が、キュィィィィンと高音を立てて振動を始める。
ノーフェイス共は俺たちを引きずり下ろすため、口から粘糸を伸ばして拘束している。だったら、その糸を伝って攻撃に参加する全ての影蜘蛛に、響属性の超振動衝撃波を送り込んでやる。
物体を伝播していく響属性の特性を利用した強烈な攻撃だ。地属性の奴らにとっては相性も有利なため効果覿面だろう。
次の瞬間、視界を閉ざしていた粘糸が音を立てて弾け飛んだ。糸を伝わる振動波に絶えきれず弾けたのだ。
そしてそれは、糸を吐いていた全ての影蜘蛛も同じだった。そこかしこに気持ちのいい破裂音が響き渡っていき、谷間の空間に反響する。
谷壁を埋め尽くす勢いだった蜘蛛達が音と共に谷底へボタボタと落下していく。
「っしゃあ! どうだこのヤロー!」
「ナトリ、見て!」
全ての蜘蛛が谷底へ落下していく中、フウカが指差す壁面には一匹だけ一際巨大な蜘蛛が張り付いていた。
しかもソイツは巨大なだけでなく、大きく膨らんだ腹から人の体のようなものが生えている。明らかに他のノーフェイスとは違う。
「見つけたぞ、ゲーティアー!!」
落下してはいないものの、攻撃奴にも効いたらしい。人体っぽい部分が垂れ下がり、ふらふらと揺れている。
「叛逆の弓、『アンチレイ』」
リベリオンを変形させ、トリガーを引く。が、一瞬で体勢を立て直した蜘蛛の親玉は、跳躍でその場を飛び退き、別の壁面へと飛び移る。
ゲーティアーを追いかけ次々に光を放つが、動きが素早く捉えきれない。
フウカも逃走を図るゲーティアーを追尾しながら、翼から緋色の光弾を撃ち出し追撃を試みる。
「速すぎて全然当たらない……!」
巨体でありながらひゅんひゅんと谷間を身軽に飛び移り、八本の脚で壁面をまるで滑るみたいに移動していく。
フウカも速度を上げて飛行しながらそれを追う。こいつはここで仕留めなきゃダメだ。
逃げる蜘蛛の人体部分がくるりと俺たちを振り返り、頭部らしき箇所が裂けるようにして真っ黒な穴が開く。
「っ!?」
フウカがそれに反応するようにして体を傾け軌道を変えた。さらに不規則な軌道を描いて谷間を飛行する。
「見えない糸、ゲーティアーの魔法!」
「どこに飛んでくるのかわかるのか?!」
「わかんない……、なんとなくだよ」
見えない粘糸を感覚で躱すフウカに賞讃を送りたい気分だが、それどころじゃない。
「――んっ?! な、にこれ……っ」
フウカがそう呟き、飛行速度が突然ガクンと落ちる。方向も定まらず、フラフラと危なっかしい軌道になる。
「フウカ? おい、どうした?!」
「からだ……しび、れ、て……」
一瞬彼女の背に浮かぶ翼が明滅したかと思うと、フッと消滅した。俺たちは当然谷底目がけて落下を始める。
「おわあああ!」
手を握るフウカの表情は苦悶に歪んでいる。体が痺れて?
そういえば、フウカはゲーティアーの糸に捕まった。まさか毒蜘蛛のように、麻痺毒を持っていて粘糸にそれが塗り籠まれていたとか?
「くっ! それよりも今は……、エレメントブリンガー、『ソニックレイジ』!」
落下を止めるため、壁にリベリオンの刀身を突き刺す。
「止まれえええっ!!」
壁面を破壊しながら十メイルほど落ちたところでなんとか落下の勢いを止めることに成功した。だが、状況は最悪だ。
俺はリベリオンにぶら下がり、もう片方の手には動けないフウカ。両腕が塞がり身動きもできない。
「フウカ、フウカ! 大丈夫か?!」
「ごめん……ナトリ。油断しちゃった……」
「謝るな、フウカは悪くない」
上を見上げると、壁の向こうからゲーティアーがのそりと顔を出すのが見えた。
「フウカはちょっと休んでてくれ。アイツは俺が」
毎回フウカに助けてもらってばかりじゃカッコつかないからな……。
蜘蛛の人体部分が起き上がり、頭部が裂けていく。粘糸を吐くつもりらしい。
その時、渓谷の彼方から甲高い音が響いてくるのを聞いた。どうやら向こうは首尾よくいったみたいだな。
見下すように高みから俺たちを狙うゲーティアーを睨みつける。リベリオンを警戒して近寄ってこようとはしない。
「……—響属性の振動は”地”を伝うんだ、臆病者」
崖に突き刺したリベリオンを握りしめる。
振動は地中を伝わり、ゲーティアーの取り付く壁面まで到達。さらに奴の体に伝わると衝撃波へと変わった。
硬質な音と共にゲーティアーの脚が弾け飛び、その体は壁面から離れて落下を始める。
「叛逆の鉄槌、『リベリオン・オーバーリミット』!」
エレメントブリンガーを解除、リベリオンが右手に貼りき、全身に空の加護が漲る。同時に支えを失った俺とフウカも落下を始める。彼女を放さないようしっかりと抱え、壁面を強く蹴った。
前後不覚になりながら落下するゲーティアーを上回る落下速度で、奴の巨体に迫った。
息を吸い込み、右腕を引き絞る。
「――谷底で寝てろ、『イモータル・テンペスト』!」
ゲーティアーの膨らんだ腹に、拳に収束させたフィルで生み出した衝撃波を打ち込む。
影蜘蛛は空中で渾身の一撃を受け、錐揉み回転しながら垂直に急速落下し、轟音を上げて谷底に激突した。
「オーバーリミット解除。終わりだ、『ソード・オブ・リベリオン』」
谷底に叩き付けられ、ショックで身動きできずにいるゲーティアーを青光の刃で串刺しにする。
「おおおおおっ!!」
差し込んだ剣をそのまま振り切り、人体部分を根元から撥ね飛ばした。巨大蜘蛛は動きを止め、断面から黒い粒子が立ち上り消滅を始める。
「フウカ、無事か!?」
「うん……、少し、よくなってきた」
フウカは自分の腹部に手を当てていた。そこから白い光が溢れ出している。そうか、自分で自分に治療を。
「治りそうか?」
「多分ね。ナトリ、守ってくれてありがと」
そう言って笑顔を見せてくれる。
「格好良かったよ!」
「え、そう……か? ……うん、まあ、それよりフウカが大事なくて何より。一時はどうなることかと思った」
「ここ、早く離れた方がいいよね」
「そうだな。さっきアルベール達の合図も聞こえたし、統率を失った影蜘蛛達がここにも来るだろうからな」
フウカは再び緋色の翼を展開すると、俺の手を握った。そのまま一緒に浮かび上がり、谷の上を目指して上昇する。
「フウカ、あんまり無理するなよ。飛ぶの大丈夫か?」
「これくらいならもう大丈夫。私、王宮で毒の治療もやったしね」
そう言って得意げに胸を張る。
「はは、なら大丈夫かな」
俺もそれなりに消耗した。だがアルベール達は調査を終えられたようだし、ゲーティアーも倒せた。陽動は成功だ。アルベールが有益な情報を掴んでくれてるといいが……。
谷を脱した俺たちは、大渓谷の入り口を目指して飛び始めた。




