第280話 陽動
ノーフェイスの襲撃からぎりぎり逃れ、フウカにぶら下がって大渓谷の入り口まで戻って来た。
谷の前でしばらく様子を見ていると、ヒノエのフレスベルグが戻ってくるのが見えた。
フレスベルグに肩を掴まれたヒノエがさらに両脇にアルベールとリッカを抱えるという状態だ。
「はぁ~、びびったぁー!」
砂の地面に放り出されて転がるアルベールが空を仰ぎながら声を上げる。
「影は追ってこないようだな」
「とりあえず一安心、でしょうか……?」
「しかし、さすがにを三人運ぶのはフレスベルグに無理をさせてしまったな」
三人を地面に下ろすと、フレスベルグは手のひらに収まる小鳥のようなサイズまで小さくなってしまった。
「なんか不気味だと思ったんだよね。生き物の気配がなさ過ぎたもん」
「おそらくは私たちを追いつめるため息を潜めていたんだろう」
「とりあえずみんな無事でよかった。でも……これは参ったな」
あれだけの数が谷に巣くっているとなると、探索は容易じゃない。数は黒波以上に多かったように思う。
「あんなにノーフェイスがウジャウジャしてたんじゃ、オートマターの調査なんか無理っすよ……」
朽ちかけた機械はおいそれと動かせない。だが、悠長に調査していれば影蜘蛛に包囲され餌となってしまう。
「やっぱり、全部倒すしかない?」
「フウカ……」
かなりの脳筋思考だけど、現状それしか手はないのかもしれない。
「どのみち、あの機械を放置したまま拠点には帰れませんよね」
「そうだ。覚悟を決めて俺たちを送り出してくれた拠点の人達のためにも、調査は絶対に必要だ」
「でもアニキ……、あんなのどうすりゃいいんすか?」
「何か考えがあるんだろう?」
腕を組んで唸っているとヒノエが俺を見てそう問いかけてくる。
「フウカ、あいつらは俺たちに対する包囲網を作ってたんだよな?」
「うん。示し合わせたみたいに一斉に気配が動き出したからね」
自分の中でいくつかの可能性を精査してみるが、やはり可能性は高そうだ。暫しの思考の後、口を開く。
「影蜘蛛が見境なしに襲ってこないのは、ゲーティアーがいるからだ。下等なノーフェイスに思考能力はない。配下を使って俺たちを取り囲み、一網打尽にするつもりだったんだ」
「足並み、揃い過ぎてましたからね」
「かといって、上位種を倒したら今度は谷中にノーフェイスが溢れることになる」
雑魚を従えるゲーティアーを倒せばいいという単純な行動では解決できない。
「ゲーティアーを倒しても結局は同じってことっすか?」
「あれだけの影が存在する事実は変わらない。今度は無秩序に襲いかかってくるだろう」
「そうなれば却って危険だ。だから、ゲーティアーは倒さずにオートマターを回収しよう」
「……あ、ナトリくん、もしかして」
俺の考えに気づいたリッカに頷く。
「ゲーティアーなら下級種を統率できる。だから、ボスをうまく誘導して谷に蔓延る影蜘蛛をまとめて移動させるのさ」
「なるほど、その間ならノーフェイスが手薄になるから、オートマターの調査ができるっすね!」
「つまり、私たちはゲーティアーを焚き付けて、オートマターのあった場所から遠ざければいいんだな?」
「そういうこと」
俺の話に納得できたのか、フウカは両手をぐっと胸の前で握り込みやる気をみせている。
「ずっとノーフェイス達と戦って来た君だからこその作戦というわけだ」
「さっすがアニキ!」
「簡単な話じゃないけど、やる価値はあると思う。ヒノエ先輩とフウカがいるから、最悪どうにかして逃げるはずだしな」
「大量のノーフィエスを同時に相手取ることには変わりないし、足止めと時間稼ぎが必要になるだろう」
「作戦を立てよう。みんなの回復を待って、日没までに決行だ」
「うん!」
§
「行ってくるね、みんな」
「無茶はしないでくださいね」
「こっちはなんとかやってみる。そっちもよろしく頼むぜ」
俺が差し出した手をフウカが掴むと、彼女の背に緋色の翼が浮かび上がる。
そのまま俺とフウカは午前中にオートマターを発見した地点まで飛んでく。
「ナトリ、煉気は大丈夫?」
「八割……ってとこだよ」
影蜘蛛から逃げる時にもっとも消耗が激しかったのは俺だ。やけくそ気味にエレメントブリンガーの力を解放したからな。
完全回復とはいかないが、ゲーティアーを相手取るのに支障はない。
『私がちゃんと出力調整するから気にせず戦え』
心強いね。リベルはいつだって信頼を裏切らない。
「アルベールたち、上手くいくかな……」
「あいつならやってくれるさ。リッカとヒノエ先輩もついてる」
俺たちは二手に分かれることにした。俺とフウカがゲーティアーの引きつけ役で、後の四人が調査担当だ。
最も移動能力の高いフウカと高い攻撃性能を持つ俺がノーフェイス達と直接対峙し誘導、アルベール達が調査している間奴らの注意を引きつけることになる。
フウカが緋色の翼を使うことで移動速度はかなり上がるが、調査が済むまで彼女の煉気が持つかどうかが作戦の鍵となる。
「私は大丈夫。体力にも結構自信あるから」
「頼りにしてるぜ」
一直線に谷を越えて開けた場所へと戻ってくる。そのまま谷底に降り立ち、オートマターの埋まった窪地を覗き込んだ。
ゲーティアーは俺たちの目的があのオートマターであることを知らない。うまいこと釣られてくれればいいが。
「……! 気配が一斉に近づいて来るよ!」
「作戦開始だ」
俺たちは谷の中腹あたりまで浮かび上がり周囲の様子を探った。
そしてすぐに、谷底や壁面を埋め尽くす黒い影が這い寄ってくる光景を視界に収めた。
「フウカ、思いっきり引きつけるぞ!」
「うん。手、放さないで!」
フウカは急加速し、谷を飛び始める。
まるで俺たちに引き寄せられるようにしてノーフェイス共はうじゃうじゃと姿を現し追いかけてくる。
オートマターが埋没した空間の外周を巡るようにしてフウカは飛行する。
そうして飛んでいる間にも蜘蛛は集まり、谷底は真っ黒に埋め尽くされてしまった。
一体どこにこれほどの数が潜んでいたのかというほどの物量だ。
「奥の方に少しずつ移動させよう!」
「了解!」
大きく円を描くような軌道で谷間を飛びながら、渓谷をさらに奥の方へ向かう。
俺たちに釣られて影蜘蛛達が少しずつ広場から離れ移動し始めているのが見て取れる。
「いい感じだ! がっつり釣れてる!」
風を切って谷間を飛びながら眼下を見下ろせば、谷間を埋め尽くすほどの影がひしめいている。
『ソニックレイジ』
リベリオンを現し、影蜘蛛の密集地に響属性の振動波を叩き込む。
ノーフェイスの塊は炸裂するように弾け飛び、何体もの影が谷壁に叩きつけられ落下していく。
でもそれも集まって来ているものからすれば微々たる数だ。
その後も適度に挑発を加えながら俺達は誘導を続けた。
「少し高度を上げてくれ!」
「わかった!」
谷間から脱し、渓谷上空へ舞い上がる。上空から見下ろすとノーフェイスがどの程度集まっているかよくわかる。
かなりの数に追われているが、広場からは集団を引き離せただろう。
腰のポーチを開け、黄色い発光エアリアを取り出す。栓を引き抜き、上空へと放り投げた。
上空に瞬く強い光。アルベール達に向けた合図だ。彼等はこれを見て渓谷へ下りる手筈になっている。
俺たちは再び谷へ降り、噴射される蜘蛛糸を搔い潜りながら誘導を続けた。
「この動き、ゲーティアーがいるのは確実だな……」
「でも場所がわからないよ」
この数だ。他の個体と見た目に差がなく、紛れ込まれた場合見つけるのは至難。
けど最終的に放置するのはあまりに危険。アルベール達が調査を終えたら確実に倒したい。
「これだけ密集してんなら、こっちの方がよさそうだなっ————『ギルティブレイザー』」
リベリオンに炎を纏わせ、それを圧縮して炎弾として撃ちだす。影蜘蛛の塊の上で弾けた炎が燃え広がり、谷底を明るく照らし出した。
『いい感じだ。陽動にはうってつけだね。このまま思いっきり掻き回してやろうよ』
その後も俺とフウカは谷間を飛び回りながら影蜘蛛の群れに火を放って回った。
アルベール達は無事だろうか。今は信じるしかない。
「大体一刻くらい経った……、フウカ、まだ飛べるか?!」
「もちろん全然大丈夫!」
散々同胞を燃やしてやったんだ。いい加減ゲーティアーが仕掛けて来てもよさそうなものだが……。
「ッ!」
「なっ?!」
唐突にフウカの飛行速度が落ちて、俺は前方へと放り出されそうになる。慌ててフウカの手を強く握りしめた。
「なんだっ?」
「何か……、見えないけど何かある。それに足が引っかかったみたい」
「見えない、何か?」
フウカは前に飛ぼうとするが、何かに引っ張られてうまく移動できないようだった。
俺たちが谷間で動きを止めている間、壁伝いに一気に影蜘蛛が這い寄ってくる。
「蜘蛛がっ、早くここから――!」
上からも下からも現れた蜘蛛達が、俺たち目がけて大量の黒い糸を一斉に噴射した。




